【進撃の巨人】に学ぶ「理解することをあきらめない姿勢」がもたらすもの
「調査兵団団長に求められる資質は
理解することをあきらめない姿勢にある」
これは『進撃の巨人』というマンガの中で
調査兵団の団長が後継者にその役割を託す時のセリフです。
このマンガには様々な立場の「正義」が存在し、
その正義とそれを追求する自由が交錯する中で
争いが生じている様子が描かれています。
その中で「未知なるもの」も「理解しがたい相手の言い分」も、
ともすれば「許しがたい暴挙」も
理解することをあきらめない姿勢を持つ者が、
このチームを率いる資格を有するということを
言っている場面かと思います。
これはマンガの世界の話ではありますが、
実際、私達の生きている現実世界ではどうでしょうか。
戦争まではいかずとも、程度の差こそあれ
この「正しさ」のぶつかり合いというものは
常に存在していますよね。
私たちはみんな違う人生を生きてきて、
異なる価値観を持っているわけですから、
自分から見た「正義」と相手から見た「正義」なんて違って当然なのに、
なぜか「正義」に関しては、どちらが「正しいか」
を証明したくなるのです。
それはなぜか?
きっといつでも「スッキリ」していたいからだと思います。
どちらも正しいという「スッキリしない」感覚、
モヤモヤを抱えきれなくなって、
自分の「正義」は正しく誰かの「正義」は間違っている
と結論付けなくてはいけなくなるというわけですね。
1つの◯(円)をイメージしてみると、その状態は
自分の正義だけで全円を作って他は排除し
一時の安心を得るというイメージでしょうか。
一時の安心は得られるかもしれませんが、
それでは相手が何を考えているかは結局わからないままですから、
どこかのタイミングでその正義に揺らぎが生じて心が折れてしまう、
気づいた頃にはもう遅い…ということにもなりかねません。
一方で、自分の正義を半分、相手の正義を半分にして
モヤモヤした中で自分が思わしくない情報にも触れていく、
その過程で自分が本当に大切にしたいものに気づくという
姿勢をもっていたらどうでしょうか。
(これが冒頭の「理解することをあきらめない姿勢」だと思います)
その過程でもしかしたら
「自分の正義は絶対ではない」と気づくかもしれませんし、
「どんな情報に触れてもやはり自分の正義は正しい」
と思えるかもしれません。
それこそが本当の意味の自分の「軸」や「価値観」
になっていくのだと思います。
自分の思う「正しさ」を曲げないことが正しいのではなく、
自分の思う「正しさ」を壊し続けられる姿勢こそが、
最も自分の「正しさ」を信じられることになると思うのです。
もちろん暴力的な手段を使って自分の正義を通そうとしたり、
そのために誰かを蔑んだり、落としたり、汚したりすることは
言語道断で許されることではないというのは
無条件に思うことではありますが、
そういう「正義」にも、一度どっぷり浸かってみて初めて、
「あぁやっぱり絶対に自分にはできない…」と実感したり
「そういう人から大切な人を守れる自分でありたい」と思ったりすることで
改めて自分の「正義」がどこにあるのかを感じることができます。
だからこそ!
普段なんとなく生きていると、ついつい
「自分は正しくて、あの人は間違っている」
なんて無条件に思いたくなってしまうのですが、
そんなときこそ、冒頭のセリフを思い出したいですよね。
マンガから気付かされることも実に多いなぁと感じる金森でした!
『進撃の巨人』、非常におもしろい作品なので、
ぜひお時間あれば読んでみてください\(^o^)/
人事コンサルタント
金森秀晃
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