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映画評「TENET ーテネットー 」・/「純粋な映画体験」の喪失

「TENET −テネット−」(2020年/150分)

これの続きです。


「純粋な映画体験」と「文化的雪かき」

「君は何か書く仕事をしているそうだな」と牧村拓は言った。
「書くというほどのことじゃないですね」と僕は言った。「穴を埋める為の文章を提供しているだけのことです。何でもいいんです。字が書いてあればいいんです。でも誰かが書かなくてはならない。で、僕が書いてるんです。雪かきと同じです。文化的雪かき」

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(上巻)P332

「純粋な映画体験」が、「文化的雪かき」くらい、実態のない比喩的表現になっている気がする。

市場の拡大とともに、コンテンツ量は膨大。
各種配信サービスが膨大にオリジナル作品を供給してくれるおかげで、コロナ禍だ!という今ですら、結局は時間を無駄にする時間はない。

時間がなければ、無駄な作品を鑑賞したくはないわけで、「世評」含むプロモーションにぶち当たらずに、作品を観賞できたのって、最近あったかしら。

「面白いことの再確認」をしているだけ、そんな寂しささえ感じる今日このごろ。

本作「TENET」も例外ではないというか、ノーラン監督作をチェックしとこか、以上の価値を、まだ見いだせていない。

「ほぼ実写で撮影しました」「逆行シーンも、実際に俳優が演技しています」「ジェット機を建物にぶち当てました」

秘密主義を貫いた割には、その辺りを頭に入れておかないと、楽しみ辛く、あまり感心しない映画でした。

ベイ、エメリッヒのカウンターとしてのクリストファー・ノーラン

ここまで「実写」が持て囃されるようになった背景に、マイケル・ベイとローランド・エメリッヒは外すことができない監督だと思う。

「アルマゲドン」「パール・ハーバー」「インデペンデンス・デイ」「デイ・アフター・トゥモロー」「2012」

CGにはしゃいでいた、90年代後半と2000年代。
(インデペンデンス・デイは特撮も組み込まれた作品だってことは知ってる)

CGだから何でもできるじゃん。というCGに対する胸焼け。

それが、「ほぼ実写です!」とか、「スタントは実際に俳優がやってます!」みたいな作風の由縁ではないか。

でも、今やCGでも実写でも、観客にとってはどうでも良い時代にもなった。

面白ければそれで良いのに。

実写でやるとお金がかかる。その製作費を、そのままPR費に転嫁できれば、逆に安上がりなんじゃないか。

というスタジオの思惑も相まって、観賞前に散々メイキングを見せられてしまう。

CGじゃなくて本物を見たい。という観客の要望が、種明かしを積極的に行うという、皮肉な結論を招くことになった。

話数が多いので割り切ってCGを使用するTVシリーズや、
便利だから使っちゃえというアップデートを自ら行ったスピルバーグ(レディプレイヤーワン)のほうが、百倍楽しめる気がするんですけど、私だけでしょうか。

回文の実写化

本作「TENET」、例えるなら、回文の実写化である。

映像化不可能な回文の実写化にノーランが挑む!

上から呼んでも下から呼んでも「T E N E T」。

後味も回文そのままというか、「凄いけど、それがどうしたんだっけか」てな冷めた感想を持ってしまいました。

「インセプション」で、あれだけ「夢泥棒」を見事にルール説明&エンタメしてくれたノーランだから、ノウハウがないはずはない。

やっぱり「インターステラー」以降、私の肌に合わないのは、ノーランが「俺が考えた俺のルール」ではなく、「俺が考えた映像を、第三者の理論で補強してもらう」という方向性だから。

エントロピーが増大やら減少するから、時間が逆行してなんのかんの。

作中である程度尺をとって説明されるだが、全く腑に落ちない。

観賞後に、観客ひとりひとりが、「最新の理論に基づいていてさ」というフォローをすることを前提に作られているようだ。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でも「ターミネーター」でも「アベンジャーズ/エンドゲーム」でも、あんなに分かりやすく説明していた、「時間叙述」が出来ないわけないのに、やってない。

いくら説明されても、「結局テネットってなんじゃい」と疑問を残す時点で、作品としては失敗だと思う。
それすら意図的に放棄している作品に、なんで付き合わなくちゃいけないんだろ。私はそんなに暇じゃないだけど。である。


でもなんだかんだ

でもなんだかんだ、150分退屈する暇を与えないのは、さすがのノーラン力技。

上述したとおり、肯定的には捉えられなかった自分ですが、とか言っておきながら、映画館でもう一回観る気がするし、配信されたらまた観るだろう。

てことは、やっぱり成功してるのかな。でも、好きじゃないんだよな・・・。

これもノーラン節ってやつになっちゃうんですかね。

願わくば・・・。

もう妙な理論付けなんかしなくて良いから、「ノーランが思うノーラン理論」全開の映画がもう一度観てみたい。

俺の期待する作品じゃなかったから、駄作だった。
とは、決して言い切りたくない映画体験でした。

という意味では!やっぱり映画館で観るべきです。


9/23追記

最近の大作全般に思ってたことを、「TENET」という一つの作品だけに背負わせるような語り口って、映画評になってないな・・・。
とは思いつつ、そこはノーランだし逆に高く評価してるからだよね、てことで、黙殺しておきます。




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