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「言葉」を愛するひとへ、法律学のすすめ


#学問への愛を語ろう
という楽しそうなタグを見つけてまっさきに、大学時代に学んだ「法学」の楽しさが頭に浮かびました。

大学入試のとき、受ける学部は文学部と法学部の二択でした。
なぜって?

志望大学の二次試験における「数学」のウェイトが最も低かったから。
(数学苦手芸人)

で、「法律は学校で強制されないと一生勉強しない気がする」という理由で法学部へ。
きっかけは不真面目だけど、実際に学んでみると法律学は大変面白い学問でした。そして多分そのわけは、私が「言葉」や「文章」に対しての興味が強い人間だったから。
今日は、そう感じている理由について書いていきたいと思います。


法律家、マジ言語化の鬼

1.似ている犯罪なのに、刑罰の重さが全然違うのはなぜ?

法律って面白いんだな、と初めて強く感じたのは、刑法の授業を受けているときでした。
その日の授業内容は、「窃盗と遺失物横領の構成要件」
地味! と思われたでしょうか。私は思いました(あと漢字が多すぎてダルい)。
けれど授業を聴いているうち、その奥深さに惹きつけられることになります。

窃盗はいわゆる盗み、泥棒のことですが、遺失物横領はあまり日常生活で耳なじみのない言葉ですね。厳密な定義を気にせずごく簡単に言うと、「ほかの人が失くしたり、置き忘れたりしたもの」をネコババしてしまった、という罪です。

どちらも、他人の財産を不当に自分のものにしてしまうという点でよく似た犯罪です。
しかし、科される刑罰の重さにはかなり違いがあります。

  • 窃盗:50万円以下の罰金または10年以下の懲役

  • 遺失物横領:1年以下の懲役もしくは10万円以下の罰金または科料

遺失物横領がどんなに重くても1年までの刑期で済むのに対し、窃盗の場合は最大10年間もの懲役を受けなければならないということですね。
ちなみに科料というのは1万円未満のお金の支払いを科す刑罰です。1万円以上の支払になると、罰金刑と呼ばれるようになります。

なぜこんなにも刑罰の重さが違うのか?

キーワードは「占有の有無」です。他人が占有しているものをこっそり自分のものにしてしまうと、窃盗罪。占有はされていないが、他人に所有権のあるものを持ち去ってしまうと遺失物横領になります。

そして占有とは、土地やものなどを人が支配している状態のこと。つまり、

  • 窃盗:他人が管理し、支配している状態のものを盗むこと

  • 遺失物横領:他人の支配を離れ、管理されていない状態のものを自分のものにしてしまうこと

と言い換えられます。こうして並べてみると、窃盗の方が遺失物横領よりも罪が重い、というのは感覚的にもなんとなく納得できます。

2.言葉の定義が奥深すぎ問題

憲法や刑法、民法など、いわゆる一般法と呼ばれることが多い法律は、多くの場面で適用ができるよう条文がかなりシンプルに作られています。
シンプルな文章で構成されているということは、解釈の余地がたくさんあるということ。そこに法律の難しさと面白さが隠れています。

例えば先ほど例に挙げた「窃盗」について定めた条文はこちら。

(窃盗)
第二百三十五条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=140AC0000000045

お気づきでしょうか。窃盗を定義づけるうえで重要な条件として挙げた「占有」なんて言葉、元の条文にはどこにもないんです。

じゃあなんで「占有」が条件に入ってくるのさ? というと、条文のなかに含まれている「窃取(ひそかに盗み取ること)」という言葉の解釈が関係してきます。

というのも、この窃取という言葉の意味を定義づける過程で、「窃取を行うためにはそもそも、その客体(ここでは、盗まれるもの、くらいの意味で捉えてください)が他人の占有下にあることが必要である」という学説が有力になりました。
窃取という条件を満たすためには、占有というまた別の要件が必要になる、というわけです。
言われてみれば、確かにそうかも……?

昔の偉ーい法学者たちが「窃取ってなんだ!?」と喧々諤々やった結果、条文のどこにも書かれていない「占有」という概念が窃盗罪を成立させる要件に組み込まれたというわけ。なんという初見殺し!

似たようなことがほとんどの条文でありまして、法律を学ぶ過程では、なぜこんなルールになっているのか? このルールが適用されるとき、適用されないときはそれぞれどのような理由でその判断がなされるのか? ということを、有力な学説や判例を用い、条文に使われている言葉の意味ひとつひとつの解釈を踏まえながら理解していくことになります。
押さえておくべき学説や判例がたったひとつ抜けたり、加わったりするだけで、真逆の結論が導き出されもする。
そこにはまるで、言葉のパズルのような面白さがありました。


占有、という語句を例に、言葉を解釈することの面白さについてもう少し書かせてください。
さきほど書いた通り、占有とは土地やものなどを人が支配している状態のことを差します。
何となく意味が分かる気もするけど、具体的にどういう状態を指すのかは、ぴんと来ない方もいるのではないでしょうか。

占有されている/されていないの、具体例はこんな感じです。

  1. 持ち主の部屋に保管されている財布=占有されている

  2. 持ち主が鞄に入れて持ち歩いている状態の財布=占有されている

  3. 持ち主が道に落として自宅に帰ってしまい、容易に取りに戻れない状態の財布=占有されていない

結構わかりやすいですね。
では、次の場合は?


  1. 公園のベンチの上に鞄がぽつんと置かれ、その中に財布が入っている。持ち主は10メートル先のお手洗いに行っているようだ

  2. ホテルの客室内に、財布が落ちている。持ち主はすでにチェックアウトし、自宅に帰ってしまっている


実は、どちらの財布も「占有されている」状態なんです。
大学生のときの私は初見で2問とも間違えました。

1.の財布に関しては、持ち主はその場を離れてはいるけれどすぐに戻ってこられる状態であり、まだ持ち主の占有下にある、という理屈です。
※参考判例:平成16(あ)882

2.の財布は、「持ち主の」占有からは離れています。しかし、ホテルの客室は通常、その従業員とホテルを利用する顧客しか入ることができない場所。よって客室はホテルの管理下にあり、「ホテルによる」財布の占有が成立する、と言えるのです。(ひっかけ問題が過ぎる!)
似た例として、「トランクルームに保管されている荷物」や、「ホテルのフロントに預けられた忘れ物」を考えてみるとわかりやすいと思います。どちらも本来の所有者と現在の管理者が異なりますが、これを盗み出すと聞くといかにも「窃盗」という感じがするのではないでしょうか。
「自分のものではないものをこっそり盗む」という行為自体が問題なのであれば、それを管理している人が本来の持ち主かどうかなんて関係ない、というわけです。
※参考判例:昭和61(あ)1514


屁理屈に思えるでしょうか。

でも、管理や支配というのはさまざまな意味をあわせ持つ言葉なので、いざ具体例が目の前に現れた場合は、どこからどこまでが占有にあたるのか、ということを明確な理屈付けでもって論理的に定義していく必要があります。
そうでなければあいまいな基準や主観で判断がなされ、重い罰を科すべきでない人に過重な判決がくだされてしまうようなことや、その逆のことが起こってしまいかねません。

お時間があれば、参考としてリンクを貼っている判決文を実際に読んでみてください。なぜその案件が遺失物横領ではなく窃盗にあたるのか、言葉を尽くして説明がされています。


3.言葉を尽くして理解を乞うということ

言葉を尽くして説明がされています、と、さきほどの項目の最後に書きました。私が法律学のことを好きな理由の、核となるキーワードです。
そういえばインターネットでも、言語化というワードは人気ですね。私にとって、法律のプロは言語化の達人です。裁判官も弁護士も検察もマジ言語化の鬼。

話が少し飛びますが、例えば、情状酌量という概念があります。確かに悪いことをしたけれど、その人にも考慮すべき事情がある場合。そのことを踏まえて刑罰を軽くしたり、執行猶予を付けたりする、あれです。

情状酌量により判決がこうなりました、というニュースを聞いて、世の中の全員が納得することって、ほぼほぼないと思います。
善悪の物差しはひとりひとりが違うものを持っているから、「それじゃ甘すぎる!」と感じる人や、「もっと軽くしてあげてほしい!」と感じる人が(数の大小はあるにしろ)必ずいるはず。
法律のプロである弁護士同士でも、原告・被告どちらの側に立つかで主張が全く異なってくるのがその証拠です。裁判官ですら、同じ裁判を担当するなかで意見が割れたりしますからね。

誰もが納得する着地点なんてないし、正しい答えなんてものがどこにあるかもわからない。
そんな事件でも、ひとたび裁判所に持ち込まれると必ずどこかで線引きがされます。ほかでもない、言葉によるロジックを用いて、です。

裁判の前段階では、多くの場合は弁護人(刑事事件の場合は検察も)によって、自分の主張を裏付けるために大量の資料が準備されます。
そして裁判においては、それらを精査して得た事実関係や関係法令、過去の膨大な判例によって必ず判断が下され、その理由について言葉が尽くされます。
当事者になにが起きたのか。
この世の中のルールはどういうものなのか。
それはどういう意図で決められたルールなのか。
今、世の中の趨勢はどういったものか。
それらを踏まえて、どのようなロジックで今回の判断に至ったのか。
それらが記された判決文は、数百ページにもわたることがあります。

つまり裁判は、原告(刑事の場合は検察)・被告・裁判官の三者が、
「自分の主張・結論を、自分以外の誰か(原告や被告は裁判官や世論に。裁判官はおそらく世の人すべてと、将来の法律家に向けて)に理解してもらうために言葉を尽くす」
場として見ることもできます。
原告や被告からするとあくまで結果が重要なのであって、そこに言葉が尽くされているか否かなんて関係がないのかもしれませんが、私にはそう思えてならないのです。

特に判決文は、立場上誰かに肩入れすることなく書かれるものだからか、書いたひとの信念に貫かれる思いがするような一文を発見することも多いと感じます。

人が作ったものである以上、法律も、司法の仕組みやそこでされる決定も、決して完ぺきではありません。私自身ニュースを見ていて、はがゆい思いをすることもままあります。
けれど司法の営みからは、まったく主張の違う相手に相対したときや、自らの知識・経験と信念によって重い判断を下そうとするとき、ひとは自身の考えを他者に理解してもらうためどのように言葉を尽くすのか、ということを窺い知ることができます。言葉や文章を愛するひとにとっては、そのことひとつをとっても、法という概念を愛す理由になるのではないでしょうか。

法学と文学の共通点

今振り返ると高校生の私が、法学部と文学部で迷っていたのも当然のことのように思えてきます。このふたつには「言葉の力でひとを救うことができる」という大きな共通点があるからです。

文学はおもに精神を。法律が守るものはおもに身体や生命、財産ですが、例えば平成31年の同性婚にまつわる違憲判決などは、確実に多くの人の精神的な救いになったでしょう。(引用したい箇所が多すぎるので、ぜひ原文を読んでみてください。あくまでドライな文章ですが、裁判官の覚悟のようなものがにじみ出ていて胸に迫ります)


興味を持ってくださった方へおすすめの本・漫画

私が法律の面白さに目覚めた授業での教科書です。まだ持ってる。窃盗と遺失物横領のほかにも、メジャーな犯罪からマニアックなものまで「これってそういう理屈だったの!?」という発見と納得が目白押しで、読み物として面白いです。
ECサイトで軒並み在庫切れになってしまっているのですが、初学者でもさくさく読めるわかりやすさと面白さなので、見かけたらぜひ……!


直接的には法律と関係のない本です。
内田樹先生(なんとなく先生をつけてしまう)は非常に多作な方ですが、著書やブログで繰り返し「他者とは何か」、「自分と断絶した他者という存在に対して言葉を尽くすことの意義」について書かれています。
なかでも「街場の文体論」は、文章の書き方を通して他者とのコミュニケーションに関して書かれた話を中心に収録がされているため、今回の趣旨と通ずるところが大きいと感じ、ご紹介しました。


ドラマ化もされた、新米弁護士の奮闘記。15巻で完結しています。
描写が細かく、弁護士の仕事や裁判の仕組みをめぐるあれこれの「そうだったんだ!」を楽しめます。作者が裁判傍聴を趣味としているらしく、事件のディティールとそれをめぐる人々の悲喜こもごもがリアルです。
主人公のらっこちゃん(あだ名)のファッションが毎回可愛くて、ドライさと情の篤さが絶妙なバランスを保っている性格もよい。出てくる法律家たちの仕事に対する美意識も素敵で、何度も読み返している作品です。


ここでご紹介するまでもない作品ですが、好きなので……。
シロさんとケンジカップルの食事にまつわるエピソードがメインですが、時折弁護士であるシロさんのお仕事のシーンがはさまります。
早く帰宅して食事を作ることを信条としているシロさん、あまり派手な事件は扱っていない様子なのですが、繁忙期を迎えたり修習生を受け持ったり出世や同僚の転機などの節目を迎えたり……と、チラ見えするそのお仕事パートは希少性のせいか妙に魅力的。


最近読み始めてハマりました。インターネット上の「炎上」にまつわる事件を得意とする弁護士の話です。誹謗中傷をやっちゃった側の、追い詰められていく描写が容赦ない(本業の方の監修が入っているおかげか、めちゃくちゃ迫力があります)。
Twitterなどで広告に出てくる漫画って、悪者が痛い目にあってスッキリ! を主眼にした構成のものが多いので、これもその類かな? と思っていました。もちろん、スッキリ! な展開もあるのですが、同時に被害者の方の「加害者をぎゃふんといわせても、その過程で新たなダメージを追うし最初に受けた傷も残っている」という描写もされていて、そこがリアルだな、と。
2巻がいいところで終わってしまって、続きが気になる漫画です。


まとめと参考文献

noteを利用される方の中には、「言葉」への関心が高い方、「書くこと」「伝えること」への関心が高い方が多いと感じています。
今回の内容はあまりに理想主義的なものも含まれていて、リアルの知人に語るには少し照れるものなのですが、noteの言葉を愛する方たちに、法律学の面白さが少しでも伝わればいいなと思って書きました。

萌えに任せて好き勝手に書いてしまったので、専門の方から見て内容の誤りがあった場合はぜひご指摘ください……!  修正いたします。

みなさんの推し学問は何ですか? よければ聞いてみたいです。

■参考文献等:
大塚 裕史 - 刑法各論の思考方法 第3版
橋詰 隆 - 窃盗罪における「窃取」の意義について
裁判所HP
法令検索サイト「e-Gov」


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