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東京ひとり旅の記録③|サーカスのおわり、アルコール入りの水、苺とライム

こちらの続き。この記事含めてあと2記事で書ききる予定です。

Mと別れて、昨日ぶりの六本木へ。
今回の旅いちばんのお目当てへと向かう。

ついにきた

1.ヒグチユウコ展 CIRCUS FINAL END

開催情報を知った瞬間に、「あ、東京へ行かなきゃ」と思った展覧会。

大学生のころから大好きな画家・ヒグチユウコさんの個展。それも2019年に世田谷文学館から始まり、兵庫や静岡、岡山などの8会場を巡回して、4年の月日を経て東京へ帰ってきたという大規模なものだ。
CIRCUSの名の通り、あのかわゆく不気味な作品たちが全国をにぎにぎしく旅して東京に帰還し、フィナーレを迎えるのだ、と思うと、絶対に見に行かなくては、と思った。

ここに来ると森美術館だあ、と思う、例のガラス張りのらせん階段入り口で、学生時代の先輩のNさん(世田谷の展示にも一緒に行った)と待ち合わせる。
待っている間にもどんどん人がらせん階段の中に吸い込まれて行って、その中でもいかにもヒグチファン! と思しき方――眼花柄のワンピースをお召しだったり、ギュスターヴくんのイラストが入ったトートバッグをお持ちだったり――が目立つことに、なんだか勝手にうれしくなる。

既に1回目の東京会場と兵庫会場の巡回展に訪れていたので、最後にもう一度同じものを見られる、という感覚で来たのだけれど、入場待ちの列に並んで少し経ち、会場入り口の豪華な装飾が見えてくるとなんだか様子が違うぞ、と感じた。

そこだけ異世界みたいな入り口

■物量で殴られる

まず、信じられないくらい作品の量が増えている。
圧倒されたのが入ってすぐのエリアで、壁一面にぎっしりと、手のひらサイズ~A4くらいの原画が展示されていた。縦に4~5枚、横に数十枚、隙間をほとんど空けずにぎっしりと。それも片側の壁だけでなく、通路を隔てて逆側の壁にも同じように。

人気の美術展って、入ってすぐのところが一番混み合うじゃないですか。みんな元気で、みっちり絵を見たいと思っているエリア。
この展覧会もそこは同じだったのだけれど、他の展覧会ならそれによって生じてしまうはずの「待ち時間(絵を近くで見たい人がなんとなく壁に沿って列を作って、目の前に壁しかないタイムを耐え忍ぶアレ)」が発生しない。なぜならあまりに作品数が多くて、目の前に常に絵がぎっしりあるから!!

みんな壁に張り付いて、目の前にたっぷりある作品をむさぼるように観ている。私も例に漏れず、上から下まで(背伸びをしたり、しゃがむようにしないと見えないような位置にまで作品が展示されているからこういう表現になる)みっちり眺めまわして鼻血が出そうになる。圧倒的供給……物量に殴られている……。

予約を入れたのが土曜だったので、さぞ混んでいるだろう、と覚悟していたのだけれど、最初のそのエリア以外は人が驚くほど分散していて、ひとつひとつの作品をしっかりねっちり近くで堪能できた。なにしろどの展示室も、壁にケースに柱に部屋の中央にと、展示が可能なスペースを少しも見逃すまいという勢いで作品がみちみちているのだ。
どこに立っても目の前に素敵な絵がある。やや混んでるな、というエリアがあっても、その周りの作品を観ているうちにいつのまにか空いていて、思うさま眺められる。なんという幸福感。

■物欲を刺激される芸術

ライブ感、という言葉って、通常は動いているもの、パフォーマンスに使う言葉だと思う。思うのだけれど、ヒグチさんの原画を目の前にした時の気持ちを表す言葉で、これ以上ふさわしいものを見つけることができない。
画集はほとんど持っているし、グッズも見かけるとつい買ってしまうので、私の家の中にはヒグチユウコ作品が溢れていて、ふとしたときにそれが目に入るととても幸せな気分になる。それで十分だと思っていた。けれど今回久しぶりに原画を目にして、「いつか原画が欲しい!!」と思うようになってしまった。
情報量が全然違うのだ。細い細い線が偏執的なまでに書き込まれることで立ち現れる、猫の毛の柔らかさ、少女の頬のまろさ、鰐の鱗の硬さ、深い森の暗さ、蛸の足のぬめり。密集した線を一本一本追うようにして絵を眺めていると、時間がどれだけあっても足りない。
印刷された絵もそりゃあ素敵だけれど、原画を見たときの「そこに居る」感じはやっぱり表せない。

絵だけでなく、立体作品をたくさん見られるのも展覧会の醍醐味だと思う。

SNSで写真を見て楽しみにしていたトルソー型のランプは、やっぱりとても素敵だった。

お花のようなクラシカルな形と繊細なタッセルが素敵なシェードと、年月を経た布地に大胆なペイントを施されたトルソー。黒い壁に投げられる柔らかい光。美しさの中に、昔のホラー映画のような耽美な怖さが隠れていて、目にしてはいけないようなものをのぞき見しているような背徳感に惹きつけられる。

アンティークの椅子の座面を張り替えたものもいくつか展示されていた。

うぎゃー、欲しい、となった椅子。きれいな花柄のファブリックの座面に眼花ちゃんが三輪刺繍されている。艶のある糸がみっちり詰まった、きらきらゴージャスな刺繍。この上に座れる気がしない。
背もたれに同じく刺繍されている虎は、花々とおリボンに飾られ、きょとんとした表情でお行儀よく座っていて、おっきいネコちゃんだネェ……。となる。かわいすぎる。

一部屋まるごとヒグチユウコさん、の和室も。
こちらは世田谷文学館での展示だけれど、六本木の展示はより近くによって眺められた。衣桁には眼花柄の帯!! が、眼福。

作品を見られて幸せな気分と同時に、むくむくと「欲しい!」という気持ちが湧いてくる。
ボリス柄のお着物と眼花の帯とGUCCIの鞄で出かけたいし、自室にはサーカス柄の壁紙を貼ってトルソーのランプと座面に総刺繍をほどこしたソファを配置し、壁一面に絵皿を飾り、猫脚のキャビネットにはひとつめちゃんの置物をたくさん置いて、そうそうもう一部屋和室も欲しい、掛け軸と風神雷神の屏風を置くんだ。ああ私が大富豪であったなら。
目の前の作品に感動する気持ちと、とどまらない欲望とに翻弄される。

可愛すぎた風神雷神屏風

例えばフェルメールやダリ、ブリューゲルの絵が私は大好きで、けれど彼らの絵を美術館で見るとき、感動はすれどもその絵を欲しいとはとうてい思えない。なのに今回こんなにも物欲が刺激されるのは、ヒグチさんがつぎつぎ新しい作品を世に出されていて、商品化された場合は自分にも手に入れられるチャンスがある、という点がやはり大きいのだ。

美術館には比較的よくいくほうだけれど、たいてい既に亡くなってしまったひとの作品を見ることが多いので、好きな画家の作品が今後もあたらしく世に出続ける、という事実をあらためて考えると、なんて有難いことなんだろう、という気分になる。

例えばアルフォンス・ミュシャの全盛期を生きたパリのひとびとも、こんな気持ちだったのだろうか。どうかどうか健やかに、よく眠りおいしい食事を召し上がって、猫と遊び(一緒に暮らしているボリスという猫がこれまたとてもかわいいのだ)、幸せに生きて、作品を見せていただけるとうれしい。

■物販へなだれ込む

普段展覧会グッズはあまり買うことがなく、せいぜい図録くらいなのだけれど、今回はあまりの作品量と感動に呆然としたまま物販になだれ込んだので、たくさん買ってしまった。

色違い(赤地に青の目)と一生迷ったトートバッグ。目の周りが毛細血管の集合みたいになっている、より怖いほうを選んだ。裏地がショッキングピンクでかわいい。

ヒグチさんもお気に入りだということをTwitterで知って、やっぱり両方買うべきだった? とやや後悔中。

勢いでカプセルトイも3つ買ってしまい、うち二つがセバスチャン(カタツムリっぽい謎の生きもの)だった。ピンクと黒の部分が目玉かと思ってややぎょっとしたものの、よく見るとマラカスだとわかって一安心(?)。冷や汗をかいて直立不動のギュスターヴくん(写真真ん中)と相性が良い。
背後にあるのは世田谷会場で買ったサーカスクッキーの入れ物。4年の時を経て団員を得た。

眼花のブローチ(台紙が素敵すぎてまだ外せていない)とカモミールティーも購入。
カモミールティーはNさんと分けようと思って2袋買ったのだけれど、Nさんも全く同じ思考回路で2袋買っていたことが後から発覚して爆笑した。そんなことある??

レジを済ませて展示室の外に出ると、窓の外がすっかり暗くなっていた。53階の高層階にある美術館なので、きらきらしい東京の夜景が見える。買ったばかりのトートバッグに入れたグッズを抱え、ああ、サーカスが終わってしまった、と呆然とした。多幸感と達成感とさみしさが入り混じった、不思議な気持ち。次にこの規模で作品を見られるのはいつになるのだろう。

2.魚と揚げ物の祝典

終わってしまった……と呆然としながら、Nさんと夜ご飯のお店へ向かう。
新国立美術館に行くたびに前を通ることになるのでずっと気になっていた、六本木 魚金を予約していた。

16時に美術館に入り、出たのは19時過ぎだったので、3時間以上立ちっぱなしだったことになる。その上お店がミッドタウン側にあるため結構な距離で、10分くらい歩くことに。私たちもしかして結構疲れてますよね、と、くすくす笑いながらひたすら歩いた。あとから考えればタクシーを拾えばいい話なのだけれど、その発想にならないあたり、2人とも山の中の大学に通っていたころの根性が残っているっぽい。

案の定、お店に入って椅子に座ったとたん、お尻に根が生えたみたいになってしまった。あーもう立ち上がれない、と言いながらメニューを開き、普段は二人ともビール派なのに、迷わずレモンサワーを頼む。酸っぱいもので回復したかったのだと思う。
レモンサワーにやたら種類があって、私はビターを、Nさんは英国式を頼んだ。こういうとき、はちみつ、とか、塩レモン、とかのわかりやすく絶対美味しいものを頼まず、「おもしろそうだから」と言って得体のしれないものにまっしぐらなのがNさんである。好きだ。
提供時に、英国式って何ですか、とお店の人に聞いたけれどよくわからず二人とも理解をあきらめる。ややオレンジっぽい色をしていて、中に沈んでいるレモンの切り方が少し複雑だった。おいしかったらしい。

俄然お腹がすいてきて、いろいろ頼んだ。名物らしき刺身盛り合わせは量が多そうだったので避けて、生魚を食べたい欲はなめろうとマグロの漬けで満たすことにする。それと店員さんにおすすめされたホヤ酢。揚げ物も食べたいですね、と言って私がカニクリームコロッケを提案したら、Nさんが目をキラキラさせながら「揚げ物いいね! 牡蠣好き? カキフライも頼もう! あ、ハムカツもおいしそう!」と言い出してアッ好き、と思った(全部頼んだ)。
料理が来るのが早くてカウンターの上にずんずん並び、ふたりなのに大宴会みたいになる。パーティーだ!

レモンサワーはあっという間になくなってしまって(なにしろ喉が渇いていた)、すみやかに日本酒へ移行した。
辛口のお酒をください、と言ったら日高見の、初めて飲むやつが出てきた。一口飲んでみると、辛口すぎてほぼ水である。なんかいい香りがして料理がおいしくなる魔法の水(アルコール入り)。キリッと冷えた魔法の水とさくさくの揚げ物や、マグロの甘い脂の組み合わせが悪魔的である。

実はホヤを食べるのが初めてだったのだけれど、不思議な体験だった。プラスチックみたいにあざやかなオレンジ色。口に入れて噛むとじゅっとつめたい水が出て、海の味。でも潮の気配だけでなく何か不思議な風味もあって、ホヤの味。海味でホヤ味。めちゃくちゃおいしいのかというと正直そうではない気がするけれどなんだか手が出る。今後お店で出会ったらまた頼んでしまうと思う。

食べたり飲んだり、今しがた見てきたヒグチユウコ展の反芻をしたり、Nさんが最近飼い始めた猫の写真を端から見せてもらったり、忙しく過ごす。
お腹がくちくなってきて、なんだか甘いものが欲しいね、と言い合ってメニューを見るも、特にデザートらしきものが見当たらない。それじゃあもう一軒行くしかないわね、という話になった。

3.苺を飲んでライムを齧る

胃が大人になってから(婉曲な表現)、外食をしていて2軒目に行く、という展開がめっきり減っている。最初のお店でおいしいものをたくさん食べて満足してしまうせいだ。それにパンデミックが始まってからは外食を一緒にする相手がたいてい夫になり、2軒目に行かずともいくらでもおしゃべりができる、という状況だったこともあって、めっきりはしご酒から遠ざかっていた。

なのに今日は昼も夜もはしご酒をしている。楽しい!

にやにやしながら、グーグルマップを見ていちばん近くにあったバーに向かう。デザート代わりに甘くて濃いお酒が飲みたい。

たどりついたお店ーは地下にあって、階段に養生テープが貼ってあった。降りていくと通路を挟んで、改装中のがらんとした空間と特に看板も出ていない、バーらしきお店。
これ入って大丈夫なやつ? と思っていたらガラスの扉が開いて、どうぞどうぞー! と招き入れられた。思いのほか店員さんのテンションが高い。

中は思ったより広くて、先客がひとりとお若いバーテンダーさん、さらにお若いスタッフの方。
広々としたソファ席が居心地よくて、少しホッとする。
苺を使ったマティーニ、こっくり甘いペドロヒメネスと飲み進めながら、さきほど物販で購入したグッズを見せ合う。二人で5つカプセルトイを購入していたのだけれど、そのうち3つがセバスチャンだった。かたつむりに愛されているね、と笑っているうちにいつのまにか旅行に行きたいという話になって、いつのまにかNさんが宿を取っていた。話が早い。
大阪と東京から、それぞれサンダーバードと北陸新幹線とで、富山に集合する予定。楽しみ。

そうこうしていたらカウンターの方で歓声が上がった。WBCで日本がチェコに勝ったらしい。お店からのお祝いです、とショットグラスが差し出される。港区(偏見)!!
皆で乾杯して、くっ、と飲んだら思いのほかまろやかで、とろりとした液体だった。フランスのウォッカとのこと。喉の奥が熱い状態で添えてあったライムを齧ると、きゅっと酸っぱくておいしかった。夜遊びの味がする。

夜も更けたので、2杯+振る舞いウォッカで退散。お会計が明朗すぎてびっくりした。
宿にたどり着き、なんとかシャワーを浴びて、こんこんと眠る。



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