学校はただの「無料学習サービス」

学校は、便利なものです。
国民全員がもれなく学ぶことができるこの国のシステムは実際素晴らしい。
それは大人になって読み書き計算が当たり前にできることの有り難さを、実際私たち大人は改めて感じることもないほどに。
お金のあるなしに関係なく、全ての人たちが学校で勉強してこれることは、本当に幸せなことです。

学校はそもそも強制的に行かされるようなものではなく、国民が受け取れる学習経験無料サービスでしかない。
こどもの不登校に悩むくらいなら、捉え方を気楽に変えてみては。


学校に行かないと不良になるだとか頭悪くなるだとか世間体が悪いだとか余計なバイアスがかかって、いつのまにか大人がそんな無駄な価値観にどっぷりハマってこどもを縛っていませんか。

学校に行くのが「正しい」という思い込み、それって、(それが良い悪いの論点は置いといて)その意識を持っているだけで不登校のこどもを苦しめていますよ。

こどもが学校に毎日楽しく行けば笑って送り出し、
こどもが学校に行きたくない日は「そんな日もあるよね」と笑って留守番させ、
こどもがいよいよ毎日学校に行きたくなくなったら、こどもと同じ立場で一緒になって学校をディスっても良いんです。
学校から逃げ出したら、警備をかいくぐれたそのスキルを褒めてあげればいいんです。
宿題をしないなら、したくなるような面白い宿題じゃないことが悪いんです。

こどもを見下さないでください。
こどもをガキ扱いしないでください。
それはこどもを「悪者」にしてしまっています。
大人は正しい、こどもは未熟なんだから間違ってる、そんなわけはないんです。
こども自身の話なのだから、こどもが正しいんです。自分のことは自分がどう思うかがすべてなんです。

こどもは親に忖度はするけれど、親の言う通りにはなりません。親が学校を否定しようが肯定しようが、こどもにはこどもの意思と意見は必ずあります。
表出するかしないかに関わらず、自覚できているかにも関わらず、必ずこどもなりの考えがあります。それは感情として本人に必ず湧き上がって心を占めています。

こどもの考えが学校に対してNOとしている内は、学校は悪いものなんです。
そして、実際学校がYESであるわけでもありません。前述の通り、学校はただのこの国の便利なシステムなだけです。
知識と社会性の学習、運動能力育成と友だちづくり、学校のその役目は多岐にわたって本当に便利です。だけど、それだけです。そういうものであるだけで、そこに行く行かないに正義は関係ないんです。

こどもが学校に行かない理由は様々だし、こどもにとって担任がアウトなら、公立校ではもう家庭の努力ではできることはありません。ただ担任ガチャにはずれただけ。けどそれがこどもにとって、そのハズレくじをがまんして受け入れなくてはならないような重い運命なわけがない。小学生で人生詰んでたまるか。

こどもの前で、大人が大人の味方をしないでください。
こどもの前で、親が自分の敵である担任や学校の肩を持ったり味方である姿勢を見せてしまうと、こどもの心は傷つきます。
パワハラ上司と同じ。
周りからどう見えていたって、ハラスメントを受けている立場ではどうしてもその場所もその人もがまんできないのです。

こどもだからとか学校だからとか、こどもだけがまんを強いられるのはただの理不尽であって、その経験は必ず大人になってからのその子の心に影響します。学校に行かない以上の深刻な事態に…強烈な自己否定の沼にはまった人生になります。

そこまでの沼にこどもを落とすくらいなら、学校なんて行かなくても問題なくないですか。

学校行かすな、という話ではなく、親がこどもの立場と考えを軽く見て大人が全部正しいという立ち位置でいると余計行かなくなるから、親の気持ちをもっともっとゆるくだるだるにしてみませんか、という話。

発達障害があっても、同じ。
学校で学習できない間は、この子は何でどう学んだら楽しいかな、お母さんも一緒に縄跳びダイエットしようかなって、遊びゴコロで不登校を笑って過ごすんです。

そうされた子は、その後の人生、納税額が莫大になるよ。自分が行かなかった学校に、納税で大量に恩返しする、なんて面白くて楽しい人生になる。

そうなると「ありがとう不登校」ってことになる。あのとき学校行かなかったからいまの自分がある、ってこどもが将来思えた時、最強。