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もはや曲というより物語。モノクロデッサンを本気で語るので聞いてほしい

ももいろクローバーZが、結成日である5/17にセルフリメイクアルバム第2弾「ZZ's II」を配信でリリースした。「ZZ」は「だぶるぜーた」と読み、有安杏果の卒業で4人体制となったももクロが、5人時代(一部6人時代)の曲を4人ver.にリメイクして歌う楽曲に付けられる記号である。

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もともと「ももいろクローバー」という名前で6人で活動していたももクロは、早見あかりの脱退と同時にグループ名をももいろクローバーZに変えた過去がある。1人メンバーは減ったけど、代わりに「Z」がついたという話。

4人になった時は、グループ名は変わらなかったが4人ver.にリメイクした楽曲は「ZZver.」と銘打っている。つまり、メンバーが欠けるごとに「Z」が増えるという仕組みになっているのだ。

Zとはご存知アルファベットの最後の文字であり、これより上位のものは存在しない「究極」という意味がある。一方で「Z級」のように「これより酷いものはない」という反対の意味を表すこともある。

欠けるごとに両極端の意味を持つ「Z」の文字が増えるのは、なんとも覚悟を感じられておもしろい。その後の結果次第でどちらの意味に取られてもおかしくないということだ。

ももクロは、こんなふうに随所に「意味がある」グループであり、その真意は公式には明かされていないことが多い。上記の「Z」に関する考察も個人的なものである。そのため、さまざまな「意味」を考えることができ、語りシロがあっておもしろい。

そんな語りシロがあるももクロ。今回は、この「ZZ's II」に収録されたモノクロデッサンという曲について語りたい。この曲が4人で歌われるということにとてつもない意味がある。これは語らずにはいられない。

モノクロデッサンというひとつの思い出深い曲に対してブログを書く。ただし、これはもはや曲の感想ではない。ももクロという壮大な物語の感想であり、ファンである僕の感謝の意でもある。

これだけは先に言っておきたい、結成13周年おめでとう。本当にももクロと出会えてよかったです。それではお付き合いよろしくお願いします。

モノクロデッサンとは

まず、モノクロデッサンとはなんなのか?という振り返りをしておきたい。モノクロデッサンとは、2016年2月17日に発売されたももクロの3rdアルバムの3曲目に収録された楽曲である。

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公式サイトより画像引用

人生を真っ白なパレットに例え、さまざまな色と出会いながらキャンパスに色を落としていくという歌詞になっており、メンバーカラーが見事なまでに美しい表現で歌われている。

2018年1月21日の有安杏果の卒業ライブで、5人で最後に歌った曲でもあり、ファンにとってもももクロにとっても大事な曲である。5人で歌うことに「意味」があった曲であり、これ以降はももクロとしては歌われていない。

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音楽ナタリーより画像引用

4人体制のももクロ

有安杏果の卒業により4人になったももクロは、2018年5月には東京ドームで10周年ライブを成功させ、9月にはミュージカルにも挑戦。

1人減ったことで心配されたパフォーマンスもメンバーの驚くべき成長やファンの支えで乗り越え、2019年の5月には5thアルバムを発売、同年8月には明治座で大江戸ミュージカルも成功させた。

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音楽ナタリーより画像引用

もちろん、定番の春、夏、冬のライブに加え、全国都道府県を回る青春ツアーの完走、夏フェスにも参戦しながらである。どれだけの努力が裏にあったのか想像しただけで目頭が熱くなる。

4人になった当初は、「この曲は歌われないだろうな」と思う曲もあった。有安杏果はパワフルな歌唱力でファンを魅了しており、印象的なフレーズがたくさんあった。その部分を技術的に歌えるのか?という曲(灰とダイヤモンドなど)や、有安杏果のイメージがあまりに強すぎる曲(ゴリラパンチ)などがそれであり、ファンとしては「いつかは…」と思いながらも「すぐには難しいだろうな」と思っていたのが本音のところだった。

これは、4人を低く見積もっているというよりは、1人欠けることがあまりにショックな出来事だったので、4人に何かを求める気持ちになれなかった。有安杏果卒業ライブで、あそこまで辛そうにしているメンバーを見たことなかったので「そんなにがんばらなくてもついていくよ、安心してほしい」と言いたかった。少なくとも僕はそういう気持ちだった。「ほら、4人になったからここが物足りないじゃん!」なんてジャッジは微塵もするつもりはなかった。続けてくれるだけで嬉しかった。

だた、この"優しさのようなもの"は結果的に失礼だった。過保護ってやつだ。そんな心配を他所に、ももクロは早々と「灰とダイヤモンド」や「ゴリラパンチ」を歌い、新曲までリリースしていった。とても1人減ったとは思えない存在感。予想を超えるスピードで4人体制を築いていった。

モノクロデッサンというタブー

今の4人が最高。ももクロはいつだって今が最強。

誰もがこの言葉を"つよがり"とか、"慰めの感情"なんて1ミリもなく言えるようになるまで時間はかからなかった。これは今振り返ってもすごいとしか言いようがない。そんな中で、ある種タブー視される曲があった。それがモノクロデッサンである。

ももクロ人気企画のひとつに、ファン投票でセットリストを決めるという企画がある。2019年10月に開催されたファンクラブイベントで、この人気企画が復活することになった。そのファン投票でモノクロデッサンが5位に選出されたのだ。

まさかのモノクロデッサン。いや、曲の人気を考えると当然か。5人のための曲と捉えてた人からは「なぜ投票するのか」という声もあがった。他のリメイクした曲のように「普通に歌えばいいのでは?」という声もあがった。「歌詞を変えて歌えばいい」という声もあれば「この曲だけは歌詞を変えてはいけない」という声もあった。さまざまな意見が飛び交い、ファンの間で話題になった。

4人でモノクロデッサンを歌うのか?

ここに注目が集まった。
2019年10月19日、ライブ当日ファンは固唾を飲んで見守った。

結果を言うと、この日モノクロデッサンは歌われた。歌詞の変更のなかった。そのままで歌われたのだ。

ただし、歌ったのはももクロではなかった。美魔女クローバーZという、ももクロに関係のある5人で結成されたグループにより歌われ、ももクロたちはそれを笑顔で見守ったという。この瞬間、モノクロデッサンはやっぱり4人では歌われないんだな、とファンは思った。モノクロデッサンは封印されたのである。

その後、あーりんのソロコンサートで手話を交えて歌われた。いずれにせよ、4人のももクロでは歌われなかった。

モノクロデッサンはなぜ特別視されるのか?

なぜモノクロデッサンはここまで特別視されるのか?メンバーカラーを歌った曲だから、というだけでは納得いかないのもわかる。歌詞からやめたメンバーを想起させる曲は他にもあるからだ。

例えばピンキージョーンズはメンバーの名前が歌詞に入っている。が、この曲は歌詞を変えることなく歌われ続けている。(超好きな曲)

アカリ 照らせ どこまでも
シャイニー くもも、かがやくよ

ももクロを去った二人の名前。この部分は、当時は当然本人が歌っていたが、今はあーりんが堂々と歌っている。ある配信ライブでは「辞めた人たちのところ歌ってらw」と笑いながら話してたので、完全にカジュアルに捉えているのがわかる。

また、歌詞や曲調さえも変えて生まれ変わった曲もある。自己紹介ソングとして歌われていたZ伝説 〜終わりなき革命〜がそれだ。

Green! チビだからって なめんな
歌も ダンスも 誰にも 負けないぜ

さすがにこの歌詞を他のメンバーが歌うのは無理があるだろう。なので歌詞を変え、タイトルもZ伝説 〜ファンファーレは止まらない〜として大幅に生まれ変わっている。

なので、モノクロデッサンも歌詞を変えるなり、他のメンバーが歌うなりして歌えばいいのでは?という意見が出てくるのも当然だ。なぜ、モノクロデッサンはそうならなかったのか?

希望に涙を足して 緑の色が出来る
疲れたら一休みして また歩き出せばいい

これがモノクロデッサンの緑の歌詞。希望とは玉井詩織の黄色のことであり、涙とは脱退した早見あかりの青である。黄色に青を加えると緑ができる、という美しすぎる歌詞。

でも、この部分だけ見ればピンキージョーンズの例からもわかるように他のメンバーが歌っても「過去に緑のメンバーがいた」ということで問題ないように思えるし、Z伝説のように歌詞を変えてもいいのでは?と思う。

しかし、この曲にはそれができない理由があった。それが次の部分だ。

どの色が欠けても この夢の続きは描けないから

そう、この曲がリリースされた時点では、誰もがそう思ってた。だからこそ多くのファンが共感し、この曲に惹きつけられた。しかし、事実として緑は欠けてしまったのである。

意味がありすぎるのだ。この部分に意味がありすぎる。それ故に、変えずに歌うと違和感を感じてしまうし、変えてしまっても緑をなかったことにしているようで歯切れが悪くなる。

当時、このフレーズを5人で歌うことで我々ファンはグッときていたのだ。

1950年代のアメリカでロックスターとなったエルヴィスプレスリーは反骨の象徴として多くの人を惹きつけた。それが徴兵制により、軍隊という「体制側」にいくことで求心力を失った。

完璧すぎるものは人を強く惹きつけるけど、それが崩れた時の代償が大きいのだ。モノクロデッサンはあまりに完璧すぎたのだ。

モノクロデッサンはどのように歌われたのか?

では、今回のアルバムでモノクロデッサンはどのように歌われたのか?ようやく本題である。

結論から言うと、歌詞を変えて歌われた。すばらしい歌詞変更にファンは歓喜した。僕も新しい歌詞を聴きながら泣いた。

ただ、それだけではないと多くのファンは思っているはずだ。単に歌詞を変えただけではこの感動は起こらない。それを今から説明していきたい。

まず緑パートが大きく変わった。

情熱に光が差して ピンクの色が出来る
涙拭い桜並木 胸に秘めた恋心

緑ではなく、ピンクを歌うパートになった。これについては後ほど掘り下げるとする。

問題は、「どの色が欠けても この夢の続きは描けないから」の部分がどう変わったか?だ。新しい歌詞はこれだ。

どの色が欠けても この夢の続き描けてないから

「描けないから」から「描けてないから」に変わった。

「この夢の続き 描けてないから」

文脈を読めば、これはcan'tではなくgoingだ。つまり、描けている。現在進行形になっている。少し変えるだけでこれほどまでに伝わり方が変わってくるとは…日本語はなんて美しいんだろうと感動せずにはいられない。

ただ、言葉の置き換えもすばらしいが、1番すごいのは別のところにある。それが「説得力」だ。

「描けてないから」に込められた説得力

「描けてる」と言えるのは説得力あってこそ。4人になってからの3年と少しの年月での活躍があってこそ、初めて言える言葉だと言える。

これが4人になってからすぐの変更であれば、悪く言えば「言葉遊び」とも捉えられかねない。3年かけたことには意味があった。ここにこの曲の、ももクロの物語性を感じてしまうのだ。

続く「いろいろとあるけど めげずにゆくのさ」は「いろいろあったけど めげずにゆくのさ」に変更となっていた。過去をなかったことにしない、タブーを作らない姿勢は本当にかっこいい。

最後も「この星と 大空を彩る」が「この先も 大空を彩る」に変わり、13周年の記念日に先の活躍を約束してくれて終了。すばらしい形でモノクロデッサンを蘇らせてくれた。これを物語と呼ばずしてなんというのか。モノクロデッサンは物語である。

過去は塗りつぶされたのか?

緑のパートがピンクに変わり、現在もこれからも、ももクロは続いていくという形で新しいモノクロデッサンは蘇った。

では、過去に在籍したメンバーカラーはどうなったのか?青を象徴する涙というワードは残されているが、緑は完全になくなっている。これについて考えていきたい。Cメロ部分が大きく変わっているところから考えてみる。

まず、旧モノクロデッサンのCメロの最後で「春よこーい!!!!」と歌われていた。この部分が新モノクロデッサンでは「よってこーい!!!!」に変更されている。(他にも大きく変わっているが今はここにフォーカスする)

そして前述した緑パートから変更になったピンクパートで「涙拭い 桜並木」と歌われている。つまり、旧モノクロデッサンは春がくる前、新モノクロデッサンは春がきた後ということになる。季節が進んでいるのだ。

つまり、この2曲は旧曲をリメイクして塗りつぶしたのではなく、新しい季節に別で歌われたと考えることができる。旧モノクロデッサンはなくなったわけではないのだ。

さらにもう一歩踏み込んで考えたい。

涙拭い桜並木 胸に秘めた恋心

この部分、胸に秘めた恋心とは、一体誰に向けられた恋心なのか?

涙は繰り返しになるが青色を担当していた旧メンバーの早見あかりのことである。では桜並木とは何か?僕はこれが有安杏果を指しているのではないかと考えている。

2018年1月に「普通の女の子として過ごしたい」と芸能界を引退した有安杏果は、1年とちょっとの休養期間を経て表現活動の場に戻ってきた。そして1年の準備期間を経て、ソロアーティストとしてミュージックシーンに戻ってきた。

そのとき、開催された初のソロライブが「サクライブ」であり、ツアーにおろした新曲が「サクラトーン」だったのだ。有安杏果の再始動には桜、つまり"春"がキーワードになっていたのである。

そう考えると…「涙拭い」は去っていった早見あかりのことを。「桜並木」は有安杏果の再始動を謳っているのではないか…と考えることができる。考えすぎだろうか?

改めてではあるが、ももクロは今が最高であり、今の4人が最強である。あからさまに旧メンバーのことを歌うわけにはいかない。

でも、モノクロデッサンでは「どの色が欠けても この夢の続き 描けてないから」歌っている。となると、曲のどこかに探してしまう。ももクロの要素となった旧メンバーの姿を。だからこそ「胸に秘めた恋心」なのではないか。

季節の違いと、旧メンバーのことを胸に秘めて想いを寄せている。このことから、旧モノクロデッサンを塗りつぶしている、無かったことにしているとは、僕は到底思えない。

みなさんはどう思いますか?

最後に

以上が僕のモノクロデッサンへの考察である。もはや曲への感想ではなく物語だというのがわかっていただけたのではないかと思う。

「この夢の続きは 描けないから」が「この夢の続き 描けてないから」に変わっただけど聞くと、うまく言葉を選んだな、というように見えると思う。

だけど、そこに3年以上の月日をかけ、誰もがももクロは4人で夢の続きを描いてると思わせてこそ成り立つものである。

この曲を聞くと、自分自身を重ねてしまう。僕自身も、過去にいろんな人と出会い、別れてきた。中には触れられたくない後味の悪いものもある。けど、その全てが今の自分を形成してるってことを忘れてはいけないし、ももクロのように大切に胸に秘めておきたいな、と思う。

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ももクロが世界にいろんな色を落としてくれるので、今日も僕の人生は彩られてる。ももクロに出会えて本当によかった。

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