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私がコラムを書く理由(苦しかった過去の話)

なぜ、私が看護師であることを公表して
コラムを書いていきたいと思ったか
それは"私の経験や考え方が、同じ境遇の誰かの役に立つかもしれない"と思ったから。


この先、自身の話になります。

私は看護師として働いて今年で11年目。
国家試験をギリギリのラインでどうにかクリアして幼い頃からの夢だった看護師にようやくなれた。憧れていた都会(都会ではなかったけれど笑)に1人暮らしを始め、近くの病院に就職。
実習でやり甲斐を感じた脳神経外科を希望し、その通りの配属になった。


そこに、大好きな先輩がいた。
元々他人軸だった私は、看護師になったことで更にその考え方に拍車がかかり、先輩から見捨てられないように、諦められ無いようにと、本当に必死だった。先輩の言うことは全て正しい、と本気で思っていたし、他の人の言葉が入ってこないほど先輩のことを信用していた。

先輩が循環器に異動して、少ししてから私も同じ場所に異動命令が。患者さんの状態もかなりシビアなCCU(循環器集中治療室)での仕事は本当に辛かったし、こわくて仕方がなかった。正直私には不向きだったし、すぐ辞めたかったけれど"先輩に認められたい"が私の原動力だったから、毎日着いて行こうと必死だったし、褒められることが何より嬉しかった。

でも"頑張る"は長く続かず、心がどんどん疲弊していった。心電図のアラームが鳴るだけで身体が硬直して、動けなくなる。家に帰ってもずっと頭の中で心電図の音が鳴り止まない。
大好きだった先輩や上司からも怒られてばかりで、いつも怯えていた。言われたことは、今でもはっきりと覚えている。明日は仕事だと思うと涙が止まらず、電車を見ると「このまま線路に落ちたら死ぬのかな?」と漠然と考えてたりしていた。そうしているうちに、仕事に行けなくなり、急性ストレス障害の診断で休職することに。

食べる、寝る、お風呂に入る、日光を浴びる
ひとつひとつがこんなに幸せだったんだなあと気づいた。一緒に働いていた同期が、心配してご飯に連れ出してくれた。何で助けてって言わなかったんだろう、と思った。実家の家族は、何も言わずに受け入れてくれて「しーこ(家での呼び名)は、しーこのままでいいんだよ」と言われて、涙が止まらなかった。

あれから5年以上経ち、今は脳外科急性期で毎日楽しく働いている。上司や先輩後輩にも恵まれて、忙しくも毎日楽しい。
看護師は、患者さんを救っているようで、逆に救われているのよ。と過去に上司から言われたことがあり、今もその言葉が忘れられない。
やっぱり看護師という仕事が大好きだ。


休職する少し前、同じく看護師として別の病院で働く友達から「しぃちゃんそのままじゃ潰れちゃうよ」と、自己分析を勧められた。
これが、今の私の原点。きっと今も読んでくれていると思う。あの時の私を救ってくれたこと、本当に感謝しているよ。

あの頃の私は、どれだけ他人軸で、どれだけ自分のことを知らなかったのだろう。
自分がやりたいことも、心の声も、全て無視して
他人がどう思うか?で生きてきたから
自分の好きなことが何かも忘れていた。
そして"頑張る"を手放すことができなかった。

自己分析をしながら、心理学やカウンセラーさんの本をたくさん読み、パズルのピースを埋めるみたいに少しずつ自分のことを知って考え方を分析した。

看護師である以前に私は私という人間。
生きているだけで素晴らしく価値がある唯一無二の存在。それを奪う権利は誰にも無い。
"私なんて"じゃなくて"私だから最高"なのよ。
こんなふうに、自己分析の先に自分を愛するという考え方を見つけた。

看護師という職業は、命を背負う崇高な仕事。
それだけではなく、人間関係の難しさに悩む人が多いのも事実。どこにでもいる、私のような看護師の考え方で誰かの心を救えたら。
そんな思いで今後もコラムを書いていくので、通りすがりでも、たまたまでも、読んでくれたら本当に嬉しいです。


深夜にどうしても書きたくなって、過去を思い出しながら書かせて頂きました。感情で書いた部分もあり、普段と違う書き方になってしまったのですが、ここまで読んで頂いたことに感謝致します。

それでは、次回のコラムでお会いしましょう🕊️





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