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映画『ドリームプラン』 ラストで分かるビーナスの真価とその道のり


1. 原題は" King Richard "

 ― 我が子をテニスの世界チャンピオンにすると決めたリチャードは、娘達が生まれる前から78ページにも及ぶプランを用意していた ―

 これが物語の前置きである。『ドリームプラン』というタイトルとあらすじからして、作中でプランの詳細が明かされるのかと思いきや、その具体的な内容についてはほとんど触れられない。それもそのはずで、原題は" King Richard "だ。

 たしかに、本作で描かれているリチャードはまるで王様である。ビーナス本人も、本作の製作にあたって過去を振り返り「私たちはほとんど洗脳されていた、テニスの練習をさせてもらえないことが罰だった」と言っている。毒親に育てられた子どもの台詞だ。作中でも、近所の人から虐待を疑われ児童相談所に通告される場面がある。

 実際のところ、リチャードのやり方が上手くいったのは、ビーナス達本人の才能とやる気によるところも大きいだろう。そういうわけで、本作についてはリチャードに焦点を当てたビーナス姉妹の伝記映画と捉えて、あまり一般化せずに考えたい。

2.リチャードの信念の力

 リチャードの親としての特筆すべき点は、彼の信念の強さにあると感じた。娘達の才能と将来を信じる気持ちである。

 彼の信念こそが、娘達を厳しい環境から守り、その才能を無駄にさせなかったのだと思う。

 彼らの住むコンプトンはアメリカの中でも最も治安の悪い地域として知られている。ビーナス達の明るさとは対照的に、町には暗い空気が漂っていた。リチャードもビーナス達に絡む不良を注意して度々激しい暴行を受けている。子どもが将来に希望を抱き、努力しようと思える環境だとはいえないだろう。

 しかし、完璧なプランに裏打ちされたリチャードの自信は、娘達に不利な境遇を理由とした諦めや劣等感を抱かせなかった。

 リチャードは時に体を張って娘達を守っていたが、彼の信念の強さもまた、彼女達の精神を厳しい環境から守っていたのだと思う。娘達の才能を信じて疑わず、決して後ろ向きなことを言わないリチャードを見ていると、彼女達が人種差別や貧困による不利な境遇にあることを忘れてしまいそうになった。

 幼い頃、父親にすら守ってもらえず、誰からも敬意を払われなかったというリチャードが、同じ思いをさせまいと厳しい環境から娘達を守る姿には娘達への愛を感じた。

3. 窓からではなく、正面の門から入る

 リチャードの黒人差別に対する反骨精神も見どころの一つだ。

 ジュニアの大会で優勝を重ねるビーナスの元に巨額のスポンサー契約が持ちかけられる。ビーナスの境遇を特別視して称賛するエージェントの言葉の背景にあるのは、「黒人の一般家庭の少女がテニス未経験の親の指導でプロになるなんてあり得ない」という常識であり偏見であった。

 とはいえ、彼らがビーナスの才能を認めていることに違いはなく、その額も申し分ないものだった。オファーを受ければ、手厚いサポートが期待できる。

 しかし、リチャードは素っ気ない態度をとり、独断でそれを断る。せっかくの限られたチャンスを棒に振るのだ(この点についてのオラシーンとの喧嘩も重要だ)。

 「せっかく窓が開いているのにチャンスを見過ごすのか」 と言うコーチの言葉にリチャードは 「黒人が窓から建物に入れば、問答無用で銃で撃たれるだろう」と返す。同じ行為であっても、白人と黒人では見られ方が大きく異なるのだ。

 白人中心のテニス界では、黒人の少女というだけで良くも悪くも大きな注目を集めることになるだろう。その境遇を引き合いに高い評価を受ける一方で、人種差別に基づく中傷を受けたり、白人であれば問題視されないようなことまで問題視されかねない。そういったプレッシャーや差別と闘うには、年齢的にもまだ早いと判断したのかもしれない。

 そしてリチャードは「窓からではなく正面の門から入る」と宣言する。彼のプランは、ビーナスを大会に出場させず、ひたすら練習して機が熟すのを待つというものだった。

4.勝つことが全てか

 テニスの世界チャンピオンになるまでの定石は大会に出場して優勝し、企業とスポンサー契約を結んでさらに成績を積み重ねていくといったものである。

 プロ入りの定義は国によっても異なるが、日本でもプロのテニスプレーヤーになるためには、大会で成績を残してポイントを積み上げ、ランキング上位を維持しなければならない。つまり、大会に出て試合に勝たなければ道は開けないのだ。

 ビーナス達の先駆者的存在として登場したカプリアティもまた神童であり、父親からテニスの英才教育を受け、1990年に13歳という若さでプロに転向している。そして、16歳にしてオリンピックに出場し金メダルを獲得した。

 しかし、93年の全米オープンでの一回戦敗退を最後にテニスから遠ざかり、本作でも触れられているように薬物所持や窃盗を始めとした問題行動が報道されるようになった。

 13歳にして世界中の期待を背負うプレッシャーは相当なものだっただろう。
 カプリアティの悲劇はいわゆる燃え尽き症候群(バーンアウト症候群)の典型例としても有名である。現在では、その反省を活かして14歳未満はプロの大会に出場できないというカプリアティ・ルールが定められている(カプリアティはその後復活を果たしている)。

 多感な時期に天才少女として高い評価を受け、世間の期待に晒されれば「勝たなければ自分には価値がない」と思いこみ、プレッシャーに押し潰されてしまうのも無理はないだろう。

 たしかに、前述の通りプロのテニスプレーヤーを目指すうえで試合で勝つことは重要である。

 リチャードやビーナス達がジュニアの大会で目の当たりにしたのも、勝つためにビーナスのボールを(アウトでないのに)アウトだと主張する選手や、負けた娘を責める親だった。勝つことが全てなのだ。

 しかし、勝つことだけが目的になってしまうのは危険だ。アイデンティティを支える柱が勝つことだけになってしまうことは、反対に、勝てなければ自分を支える柱がなくなってしまうことを意味する。

 リチャードが学業をおろそかにさせなかったり、無闇に大人の世界に引きずりこまずインタビュアーからビーナスを守ったりしたのも、こういったリスクから娘を守るためでもあったのだろう。

 大人顔負けの才能を前にすると、相手がまだ子どもであることを忘れてしまい、つい無責任な期待を押し付けてしまいがちである。大人を子ども扱いすることが相手の尊厳を傷つけるように、子どもを大人扱いすることもまた、その尊厳を傷つける恐れがあることを忘れずにいたい。

5.敗北の意味とビーナスの真価

 試合前日に打診されたナイキからの大口契約を断り、賭けにでる形でビカリオとの試合に挑むビーナス。練習ではプロのコーチを差し置いて口を挟んでいたリチャードが物陰から静かにビーナスを見守る姿も印象的だった。

 しかし、戦況の芳しくないビカリオは長すぎるトイレ休憩をとりビーナスの心を掻き乱す。
 結果、ビーナスは負けてしまう。期待に応えられなかったと悲しむビーナス。

 しかし、スタジアムを出ると多くのファンがビーナス達を出迎え、熱い喝采を送るのだった。
彼らは、実力で勝負し、正々堂々としたプレーを貫いたビーナスに敬意を表しているのだ。ビーナスという人間の真価は、勝つことだけではなかったのだ。

 敗北したことによって「世界中の人間がお前達に敬意を払う」というリチャードの言葉の本質が形になる素晴らしいラストだった。
 また、エンドロールで流れる実際のビデオや写真から俳優達の演技力の高さや演出のリアリティが分かり、物語の説得力を増していた。

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