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『空洞のなかみ』(松重豊)

”俳優本”が好きでよく読む。面白い。

僕が好きな俳優本の中で言うと、例えば柄本明の『東京の俳優』なんかは絶品。ユーモラスな語り口で荒唐無稽な俳優人生が綴られる。
堺雅人の『文・堺雅人』なんかもおすすめ。あのヒョロヒョロっとした、それでいてナイーブな感じが文体に出ててイイ。
山崎努の『俳優のノート』は割合演技論に傾いた本。一人の老俳優が一本の舞台に向き合う姿そのままに描かれている。このレベルの俳優でも、自分の芝居に不安を感じ、悩み、イラつき、それでも芝居が楽しくてしょうがないのか。一人の人間がちゃんと生きてる感じがしてすごく好きな本。
仲代達矢の『未完。』はまさに質実剛健で無骨な文体。ズッシリドッシリとした語り口。さすが大俳優。三船敏郎と酒の席で殴り合いの大喧嘩した話が好き。

それで、あの松重豊が本を出したんだから買わないわけにはいかない。

松重豊いいですよね。松重さん。
あのズングリした雰囲気といい、ムッとした表情といい。かと思えばチャーミングな困り顔を見せてくれたり。おっきい体に、掴み所のない存在感、ナマズみたいな俳優さん。素敵っすよね。

僕の中のBEST 松重's ACTINGはSansanのCM。
「それ、早く言ってよ〜」

そんな松重さんの文章が、これまた魅力的。
淡々とした言葉の中に、じっくりと情緒が織り込まれてる。それでいて軽妙。
もちろん、黙読する僕の脳内では、松重さんの低く響くあの声で文章が再生される。

『空洞のなかみ』は前半・短編小説集、後半・エッセイ集で構成されている。
短編小説集の一編目にあたる作品「バスのなか」がとてもいい。

舞台は京都太秦。端役として呼ばれた松重さん。撮影を終えて、楽屋を後にする場面。

帰る予定で詰め込んだスーツケースの中身を、再度楽屋のロッカーに戻しながら考えるのは午前中のセリフのことだ。たった三行。それっぽっちのセリフが出てこない。(中略)テストでは言えたのに本番で出て来ない。二度三度繰り返して相手役の若手に慰められる。「全然大丈夫っすよ。俺もよくやるんで」。黙れ、お前と一緒にするな。
詰め直したスーツケースを転がして俳優会館の階段を下りる。(中略)奥から舞台で共演したこののある後輩も侍姿で近づいてくる。思わず鞄から折りたたみ傘を出す振りをして目線を避けた。四十代も半ばで、何をやっている。自意識がもどかしい。演技事務の女性が「タクシー呼びますか」と問いかけてきた。笑顔で無視してゆっくり傘を差し、撮影所を後にした。ぼんやりと、廃業を考えている。

俳優の悲哀、中年の悲哀が凝縮された文章。

楽屋を後にしたがこのままでは帰れない松重さんは、せっかくだからと広隆寺へ足を運び、国宝・弥勒菩薩半跏思惟像を拝みに行く。
弥勒菩薩の前の畳に坐し、気づけば閉館時間。寺を出ると、受付係の老人に話しかけられる。老人曰く、弥勒菩薩はひび割れや腐敗を防いだり、火事の際に持ち運びやすくするために、中をくり抜いているんだとか。

「その空っぽの空洞に、いろんなもの入るようになってて、あんたみたいな人の愚痴もぎょうさん入るようになってますねん」
「はぁ」
「そいでもな、また別の人来たらまた空っぽのまんまや。またなんぼでも入るんや。ようでけてる。ある人に言わせたら宇宙ん中らしいねんけどな」
(中略)
「お兄さんのお仕事もそないなもんですやろ。いろんな役をやらはって、容れもんの中に入れたり出したり。」
答えに窮した。

何も返すことができず、微笑しながら「空です、無です、なんでも無いんですよ僕なんて」と自虐することしかできない。
そして去り際老人はこんな言葉を残していく。

「あ、そや、空っぽとな、無、ちゅうのは違うもんなんやで」
そういって老人は烏丸御池のバス停で降りて行った。
二つの言葉がぐるぐる回る。
あの日からか、自分の仕事がわからなくなった。

※実は松重さんのyoutuubeチャンネルがあるらしく、そこで『空洞のなかみ』の音読やってて。しかも僕の愛して止まない向井秀徳とのコラボも。最高の中の最高。ぜひ見てほしい。見ろ。


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