文化財保護は、「コスト」ではなく、「投資」

首里城の焼失は、非常にショッキングな出来事でした。

特に、私は無類の沖縄ファンであり、学生の頃から10回以上は行っているのではないかと思います。近年、一人でリフレッシュをしに、行くこともあります。(大学生の頃、一ヶ月、沖縄本島〜石垣島〜波照間島を回りました)

沖縄の文化・民俗が大好きで、首里城の展示は何度も行っていますし、沖縄県立博物館にも琉球文化の展示にも行ったこともあります。それくらい、独特な多様性のある文化、国王という存在がいた文化は私のツボを押さえています。

そういう個人的体験からも、今回の首里城の焼失は多大なるショックを私は受けています。再建にはまだまだ時間がかかると思いますが、また是非、新しい首里城を見てみたい強くそう思っています。

色々なことを考えました。文化財の保護のあるべき姿です。

改めて、沖縄に限らず、「文化」を保護し、活用することがこの国には問われています。

文化や地域資源は、ただ存在しているわけではないということです。言うなれば、当たり前ではないということです。文化や地域資源は保護しなければ、朽ちていくのです。保護には、多大な努力と費用を引き受けなければなりません。それはモノだけではなく、匠の技も含めてです。

国宝や重要文化財などを補修する小西芸術工藝社のデービット・アトキンソン氏は文化財の保存に対して、おざなりになっている旨を著書で述べています。

まさにそれが問われているのは間違いありません。

今までは許されてきたのかもしれませんし、お金をかける余裕も人材も限られてきたので。そして、莫大な税金をかけてというわけにはいかないということも分かっています。

しかし、時代は変わりました。インバウンド観光です。

文化財に対して、「価値」について述べるのを躊躇する部分はありますが、あえて言いたいと思います。

文化、地域資源の価値は、飛躍的に高まっていると。つまりは、コンテンツ価値が上がっているのです。

アイデンティティなど感情的な部分ももちろんのこと、経済的にも文化財保護・活用のあり方が変わってきたことを認識しなければなりません。あまりにも今まで無知・無関心でした。

コンテンツとしての文化財・地域資源を戦略的に保護・活用することが経済的にも、そして、誇りある地域感情にも資するという意味で、一石二鳥です。

これからの保護は、「コスト」ではなく、「投資」です。そのような発想の転換が必要ではないでしょうか。

徐々に動きがあることも確かです。観光税導入などですね。民間を含めて、このような取り組みに目を凝らし、知恵を出す。これからの観光立国時代に求められています。

文化は決してコストではない。改めて、そう思わせる出来事でした。

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