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秋色の雨

ぱらぱら、ぽつ、ぽつ

広い公園を散歩していると、頭の上から音が降ってきた。
生い茂る葉に何かがぶつかった音。

雨?

一瞬そう思ったが、足下を見て別の答えに気づく。

ドングリ......!

コンクリートの歩道には、至るところにドングリの粒が落ちていた。避けて歩こうとしてもパキパキと割ってしまう。
歩道の脇、大きな木々が並んだ土の上には、それはもう数え切れないくらいのドングリがぎゅうぎゅう寄り集まっている。

残暑にうんざりしていた9月中旬ごろは、まだ青い色のドングリを数粒、時々見かける程度だった。
10月に入った今は、ほとんどのドングリがしっかりと茶色に染まって、この森の秋色を深める手助けをしている。

ドングリの雨に嬉しくなって、落ちているドングリをなるべく踏まないようしながら観察した。
細長い形をしているので、おそらくコナラ。(一般的にドングリといって思い浮かべるのはこの形ではないだろうか。)
ツヤッとしたなめらかな表面は、一粒ずつ撫でたくなる。
帽子を被っている子もいた。枝付きの子、帽子をそばに落としてしまった子もいる。

ドングリの帽子が好きだ。
ころんとした見た目だけでも十分可愛らしいドングリに、さらに可愛さをプラスする重要なアイテム。

幼いころに母から「それはね、ドングリの帽子だよ」と教えてもらったときの驚きを覚えている。よく近所の公園で、帽子を被ったドングリを好んで拾った。

一粒ひとつぶの頭の大きさにちょうどよいサイズで乗っかっているそれらは、集めるために持ってきた袋の中で簡単に外れてしまう。
一度外れた帽子は、もう一度上手く乗せようと試みてもどうにもきれいにはまらず、歯がゆい思いをした。 

そういえば幼いころ、オンブバッタのおんぶが不思議で仕方なかった。
(オンブバッタは仲のよい親子の関係で、子を心配する母親が小さい我が子を背中に乗せてあげているのだと思っていた。)

好奇心に逆らえずに一度だけ試してしまったことがある。

親バッタの背中に乗った子バッタを、そっと指でつまんで下ろしたのだ。

子バッタがどうやって飛び乗るのか、もしくは親バッタがどうやって子を背中に乗せるのか、わくわくしながら見守っていた。
しかし、期待に反して親子はそれぞれ違う方向に向かって移動し始めた。

私はあわてて、子バッタをふたたびつまんで母親のすぐ横に下ろした。
何度か、それを繰り返したはずだ。
それでも親子は違う方向に舵を切り、どんどん離れていく。

言いようのない後悔が、胸に押し寄せた。
公園には他の子どもの姿もちらほらあったが、私の一部始終を見ていた者はいなかった。
後ろめたさが背中に張り付いて、その後もしばらく公園にいたけれど上手く遊ぶことができなかった。

大人になってから、オンブバッタは体の大きい方がメスで、上に乗っている小さい方がオスだということを知った。
仲のよい親子ではなく、仲のよい夫婦だったのだ。

思い出すたびに胸を痛めていたので、安心した。
オンブバッタを見かけるたびに、幼い私の秘め事を思い出す。


大きくなった私は、ドングリの帽子も、オンブバッタも、自然が生み出したバランスを崩さないようただ見守っている。

ドングリに話を戻すと、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』のお話が好きだ。
ドングリたちが、やいややいや騒ぎ立てる様子や、競いあう内容のくだらなさ(本人たちは至って真面目)は可笑しくて笑ってしまう。
同じ顔した無数のドングリが一斉に喋りだしたら、と想像するのも面白い。

いわむらかずおさんの絵本、14ひきシリーズの『14ひきのあさごはん』では、“どんぐりパン”が登場する。
やきたてのどんぐりパンの香ばしい匂いを想像しては、それを今から食べることができる彼らが羨ましく、大家族それぞれが個性豊かに朝ごはんを楽しむ様子にいつもうっとりした。

ドングリはあく抜きをしっかり行えば食べられるらしい。
ドングリの珈琲とか、どんなお味なのだろう?

未知の味を想像しながら、小さなねずみになった気持ちで、秋の景色を足下から楽しんでいる。


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