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4年を経て、アメリカ⑧

友人、友達というのは不思議なものです。
いつの間にかお互いの関係の中でできあがる。
互いに何か了解して成り立つものではないし、決まりがあるわけでもない。
そもそもそんな定義について考える必要もない。
気持ちや思いを伝えるのは言葉です。僕らは言葉で互いに思いを伝え合います。
それは正しい。でも一面的な正しさです。
それだけではない。言葉はあくまで方法の、オプションの一つにすぎない。
コミュニケーションの方法は言葉だけではないのです。
そのことをちゃんと思い出さなければいけない。
逆に言うと言葉だけのコミュニケーションでは通じ合うことができないのが人間なのだということ。人間のコミュニケーションの様々な方法の中で最後に出てきたのが言葉だったのでは、と僕は思っています。
実は言葉を使って言葉以上のコミュニケーションを交わすことも可能です。
それが出来る人のことを詩人といいます。詩人とは言葉を使って言葉以上のことを伝えられる人のことです。小難しい言葉を使う人のことを詩人と呼ぶような幼稚な国になってしまった日本では、そのことはやがて忘れ去れてれしまうでしょうけど。

話が逸れました。
僕らはアメリカに移住した時、一番心配したのは英語でした。言葉でした。
社会には様々なシステムがあります。システムを一番効率よく伝えるのは言葉です。異国で社会生活を営むにはその社会のシステムを理解しなければいけません。住民として暮らすにはどうしたらいいのか。自動車の免許を取るにはどうしたらいいのか。銀行口座を開くにはどうしたらいいのか。全て社会のシステムです。自分がその社会に参加するにはそれを正しく理解する必要があります。その時に一番便利なのが言葉なのです。言葉が理解できれば色々な基本的なシステムが理解できます。僕らが最初一番不安だったのは、異国の社会システムにちゃんと参加できるかどうかだったのです。人間というのは様々な道具を作り出します。その理解や伝達はネットやスマホ、パソコンがあればかなり簡単にできるようになりました。システムへ不安は言葉とテクノロジーによってかなり軽減されるのです。

ですが人間というのはシステムだけでは生きることができません。
人とのコミュニケーションやつながりがなければ死にます。
それはある程度は言葉で補うことはできますが、喜びや充足を感じるには言葉だけでは無理です。もちろん言葉も絶対に必要なのですが、本当に必要なコミュニケーションを交わすには言葉だけでは不可能なのです。
では何が必要なのか。
会話。
おい、会話は言葉じゃないか。いやそうではありません。
会話では僕らは相手の声を聞き、顔を見ます。表情を感じます。その時会っているカフェの匂いも嗅いでいるかもしれません。握手やハグをします。五感の全てが使われています。
言葉は多くの感覚の中のほんの一部です。言葉の意味というのは仕組みであり構造です。システムです。
言葉に比べて五感を通じて感じるものの強力さは計り知れません。それによって培われるコミュニケーションの深まりや生まれる信頼は巨大です。そしてそれが交わされ続けていくとそこにいつの間にか友情という関係ができていきます。

僕らがアメリカで人々と交流し会話する時、
必ず前提になるのは音楽でした。これは本当に幸運なことでした。
僕らはミュージシャンとしてそこにいました。誰かに会う時、僕らは必ずミュージシャンとして会いました。僕らは音楽という五感を総動員するような奇跡のツールをはじめから持っていたのです。
僕らは音楽を通じて多くの人たちと出会い、交流し、会話し、食事し、踊り、歌い、笑い、ハグしてきました。そうやってアメリカで暮らした数年間の間にたくさんの友人ができました。
コロナ禍はそうした友人と会う機会を奪いました。物理的に引き離された距離はどうすることもできません。僕らに残されていたのは言葉でのコミュニケーションしかなかったのです。4年半の間、自分の使う言葉・英語の貧困さを思い知りながらも何とか言葉でのコミュニケーションを続けました。それしかなかったからです。この長い時間が僕に言葉について考えさせたのかもしれません。言葉だけのコミュニケーションは五感のコミュニケーションに比べてとても貧しい。でもそれしかなければそれを使うしかない。言葉というものの貧弱さと、最悪の状況でも使うことができるツールとしての言葉の性能の威力も感じました。
今回アメリカを訪れ、たくさんの友人に再会した時、彼らとの友情は全く色褪せることもなく減衰することもなく、むしろさらに強固になりました。
時間と距離は人間の力ではどうすることもできなくても、五感を通じて築かれた関わりはとても強い。そんなことを実感できました。月並みな言い方ですが、友情や信頼を築くには言葉や文化の違いは障壁にはならないのです。今、僕らがアメリカの友人たちとの間に築いた友情は生涯変わらないだろうという確信もあります。それは本当に幸せなことです。

五感を使ったコミュニケーションによって培われた大切なもの。
言葉だけに頼ることの貧弱さを書きました。言葉というものをディスっているようですが、そんなことはありません。
僕はこの文章をまさに「言葉」で書いています。
言葉の力の限界を感じながら、それでも言葉で伝えられるものがある。もっと違った言葉での伝え方がある。そう信じているからこそ、こうして言葉で書いているのです。

アメリカ生活は僕にそんなことも考えさせてくれました。

続く

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