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アメリカで考えたこと。「自分の考え」とは。

久しぶりにアメリカに行って、懐かしく楽しい時間を過ごしてきました。
気の置けない友人たちとの会話は楽しく、何時間でも話をしていました。いつも書いているのだけど、本当に不思議です。僕らは決して英語がうまく喋れるわけではありません。いつもスマホを片手に、わからない時は翻訳しながら会話していました。それなのに会話が滞っているとは感じません。もちろんもっと流れるように喋れたらいいのにな!という思いはあり、それが自分たちに英語を学ばせるモチベーションにもなるのですが。

僕らは日本で過ごしたこの4年半、メンバー同士でいつも色々なことを考え話してきました。音楽のこと、芸術のこと、社会のこと、政治のこと、世界のこと。話さずにはいられないからです。コロナは本当に世界を根底からひっくり返しました。世界が変わる、というのは結局人間が変わるということです。人の考えや行動が変われば世の中はあっという間に変わります。常識も習慣もコミュニケーションも価値観もあっという間に変わります。日本に戻ってきた直後にそれを目の当たりにして自分は今大きな歴史の流れの只中にいるのだなと実感しました。その流れは人間の意思や願いなどとは無関係に全てを飲み込んで押し流していきます。

そんな時に、親しい仲間と世界や社会や人間や芸術についてとことん語り合うのは必然でした。日本では政治について話すのは敬遠されます。あまりあからさまに話す必要はないと思いますし、他の人に話すことを強制するものでもないでしょう。話したくない人は話さなければいいと思います。自由なのですから。
僕の政治についての前提ははっきりしています。政治は生活です。政治は高尚なものではありません。今日の晩御飯のこととか、今月の給料とか、ゴミの日とか、そうした雑多なもの。日々の生活の色々な些事。それを担うのが政治の基本だと思っています。政治というとすぐに隣国との外交だとかそういう大きな話になりがちですが、それはそういう雑多な生活の細々したことがクリアされた上ではないとできない話だと思っています。生活のこともさばけない政治に外交は無理です。だから僕は「政治に興味がない」という言葉を聞く度に、その人は政治は高尚なもの、偉い人がやるものだと勘違いしているのだろうなと思っています。政治家は僕らの生活のために汗水垂らす人です。代理人です。偉い人でもなんでもありません。僕らの自分勝手なバラバラな破茶滅茶なリクエストを必死にまとめる骨の折れる仕事を請け負う奇特な職業の人たちなのです。絶対にやりたくない職業です。それをちゃんとやってくれている人に対してはすごいなあと尊敬します。今の日本ではそんな人はほとんどいないでしょうけど。まずは政治家は偉いという誤解を解消しなくては。
話がそれましたね。
こんな風に政治やら世の中について話し始めるとベラベラといつまでも喋ってしまいます。でも日本ではあまりできる気がしない。アメリカはどうなんだろう。コロナ禍を経た今のアメリカ。とても難しい時代になっているのは重々承知でした。微妙な問題であることもわかっていました。それでも聞いてみました。会う友人会う友人皆に聞きました。なんなら先日東京で会ったマサチューセッツの友人にも聞きました。
皆、ちゃんと話してくれました。今のアメリカの政治のこと。次の大統領選挙に対する自分の考え。インフレや格差などの社会問題。LGBTQやアジアンヘイトやその他差別に対する考え。ウクライナ戦争。ガザの大変な状況。とにかく色々なことを全部話しました。言葉は選びながら慎重に話しました。そんな話をしすぎることによって友人関係を失いたくはないので、そういうことについてあなたの考えを聞いてもいいのかな?と尋ねてから話しました。大人同士のマナーだと思ったので。皆きちんと話してくれました。難しい時には難しいと。わからない時にはわからないと。とても明確でした。こちらの考えにも耳を傾けてもらえました。それは話していてとても安心できます。自分の態度や意思を示すことをちゃんと尊重されるということは世の中には必須だと改めて強く感じました。それがなければそんなことは話せません。
僕が肌感覚レベルで日本に足りないと思うのは、そうした「尊重」ということなのです。どうもこの国にはそれが欠けている。そんな気がしてなりません。ただの直感ですが。

感情や本音、建前など外には見せない様々な思いが心の中にあることは自然です。
自分の考えとして話しつつ、別の本音がある時もあるでしょう。そういう人間としてのややこしさも含めて尊重していけるようになりたいなと思っています。
なんであれ態度表明として自分の考えを持っていることは日本であろうがアメリカであろうが当然なくてはならないことです。それを避けることは相手を不安にさせてしまうのですから。

アメリカで感じる楽しさやある種の気楽さというのは、そんなところからも来ているのかも知れません。日本でもアメリカでもどこの国でも今は困難な時代です。だからこそ、明確な考えと相手を尊重する態度は絶対に持ち続けたいと思っています。

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