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10代の10年を費やした"前の推し"の話をしよう

最近、無料で過去のライブの配信やリモートライブが活発で本当にありがたいですね。
小学生から推しに金を出してきた身としては、お金払うのに…というなんとなくモヤモヤとした気持ちがなくもない。
その何か力になりたい、と思ってくれていることはもちろん素晴らしいんだけど、推しのことを大事にしたいから。
だってあなたとずっと一緒に走ることはできないかもしれない。
そのことを教えてくれた人の話をしたい。

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前の推しとの出会いは10歳だった。
父親の車でラジオを聴くのが大好きだったわたしは日曜の16時にあるパーソナリティーと出会う。
たしか8月の終わりに子どもお便りコーナーの日。自分と同い年の子たちの悩みに親身に答えていた記憶。

喋り声が低いのに笑い声が高い。
やたら人懐っこいお兄さんという印象で、
いままでのどんな大人とも違う話し方に、大人なのにこんなに変な人がいるんだと思った。
ラジオからその人が歌っているという当時流行っていたドラマの主題歌が流れる。
気さくな話し方とは違う雰囲気のクールな声と爽やかなギターはとても夏の夕方に合っていた。
…夏が終わるなあ。
10歳が音楽で感じた、はじめての切なさのようなものだったと思う。

まだその人の姿は見たことがなかった。

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次の週の金曜日の夕飯時、
いつも観ている歌番組からあのラジオの聴いた歌声とギターが聴こえてきて思わず箸を置いた。

ラジオで想像していた姿とは似つかない、
長身で、たかが10年の人生ではあるがいままでで見たことないくらい綺麗な人がスタジオの階段を降りてきていた。
はじめて家族以外の男性を意識した瞬間。
いまでも鮮明に覚えている。

それからというものCDを揃え、
深夜のラジオも聴き、弾き語りを真似するためにギターを買い、ラジオで宣伝していたライブなるもので本人の歌が聴けると知り、買ってもらった携帯電話でファンクラブなるものに登録し、チケットをとり…
とファンとして正しく成長していく。
みなさん心あたりがあると思います。

純正オタクとして成長したわたしは中学生になった。
月9で推しの主演ドラマがはじまった。
推してから彼がドラマに出るのをリアルタイムで観るのははじめてだった。
過去に出演していたドラマは何度も何度もレンタルしていたけど、こんな幸運があるとは。
はじまったドラマは、端正な顔を生かした設定と画期的なキャラに世間的な評価も高く、わたしにとっては妄想を具現化したような内容にそれはもうはしゃいだ。
毎週毎週楽しみで仕方なかった。
もう人に言わないといられない。

そうだ、サイトつくろう。
と思い立った。
時はファンサイト全盛期。

まあまあ部活も忙しかったけれど運動部よりはさほど熱意もなく、
サイト更新に明け暮れていた。
内容は主にドラマやラジオの感想、サイトを通してつながった方との交流、
そしてドラマやラジオの内容をベースにした小説…等等(所謂同人だと後に気づく。書くのも辛いくらいかなり痛い)

高校も推し仕込みのギターでなんとなく軽音楽部でのんびりやりながら推し活動とサイトに励み、出会いから8年が経っていた。

大学生になって実家を出たわたしはバンドサークルやアルバイト、はじめてできた恋人に時間を割くようになる。当たり前だ。
そして高校で広がった音楽の幅からさらにサークルの先輩から様々な音楽を教えてもらい、自分の音楽の嗜好も変化していた。

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ファンになってから10年が経つと、当然推し本人も人生のステージに合わせて音楽性が10年前とは変化していくもの。

たまにラジオは聴きつつ、
なんだか壮大で説教臭くてちょっと違うな…
新曲に対してなんとなくそう思うようになっていた。

そんなもはやオタクとは言えないライフにはっきりと終止符が打たれたのは結婚発表、次いでラジオの終了だった。

特に結婚発表をした時に残念だと思った自分にショックだった。
心のどこかで、彼にも人生があることを軽んじていた自分。
もはや高校の後半からはサイトの方が楽しくなってしまって、彼の純粋な創作物のファンというより設定だけを借りてコンテンツとして消費していた自分への嫌気。
10代を捧げてしまった相手(誰も捧げろとは言っていない)に誠実なファンではいられなかったな。10年を振り返ってそう思った。

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タイムレスな作品というものは世に多くあれど、推しは人生のタームが合うかどうかの巡りあわせだと思う。

わたしの人生で一番自由な時期と、推しに守るべきものができた時期。
わたしの辛い時期と、推しの自由にしてほしい時期。

わたしはもっと早く距離を置くべきだった。
生きた表現者を推すとはそういうことだと思う。
丸ごとずっと一緒には走れないので、次の推しは大事にしたい。消費しないようにしよう。

彼の表現者として正直なところ、自分の考えを的確に言語化するところ、かつ決して人を不快にさせないところはいまでも尊敬しています。


5年後、人生の一番辛い時期に現推しに会いましたがそれはまた今度。

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