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三木清 / 『歴史哲学』 - 「第四章 歴史的時間」 二、三 【新字新仮名】

以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第四章 歴史的時間」 二、三 の新字新仮名版です。
※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。
※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。





 歴史的時間は範疇の一つであり、それは「範疇」としての時間である。さしあたりここに時間の重要な規定がある。これに対し事実的時間は同じ意味では決して範疇と云われることが出来ない。もし強いてそれを範疇に対して名付けようと欲するならば、ひとはそれを寧ろハイデッガーが Kategorie(範疇)と Existenzial(実存疇)とを区別したのに従い Existenzial と呼ぶのが適当であろう。彼によれば Existenzial が Dasein(現存在)に対する関係は Kategorie が Vorhandensein(既存在)に対する関係の如きものである*。我々のいう事実は固よりハイデッガーのいう現存在とは種々なる点に於て根本的に異っているが、然しハイデッガーもその現存在の概念をもって我々と同じく客体的な存在ならぬところの主体的な存在を考えようとしたのであって、そこに彼の存在論の従来の存在論とは異る最も重要な特色が横たわっている。いずれにせよ、事実的時間は普通考えられる範疇とは区別されねばならぬ或るものである。蓋し範疇なるものは普通に我々のいう「存在」、即ち真の現在でなく「既に」の性格を担う存在の存在論的規定を表わすべきものであるからである。歴史も「存在」としてはまことにかくの如き範疇的関係を含み、時間はそれの主なるひとつである。事実的時間に対しこのような範疇としての時間の特殊性は何であろうか。
 * Vgl. M. Heidegger, Sein und Zeit, Erste Hälfte, S. 54.
 云うまでもなく、我々は範疇という語をかかる制限を離れて用いることも出来、本書に於ても屡々そのような使用がなされている。例えば我々もそれに就いて論じた「意味」なるものをディルタイは「生の範疇」に数えている。そしてハイデッガーのいう Existenzial はディルタイの「生の範疇」の純化し徹底されたものとも見られ得る。
 アリストテレスは「何時」ποτέ ということを「時間」χρóνος というものから区別した。彼は今日普通なされる如く「時間」という語を範疇の意味に用いず、却て彼が範疇として掲げたのはつねに「何時」ということであった。時間そのものの問題が彼によって研究されたのは範疇論としてでなく、物理学に於てであった。「何時」とは「限定された」時間である。即ち「何時」は関係の限定を包む。それは一定の時間点をばかりでなく、「何時から」「何時まで」などという場合に於ける「何時」をも現わす。もちろんアリストテレスに於て「時間」と「何時」とは無関係であるのではなく、またそうあることも出来ない。物理学に於て解明されるような時間にして初めて、後に述べられる如く、「何時」という範疇的関係を含み得るのである。ところで先ず、範疇としての歴史的時間はこのような「何時」ということに於て性格付けられると見える。そこでジンメルのごときも『歴史的時間の問題』に就いて論じ、次のように書いている、「一の現実内容は、我々がそれを我々の時間体系の内部に於て一定の所に綴じ付けにされているのを知るとき、一の歴史的なものであるーー尤もこのような限定はその際様々な精密さの度合をもち得るであろう。この自明なこと且つ平凡なことは、歴史的なものに関するより深い且つより進んだと見える形式的な諸定義に比して実により決定的なものであることが認められるであろう。」即ち単に一般に時間に於てあることでなく、一定の、、、時間に於て立っているということが歴史的なものにとって根本的な規定に属している。一言で云えば、歴史的なものに就いては「何時」ということが範疇である。何等かのものは、それに就いて何時起ったかと問うことが有意味であり、何時起ったと確定される限りに於て、本来、歴史的な或るものであるのである。従って年代記というものが歴史叙述の最も原始的な、然しまた最も基本的なものとも考えられ得るのである。どのような歴史も年代の前後関係に従って叙述される。いまかくの如き「何時」という範疇的関係を成立せしめるものとして時間はそれ自身如何なる規定を含まなければならないであろうか。
 * Vgl. G. Simmel, Das Problem der historischen Zeit (Zur Philosophie der Kunst 1922.)
 歴史的時間も或る意味では永遠と考えられることが出来る。それは確かに無限なる持続という意味で永遠であるように見える。けれどもそれは「恒常的持続」duratio permanens であるのでなく、却て「継起的持続」duratio seccessiva である。歴史的時間にあっては、凡てが同時であり、凡てが全体であるというのではなくて、凡て前後継起する。然るに歴史的時間が継起的持続であるということは、二重のことを意味するであろう。即ち歴史的時間にあっては先ずその如何なる部分に於ても「前後」の関係が含まれており、そして次にかくの如きその凡ての部分に於て見出される前後の関係は歴史的時間が「刻み」を含むということによって存在する。それだからこの場合アリストテレスが時間に与えたところの、かの古典的な定義が十分に適用され得る。「時間とは前後に従っての運動の数である*。」το※[#曲アクセント付きυ、U+1FE6、171-10]το γάρ ※[#無気記号付きε、U+1F10、171-10]στιν ※[#有気記号付きο、U+1F41、171-10] χρ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、171-10]νος, ※[#無気記号付きα、U+1F00、171-10]ριθμ※[#重アクセント付きο、U+1F78、171-10]ς κιν※[#鋭アクセント付きη、U+1F75、171-10]σεως[#「κιν※[#鋭アクセント付きη、U+1F75、171-10]σεως」は底本では「κιν※[#鋭アクセント付きη、U+1F75、171-10]σε※[#上方に不鮮明な符号が付いているω、171-10]ς」] κατὰ τ※[#重アクセント付きο、U+1F78、171-11] πρ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、171-11]τερον κα※[#重アクセント付きι、U+1F76、171-11] ※[#有気記号と鋭アクセント付きυ、U+1F55、171-11]στερον. 時間は運動ではなく、却てただ数を含む限りに於ける運動である。ここに数とは数えられることであり、我々のいう「刻み」にほかならない。ところでアリストテレスは更に次の如く云っている。、「今 τὸ ν※[#曲アクセント付きυ、U+1FE6、171-13]ν が時間を、それが前後を含む限りに於て、量る。」「時間は今によって連続的であると共に今に従って分たれる。」即ち時間は先の今、今の今、次の今、という風に刻まれるのである。「それが時間を分つ限りに於て、今はつねに異ったものである、それが結合する限りに於て、今はつねに同一である。」時間は今、今、今、という同一の今の連続であると見られるのである。このようにして、事実としての時間を特性付けるものが「瞬間」であるとしたならば、存在としての時間を特性付けるものは、アリストテレスに従って実に「今」であると云うことが出来よう。瞬間はたとい今と称せられるにしても、かくの如き今とは根本的に区別されなければならない。まさにかくの如き今として規定される時間にして初めて、前後に従って刻まれそのうちに「何時」という範疇的関係が現われ得るのである。
 * Aristoteles, Physica Δ. 11, 219b.
 然しながら右の如くにして歴史的時間の本性は説明し尽されたであろうか。歴史的なものにとって「何時」ということがどこまでも範疇的な意味を有する限り、歴史的時間は前後継起し、刻まれ、根本的には「今」として性格付けられる方面を欠くことが出来ない。もしそうでないならば、それに於て「何時」ということを語ることも出来ないであろう。実際、歴史的時間が存在、、としての歴史の時間である以上、それはそのような方面をもたなければならぬ。然しながらそれは、あらゆる、、、、存在が、従って単に歴史の存在に限らず、、アリストテレスの説明したように自然の存在もまた、それが運動するものとして把握される限り、そのうちにある時間の性質ではないであろうか。それ故に歴史的時間は、それがまさに自然の存在とは区別される存在としての歴史、、の時間である限りに於ては、更に他の特殊な方面を含んでいるのでなければならない。このような他の方面とは如何なるものであろうか。ジンメルは上記の論文に於て、如何なる歴史的なものも一定の時間のうちに立っていると云った後、続いて特に理解、、という見地を持ち出し、次のように論じている。疑いもなく、理解ということは一の現実内容を歴史的として認めるために欠くべからざる条件である。例えば、ひとりの人間に就いて報告されている行為が、彼の他の知られている性格に関係して我々にとって全然「理解され難き」ものであるときには、その行為がそれ自体としては可能であるとしても、我々はそれを歴史的事実として認めることを拒むのである。然るにここに一のパラドックスと見える事柄が生ずる。というのは、この理解そのものは歴史的現実そのものと何等かかわる必要がなく、却て全然無時間的な或るものである。私がパウロもしくはモーリッツ・フォン・サクセンの性格を理解する作用は、私がオセロまたはヴィルヘルム・マイスターの性格を理解する場合に於けると原理的には全く同一の作用である。即ちジンメルに従えば、理解は専ら観念的な内容に向う。私はパウロを彼の歴史的実在性のために理解するのでなく、寧ろいわば逆に私はこの歴史的実在性に就いて唯観念的にそれから分離され得る内容を理解するのである。ところで歴史的時間は専ら現実性の形式であるから、理解はまた
歴史的時間からの完全な独立に於て行われる。かくて一方或る内容はそれが時間上固定されている場合にのみ歴史的と認められ得るのであり、しかし他方また実にそれが他のものと一緒に一の理解の統一形作るときにのみ歴史的として認められ得るのであるが、この理解の統一なるものは、理解を規定するのは専ら無時間的な実質である故に、理解を何等減ずることなしに、任意の時間点におかれ得るということがある。このような矛盾は、ジンメルによれば、理解はそれが現実化された諸内容の総体を自己のうちへ関係付けたとき初めて完全であり、然るにこの理解的に秩序付けられた総体はそれの各々の部分内容に対して唯一つの、、、場所を有するのみであることを洞察するとき、除かれる。「一の出来事は、それが実質的な、それの時間点に対して全然無関係な諸根拠から一義的に一の時間点に固定されているとき、歴史的である、とひとは云うことが出来る。それ故に、一の内容が時間のうちにあるということがそれを歴史的にするのではない、それが理解されるということがそれを歴史的にするのでもない。二つの事柄が交叉するとき、即ちそれが無時間的な理解の根拠の上に時間化されるとき初めて、それは歴史的であるのである。然るにこのことは原理的には唯理解が諸内容の総体を把捉する場合にのみ行われる、なぜなら唯絶対的な全体の連関のうちに於てのみ個々のものは真に理解されるからである。そこからして、時間ということはこの場合唯一定の、、、時間点に於ける固定化ということをのみ意味することが出来る。」真の理解のために要求される歴史の全体なるものは、まさに全体である故に時間を超越する、「時間とは単に諸々の歴史内容の関係に過ぎない」、これらの諸内容はかかる全体のうちに於て理解的に全く一義的に決定された位置を占めるものとして、まさにその故に歴史的と云われる。これがジンメルの意見である。然しそれは彼に於て孤立せるものでなく、また他の多くの歴史哲学の明からさまな、もしくは隠された前提をなすものであるから、我々はここにそれに対して若干の批評を加えておくことが適当であると思う。
 歴史の全体は我々にとって現実に与えられたものでなく、却て単に一の理念に過ぎない。それ故にもしも歴史的時間の問題の解決の鍵がこのような全体のうちにあるとしたならば、歴史的時間は理念的本質のものとなり、かくて存在の歴史性ということもつまりは理念的性質のものとなり、時間はまさに現実性の形式であり、存在の歴史性ということもその基本的な意味では存在の現実性にほかならぬという最も明白な事柄に矛盾することになる。ジンメルの云うように、歴史の全体が恰も全体として時間を超えたものであるとしたならば、かかる無時間的な全体のうちに於て一定の場所が決定されるということが、如何にして現実的に時間的の意味をもつのであろうか。絶対的な全体のうちに於て一義的に位置付けられるということは、時間的な事物が永遠化される所以でこそあっても、事物の時間化される所以ではあり得ないであろう。彼のいう理解の統一としての全体はイデー的な全体であるが、単にイデー的なものからは時間は説明されない。時間的が考えられるためには、全体は永久に絶対的な仕方で自己自身のうちに安らえるものでなく、却て絶えず運動し発展するものと見られなければならぬ。理解の条件として我々も認めねばならず、且つ実際に認めて来たところの全体なるものは、ジンメルの説く如き何等かの仕方で与えられたものと見られる絶対的な全体として無時間的であるのでなく、却て我々のさきに述べたようにそれぞれの場合に課せられたものであり、形作られるものである故に、そのうちに一義的に位置付けられたものは時間的の意味をもつのでなかろうか。このような全体は事実としての歴史の立場から、これとの関係に於て存在としての歴史に於て形作られる。従って後者の理解も前者の立場から、前者との関係に於て行われるのである。ジンメルは現実内容は無時間的な根拠から時間化されると云うが、このことは我々によれば、存在としての歴史の秩序に属するものの時間性は、これと同じ秩序の意味の時間とは見られない事実としての歴史の根拠から規定されるということでなければならぬ。然し事実もそれ自身時間的であるから、理解は超時間的でなく、寧ろ時間的である。歴史的時間はこのようにして事実的時間によって制約される方面を持っている。従ってそれは単に直線的なものでなく、却て全体と部分という形式をとる。このとき全体はどこまでも課せられたものの意味を含んでいる。それだからこそそこに時間が考えられ得るのである。全体は課せられたものとして予料的意味を含む、そしてコーヘンの云った如く、予料は時間の特性をなす。然るにジンメルは真に主体的な事実的時間の概念を知らない。彼の知るのは客体的な存在の時間の概念のみである。それ故に彼は歴史的時間の問題を現実的に解決することが出来ない。この問題を解決するために彼は理解の統一たる全体の概念を持ち出す。ところで一般的に見て、歴史の問題を論ずるに際し、歴史を作る、、行為の立場からでなく、歴史を理解する、、、、立場からそれに近づいて行くということは、現代の哲学に共通な傾向であり、それのひとつの偏見に属する。ひとりジンメルのみでない、ディルタイに於ても歴史の理解ということが何よりも歴史の問題への接近の通路をなしている。ディルタイは客観的な存在の時間とは異る「内的時間」を考えた、けれどもそれが要するに内的な意識の時間に過ぎなかったのは、理解の立場が彼の哲学を指導していたということにも関係があるであろう。世界時間とは異る主体的な時間を純粋に取り上げることに全努力を傾けつつあるハイデッガーにあってさえ、理解の立場、従って解釈学的立場が決定的にはたらいている。然るに一般に解釈学的立場は内在の立場であり、そこでは時間は結局意識の時間にとどまる。これに反し新しい歴史哲学は何よりも歴史そのものを作る行為の立場に立たなければならぬ。固より人間は凡て或る意味で「歴史家」である。その限りに於て、理解ということは彼の存在の仕方に根本的に属している。然しそれより以上に人間は凡て「歴史人」、即ち歴史を作りつつある人間である。行為の立場は、これを徹底するとき、意識の立場、従って観念論的立場を突き破る。このことはひとり、普通云われるように、行為の立場は行為の対象として意識を超越する「存在」を認めねばならぬということを意味するのみではない。それは単に前面に於て意識を超越する客体をばかりでなく、更に背後に於て意識を超越する主体たる「事実」を認めることなしには真に行為の立場であることが出来ない。かくの如きいわば二重の超越、、、、、が初めて行為の立場を成立せしめるのである。このようにしてまた我々の事実的時間というものは単に意識の時間と考えられてはならない。単なる意識の時間は瞬間という意味をもつことが出来ない。寧ろ超越的な主体的事実が絶えず新たに意識を破るところに瞬間なるものの面影がある。そして行為の立場に立つとき、歴史的時間が事実的時間によって規定されるということは誰にとっても明瞭に理解されよう。
 歴史的時間は事実的時間によって構造付けられる。具体的な歴史的時間とはまさにかくの如きものであり、そしてそこにそれが特に歴史的、、、時間と呼ばれる特性があるのでもある。我々はさきに存在の歴史性、、、に就いて論じ、それを存在と事実との弁証法的関係に於て見出した。そこからまた我々は歴史的時間の構造を弁証法的として規定することが出来る。即ちそれは至る処全体と部分という関係を含み、しかもこの全体はつねに事実としての歴史の立場から新たに課せられ、予料せられるものである。固より歴史的時間は、上に云った如く、どこまでも存在、、としての歴史の時間であり、その限り前後の関係に於て刻まれるという性格を失うことが出来ない。けれどもよく観察すれば、このように前後の関係に於て刻まれる仕方そのものがそれ自身既に事実的時間によって構造付けられているのが見出される。いま西洋に於ける年代計算に眼を投ずるならば、そこにはキリストの誕生以来初めて文化の一直線の向上があるという、それ以前の全てのものが唯そのための準備に過ぎぬところの一回的な行為によって、完成に向って進む世界年代が開始されたという、一定の見方、史観が含まれていたことが見られ得るであろう。然し特に歴史的時間を表わすものとして時代なる概念がある。歴史は時代ごとに区分され、刻まれるのをつねとする。このことは歴史的時間が刻々に交代してやむことなき時間でなく、却てそれが優越なる意味に於ける「持続」Dauer を含み、時間が「期間」Zeitraum であることを現わす。このとき時代というものは全体の意味を何等かの仕方で担わせられている。かの Periode という語はもとこのことを表わすべきであるのである。時代なるものは単に一の持続であるばかりでなく、また一の全体概念である。それはかかるものとしてそのうちに含まれる諸部分に対して有意味性の構造連関に立っている。このようにして時代の概念は単に存在としての歴史の時間をもっては考えられず、却てそれは事実的時間によって構造付けられている。歴史に於ける時代区分は暦の時間に従って平等なる間隔をもって幾何かに区切られているのではない。また時代区分の仕方は史観の異るに応じてそれぞれ異っているのである。最も簡単な例をとろう。今日なお普通に行われる古代、中世、近世なる時代区分はルネサンス時代の子供である。その当時盛んになった古代研究はローマの偉大を知った、人文主義者たちは千年以前に没落したこの偉大を復興し得るとものと考えた、かくてかの没落とこの再興との間に横たわる期間は、いわば冬籠りの時期として、陰暗な中間時代 media aetas, medium aevum と見做され、そこからして三つの時代が区分されるに至ったのである。その他各々の史観が各々自己に相応せる時代区分を立てているばかりでなく、この区分が最も屡々三分法であることーー五分法をとっているものも根本的には三分法の基礎の上に立ち、このものに還元されることが多いーーなどは、恐らく、歴史的時間は凡て一様に過去と見られ得るに拘らず、それが事実的時間によって規定され、構造付けられているところから、現実的な時間の含む過去、現在、未来という三つの時間契機がそこに写し出されることを暗示するものではないであろうか。ひとは歴史とは本来現代の歴史であると云う。それ自身固より時代の概念のひとつでありながら、現代と言われるものがかくの如く優越な意味を負わされるのは、それがまさに事実的時間の存在としての歴史の時間のうちに於ける投影であるためである。そこからしてまた、かの根本的には三分法の上に立つところの古代、中世、近世なる時代区分にあっても、なお近世のうちに特に現代あるものが選び出され、かくてそれが恰も古代、中世、近世、現代なる四分法をとるかの如き外観を呈するに至るということが起るのである。かかる四分法の外観は、その三分法がまさに真の現在たる事実によって規定されていることを現わしている。
 このようにして我々は云うことが出来る。ーー第一、歴史的時間は先ず存在、、としての歴史の時間として、事実的時間に対してはつねに或る過去の意味を担う。それはどこまで延長されるにしてもいつでも「既に」の意味を含んでいる。然しながらそのことは歴史的時間が回顧的時間であるということと必ずしも等しくないのである。却てそれは歴史的時間が存在、、としての歴史の時間であるということと根本的に関係する。即ちそれは「今」として特性付けられる存在、、の時間の本質に属している。そこでは未来もなお或る「既に」の意味を含んでいる。あらゆるユートピアは、存在としての歴史の秩序に於て考えられる限り、つまり過去の像である。真の現在は今ではなく瞬間である。然るにこのように未来もなお「既に」の意味をもつところでは、発明、発見、創造などということもその固有なる意味をもち得ず、従って真の歴史はない。これ根源的な歴史が存在とは区別される事実に於てあると考えられる所以である。
 第二、歴史的時間は次に存在としての歴史、、の時間として、事実的時間によって構造付けられている。「今」の時間は何よりも連続性を現わす。これに反し「瞬間」の時間は寧ろ非連続性を現わしている。事実的時間に於ては時は一瞬一瞬に消え、一瞬一瞬に生れるのである。それ故に根源的な歴史性は瞬間的歴史性である。存在としての歴史はこれに対し寧ろ連続性を含み、従ってそれの歴史性は体系的歴史性であるとも言われよう。歴史と云えばもと二重のもの、即ち事実としての歴史及び存在としての歴史であった。両者が存在と存在の根拠として対立であると共に統一であった。かくてその具体的な姿に於て歴史は瞬間的歴史性と体系的歴史性との弁証法である。事実は存在に対し絶えずその連続性を破ろうとする。然し存在はかく破られた連続性を絶えず綴り合わそうとする。歴史的時間は事実的時間によって構造付けられたものとして現実的に歴史的である。ヘーゲルの弁証法の体系的歴史性に対して瞬間的歴史性を高調したのはキェルケゴールの所謂性質的弁証法の功績であった。然しまた後者が客観的な存在の歴史を無視することによって、却てまた他の意味では歴史的なものを失い、非歴史的な見方に陥ったということも争われないのである。
 第三、存在の時間は過去から未来へと流れる。いまこれが事実的時間によって構造付けられるとき、それは逆に未来から過去へという方向をとらせられると見える、事実的時間は本来の未来性を特徴とするからである。それはコーヘン的に云うならば継起 Folge でなく系列 Reihe の形式をとることとなる*。ところで過去から未来への時間が因果的な見方に相応するならば、未来から過去への時間は目的論的な見方に相応すると考えられている。目的手段の関係は原因結果の関係の逆であると普通に考えられている。歴史の原理が目的論であるということは我々も或る意味ではこれを認めなければならない。けれども目的論は因果論の単なる逆であるのではない。蓋し既に云った如く、因果的な見方に於ては原因と結果とは同じく存在の秩序にあると考えられている。然るに本来の目的論はこのような一重の見方でなく、存在とは区別される事実を認めるところに成立する。目的論的関係は、因果的関係の如く存在と存在との間に於てでなく、主体的事実と客体的存在との間に於てのみ成立することが出来る。しかも両者が単に連続的でなく、却てまた非連続的であるが故に、そこに目的論もあり得るのである。このとき目的は根源的には事実の側にある。従ってかかる目的論にあっては、目的は存在の意味に於ては無いに等しい。本来の目的論はその限り目的なき目的論であると云われなければならぬ。目的論は因果論の逆であるという通俗の見方にとってのみ目的論は目的ある目的論であるのである。このようにしてまた目的論は全体と部分との関係に於て成立すると云われるにしても、このような全体と部分との関係は単に有機的に把握さるべきでなく、却て我々の述べた如き弁証法の基礎の上に於てのみ目的論は成立するのである。
 * Vgl. H. Cohen, Logik der reinen Erkenntnis, zweite Auflage 1914, S. 154.

 


 さて従来自然的時間として注意されて来たのは自然環境の時間であった。即ち地球の公転を基礎とする所謂太陽暦、或はまた太陰暦などの時間がそれである。このような自然的時間が存在の時間としてそれ自身前後の関係に従って刻まれることは云うまでもない。それが歴史にとって有する重要性は、それがその規則性、就中その周期性の故に、歴史的時間を刻むための単位を与えるというばかりでなく、その根本的な重要性は、寧ろ、人間のあらゆる歴史的活動が自然の基礎の上に於て行われ、従ってまたつねに自然によって制約される方面を有するという所に存している。それだからこのような自然的時間は歴史的時間にとって単に外面的である以上に深い関係を有するのでなければならない。歴史的時間はたしかに自然的時間に制約される方面をもっている。
 然るにかくの如き人間の歴史的活動の地盤乃至環境としての自然のほかに、なお他のひとつの自然がある。普通に歴史的活動の主体と見られている人間そのものがまさに一の有機的自然なのである。人間的有機的自然の時間の統一は「世代」という概念をもって表わされる。ところでこのような時間概念は歴史にとって環境的自然の時間よりも遥かに重要な意味を持っているものの如くに思われる。なぜなら世代は、環境的自然の時間のように、歴史を外部から測定するのでなく、却てまさに歴史の主体と見做される人間生命に結び付き、従って歴史を内部から測定するように見えるからである。それは人間の歴史的活動に於ても、自然的環境からの相対的な独立性の程度の高いところの所謂文化生産的な活動の歴史にとってはとりわけ重要なものであるように考えられるのである。それ故に特にイデオロギーの歴史の研究に従事する人々の歴史理論の中へ世代の概念が一の原理的なものとして導き入れられるに至ったということは偶然ではなかろう。我々は最近ドイツの文学史家の間に於て著しくこの傾向を認めることが出来る。その代表的理論家としてユリウス・ペーターゼンなどの名が挙げられるであろう。ペーターゼンの主張するところによれば、単に文学に関する科学ばかりでなく、人間及び彼の生産物に就いての一切の科学は、何等かの仕方で世代の問題に関係するのである*。
 * Vgl. Julius Petersen, Die literarischen Generationen in der „Philosophie der Literaturwissenschaft,“ Hrsg. v. E. Ermatinger 1930.
 世代の概念は、云うまでもなく、もと自然的基礎の上に立っている。即ちそれは個々の家族の系列の内部に於ける生殖の序列のうちから由来する。父と子との間の年齢の相違に於て規則的に観察される時間の幅が世代の概念を形作る。既にギリシアの歴史家へロトドスは、エヂプトの僧侶によって、三世代が丁度一世紀をなすということを教えられたと伝えられる。この場合そのような年齢の相違は平均三十三年三分の一にあたるわけである。然るにグスタフ・リュメリんは『世代の概念及び期幅に就いて*』統計的研究を遂げ、このような平均は時代及び民族に従ってそれぞれ異っており、近代のヨーロッパにあってはそれが三十二年から三十九年(当時のドイツでは三十六年二分の一、イギリスでは三十五年二分の一、フランスでは三十四年二分の一)の間にあり、従ってヘロドトスの計算は、彼の時代にとっては正しかったとしても、決して不変な、一般的に妥当する時間の幅を示すものではない、という結論に達したのである。一世紀を三世代とするということは、このように統計的に必ずしも正確でないばかりでなく、それはまた歴史的協働という重要な事実を現わすことが出来ない。人類に於ける世代の継起にあっては、ヒュームの力説した如く、或る種の動物に見られるのとは異り、親の死が子供の誕生を初めて可能にするのではなく、却て親と子供とは同じ時に重り合って生活するのである。従って一世紀は事実上五世代を含んでいる。単に両親のみでなく、祖父母もまた、彼等のあらゆる生活経験を子や孫に伝え得る。そこで一世代を三分の一世紀と見做そうとする人々は、自分の主張をば、個々の人間の「生活活動」ということによって維持しようとしている。このような生活活動は、一世紀のうちに含まれる五世代のうち唯三世代にのみ属する。人間の歴史的活動は平均的に見て三十歳をもって始まり、六十歳と七十歳との間に終る、それだから曾祖父及び孫は、祖父、父、子と同じ世紀のうちに見出されるにしても、前者はあまりに老いたるをもって始まり、後者はあまりに幼き故に、その生活活動はこの世紀のうちに数えられないというのである。有名な歴史家ランケの弟子オトカル・ローレンツは、かくの如き家族系図学的年数計算の基礎の上に、『歴史的時代の自然的体系』を打ち建てようと企てた**。彼に従えば、父から孫に至る三世代は、つねに相互の直接的な影響の連関に立ち、そのうち中間に位する者にいつでも、彼が親から継いだものを子供に伝え、そしてそこに何か排除すべきものがあればこれを子供から遠ざけるという任務が負わされている。彼は歴史的意味に於ける三世代の平均期間を百年として計上し、かの「世紀」なる概念の有する重要な意味は、それが原本的な「三世代の法則」にもとづく或る精神的歴史的統一を現わしているところに見出されるとした。著名な家族即ち君王家の歴史に於てこの法則が明瞭に認められるばかりでなく、一般的な観念及び思想の伝播または後退に於ても同じ法則が見られる、とローレンツは考えた。それ故に「世紀」なるものは「一切の歴史的現象の客観的に基礎付けられた時間単位」である。歴史的時間をば世紀を単位として刻むということは客観的意味のあることでなければならぬ、けれども歴史的諸事件の長い系列にとっては世紀はあまりに小さい単位であろう。そこで彼は次に高い単位として、丁度一世紀が三世代から成るように、三世紀即ち三百年をとり、さらに三世紀の三倍をとった。ローレンツはその三百年単位説の支持をドイツの文学史に於て、実際を云えば、ヴィルヘルム・シェーラーのかの波動説のうちに見出し得ると信じた。このシェーラーによるならば、ドイツの文学史は三百年目の興隆と三百年目の衰微との間を往復しており、かくして紀元六〇〇年、一二〇〇年、一八〇〇年の三つの最高頂を経験したとされる。
 *  Vgl. Gustav Rümelin, Ueber den Begriff und die Dauer einer Generation in den „Reden und Aufsätze“ Ⅰ, 1875.
 ** Vgl. Ottokar Lorenz, Ueber ein natürliches System geschichtlicher Perioden in der„Geschichtswissenschaft in Hauptrichtungen und Aufgaben“ 1886.
 尤も世代の概念はそれほど新奇なものではなく、却て我々の普通の歴史の見方に絶えず影響を及ぼしているものである。国家の統治者の家系に従っての歴史叙述は広くーー殊に日本や支那などに於てーー行われており、このようにして我々はまたペリクレス時代のアテナイ、アウグストゥス時代のローマ、フィレンツェに於けるメディチ家時代、或はエリザベス時代、或はルイ十四世時代などという言葉を始終用いているのである。
 世代概念の特色は、既に述べた如く、それが自然的時間の概念でありながら、歴史的活動の主体と考えられる人間そのものに関係しているところにある。ローレンツは彼の所謂「三世代の法則」を「一の人間的自然に内在する原理」と呼んでいる。然るに世代理論の主張者はかかる自然的時間を直ちに歴史的時間の位置に引き上げ、そこに一切の歴史的現象の時代区分の原理を求めようとする。この場合世代は、地球の公転の一年の如く、歴史的時間測定の一の外的な単位にとどまるのでなく、それ自身が本質的に時代区分を形作っていると見做されているのである。然るにこのことがあるのは、そのとき人間はもはや単に歴史的活動の基体としての自然の存在としてではなく、寧ろ歴史的活動そのもの、歴史そのものとして理解されているためでなければならぬ、そこでは例えば文化の蓄積及び伝承などいう歴史的行為に重要な意味が与えられ、世代という自然的なものはかかる歴史的行為と有機的な結合を保ち、有機的な統一を形成すると解釈されているのである。ローレンツの如きが一世代を持って歴史的時間を刻むことをせず、却てかの三世代の法則を立てねばならなかったのというのも、根本的にはそのような理由によるのである。かくて世代の概念は次第に所謂精神科学的意味のものに解釈されることとなる。今日文学史家たちによって開拓されているのはそれのかかる意味なのである。既にディルタイはこの方向をとった*。ディルタイは世代の概念を年齢 Lebensalter の概念と共に精神科学の方法概念として導き、それを彼の『シュライエルマッハー伝』に於て巧に使用した。彼によれば、世代とは「諸個人の同時性の関係」である。いわば相並んで生れたる、即ち共通の少年時代、共通の青年時代をもち、そしてその壮年の活動時代が一部分合致するところの人々は、同一の世代と呼ばれる。このような人々はひとつのより深い関係によって結ばれている。彼等はその感受性の最も強い年頃に於て同一の指導的な諸影響を受ける。彼等の感受の時代に於て現われた同じ大きな事件及び変化に同様に依存していることによって、それに付け加わって来る他の要素の差異にも拘らず、一の同質的な全体に結び合わされる一定の範囲の個人は、一個の世代を形作る。このような世代を、例えば、アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル、シュライエルマッハー、アレキサンダー・フォン・フンボルト、ヘーゲル、ノヴーリス、フリードリヒ・シュレーゲル、ヘルダーリン、ワッケンローデル、ティーク、フリース、シェリングが形作っている。ディルタイはひとつの世代の知的活動にはたらきかける無数の制約の総体を二つの群に分った。先ず第一に、世代が形作られるとき、そこに与えられて見出される知的文化の資産ともいうべきものがある、この資産よりひとは諸々の進歩の甚だ大なる可能性を望み見る。然るに今や生長した人間が蓄積されている精神的諸内容を占領し、そこから先へ前進しようと試みるとき、彼は第二の群の制約の影響のもとにおかれる。即ち周囲の生活、社会的、政治的、その他種々様々な文化状態、特に新たに加って来る知的諸事実がそれであって、これらのものによって、前の世代から与えられたより先への進歩の諸々の可能性に対して一定の限界がおかれる。実にかくの如き諸制約の影響のもとに、それらによって規定された同質的な諸個人が一世代として形作られるのである。今ローレンツなどの世代概念に対しディルタイに於ける同じ概念の含む比較的新しきものは、第一に、ここでは世代の現象に於て単に前後継起ばかりでなく、また「同時性」の現象が単なる年代学的意味よりも一層深き意味を得たということである。このことによって世代の概念は、一方遺伝学的乃至家族系図学的の狭い地盤から解放されてより現実的な社会的歴史的現象のうちへ引き入れられると共に、他方単に直線的な時間に対して具体的な、持続的な全体性の意味を含む歴史的時間を考えることが可能にされた。然し、一層重要なことは、第二に、ディルタイが世代の問題に関心したのは、彼自身云うところに従えば、主として、世代統一によって、時、月、年等を基礎にもつところの、精神的諸運動の過程の普通の単に外的な足場が、「内部から測られる表象」によって置き換えられ得るためであった。世代統一は精神的諸運動の一の追体験され得る直観的な測定を可能ならしめると考えられた。ディルタイに於ける新しきものは、まさにこのような量的に測られ得る時間と唯質的にのみ捉えられ得る内的な体験時間との区別であった。世代は彼に於て単に外的な時間を現わすのでなく、寧ろ内的な時間を現わすべきであった。
 * Vgl. Wilh. Dilthey, Ueber das Studium der Geschichte der Wissenschaften vom Menschen, der Gesellschaft und dem Staat 1875, Gesammelte Schriften Ⅴ. Band, S. 38 ff.
 然しながらそれにも拘らず、世代概念の世代概念たる基礎的な意味はどこまでもそれが自然的時間の刻みを現わすところになければならない。従って歴史理論としての世代理論の担うべき特徴は、かくの如き自然的時間の刻みが本来の歴史的時間の刻みと平行し、対応し、調和すると考えられるところに求められなかればならぬ。ローレンツはこのことを主張した。詳しく云えば、世代理論にあっては、一方では世代が我々の時計の時間の如く歴史的過程にとって外的なものでなく、一の内的な且つ自然的な単位であり、そして他方ではこのようなない的な自然的な統一が本来の歴史的進行と一致する、と見られているのである。ディルタイは次のように記している。「精神的諸活動及び科学的諸活動の過程の足場は、唯外部から見られるときにのみ、我々がそれらを秩序づけるところの時、月、年、十年という体系のうちに存する。我々がそれによってこの過程を直観的に表象するところの統一は、この過程そのもののうちに存しなければならない。時間の秒や分と内的な心理学的な時間との間の関係に、歴史的過程の大きな期間にとっては、十年、百年とそして他方ではその中間の平均に於ける及びその年齢の継起に於ける人間生活との間の関係が対応する。問いのは、人間生活の経過のうちに精神的諸運動の歴史の直観的な測定にとっての自然的な統一が与えられているからである。」即ち彼は外的な時間と内的な時間または本来の歴史的時間とを区別しながら、しかも同時にかかる歴史的時間と人間的自然の時間とを統一的に見ようとしているのである。彼が「人間生活」というのはかかる統一の基礎である。彼もまた一世代を約三十年であるとし、ヨーロッパの知的歴史は、その名と業績とが伝われる最初の科学的哲学者たるタレース以来、彼の時に至るまで僅か八十四世代に過ぎない、と云っている。このようにして世代理論の根本思想をなすのは、我々がかの浪漫的有機体説を特徴付けたものにほかならないことが知られよう。言い換えれば、その理論の基礎には、自然的なものと精神的なもの、実在的なものと観念的なもの、外的なものと内的なもの、との調和、連続乃至統一の思想が横たわっている。
 そこで我々は世代概念の歴史理論的特性を有機体説的として規定することが出来る。このことを我々はこの概念の歴史的起原を突きとめることによっても理解し得るであろう。即ちローレンツの権威に従えば、彼の師ランケが世代の思想を暗示したと云う。ランケはその「ロマン的・ゲルマン的諸民族の歴史』の改訂(一八七四年)に際し、屡々引用されるところの次の文章を附け加えたのである。「恐らく一般に、諸世代をば、能う限り、それらが世界史の舞台に於て互に一体となり且つ互に区別される有様に従って、順次に配置するということが課題であるであろう。ひとはそれら諸世代の各々を完全に公平に取扱わねばならぬであろう、ひとはその時々にそれぞれに互に最も密接な関係をもち且つその諸対立に於て世界発展が更に進展するところの最も光輝ある諸形態の系列を叙述し得るであろう、そのとき諸事件はそれの本性に一致する。」なおローレンツの伝えるところでは、ランケは世代の概念のもとに「人間一代のうちにはたらける或る一定の理念に対する表現」を理解した。然るにランケも根本的には例外をなさず、一般に、広義に於けるドイツ歴史学派の特色をなしたものが有機体説的な歴史理論であったことは、さきに論じた通りである。この学派はその最初の形而上学的傾向から次第に実証主義的方向へ進んで行ったが、それに応じてその有機体説も最初の形而上学的意味のものから実証主義的意味のものに変化した。このとき人間的有機的生命がその歴史理論の基礎におかれるようになったのは、最も自然的なことであったであろう、この過程に於てかの「民族精神」なる理念は世代の概念によって代られたとも見られることが出来る。そこでまた世代の概念を特徴付けるものは、有機体説的な歴史の論理と実証主義との混合ということである。実際、ローレンツの如きはランケ的な歴史を支配する理念という思想を全く棄て去っていないに拘らず、その世代の理論を生物学上の遺伝説によって基礎付けようとしたのである。かようにして、世代理論はまた我々がさきに有機的発展の思想に就いて掲げた種々なる性格を具えている。例えばそれは、その実証主義的意図にも拘らず、その有機体説的な理論に制約されて、歴史学に法則科学的意味を負わせることが出来ず、これを寧ろ形態学的に見るのほかない。従ってそこでは一般に類型、即ちてュプス、シュティルの如きが歴史学の中心概念とならざるを得ないのであって、これ全くペーターゼンなどの明らさまに主張している通りである。然るにローレンツは彼の世代理論をもって歴史学の本来の意味に於ける「将来理論」であると主張した。同じようにフランスの人ジュスタン・ドロメルはその『諸革命の法則』(一八六一年)に於て将来に対する科学的見通しを与えることを公言したのである。ドロメルによれば、民主主義の社会にあっては市民の政治的活動は平均四十年間に亙るが、この活動の初期は前世代の人間がなお生存していることによって、その末期は自分自身の世代の人間が既に死滅しつつあることによって、共に制限を受ける。そこで各世代はただ約十五年の間投票に於ける多数を制し得、これによって国家の運命を決定し得る。この法則はフランスに於ける諸変革が一七八九、一八〇〇、一八一五、一八三〇、一八四八の年々に起っていることによって証明される、と云うのである。今かりにローレンツの三世代の法則、或はドロメルの十五年説ーーこの場合にはなお社会が凡ての時代に民主主義的議会主義的であるのでないということを勘定に入れないでーーが事実に適合するとしても、それは何等本来の意味に於ける法則であるのではない。それはたかだか歴史が周期的に、波動的に進行するということを記述的に表わすのみである。寧ろ我々は世代理論の特徴をその有機体説的方向に、その個性記述的乃至類型記述的理論の方向に求むべきであろう。そしてこのことによって世代理論は美的な、観想的な史観に属するのであって、それが今日特に文学史家たちの間に喧伝されているのも偶然的ではなかろう。
 さて我々は事実的時間、歴史的時間及び自然的時間の三つを区別して来た。後の二つは共に存在の時間である限り最初のものに対して或る共通な性質を具えている。然し自然と歴史とが存在として区別される限り両者の間にはまた差異がなければならぬ。我々は自然的時間を「待つ」wait 時間として、歴史的時間を「期待する」 except 時間として特徴付けることも出来るであろう。自然は繰り返すこと或は循環することを特色とする。そこでは我々は待てばよいのである、待てば繰り返して来るのである。自然は繰り返すものと考えられ、歴史はこれに反し繰り返さぬもの、一回的なものと考えられる。待つのでなく期待するということが歴史的時間の特色である。自然人は待ち、文化人は期待する。既に述べた如く、歴史的時間の歴史的なる所以はそれが事実的時間によって構造づけられているところに存し、そしてそれによってその何処に於ても「既に」の性質を有する歴史的時間に或る未来性が負わされる。この特殊な未来性を現わすのは「期待する」ということである。然し「期待する」という未来性は寧ろ非本質的な未来性に過ぎぬ。本来的な未来性はひとり事実的時間の性格である。これは期待するということでなく、寧ろ予料するということである。思惟の意味に於て予料するというのでなく、却て行為の意味に於て先取するということである、否、まさに「決心する」decide ということである。期待するという未来性のうちにはもはや「既に」の意味が含まれている。瞬間は未来から時来すると云っても、それは決して期待する時間ではないのである。ところで三つの時間は、固よりそれぞれ独立な時間であるのでなく、却てそれらは真に現実的な時間を構成する三つの要素乃至次元と見らるべきである。真に現実的な時間はそれらのものの構造連関に於て成立する。このようにして、例えば、観想的態度は自然的時間に優位を与える。観想的な世界観の模範たるギリシア思想に於てそうであった。そこでは自然的時間に象って歴史的時間が理解され、従って歴史は循環すると考えられた。けれどもこれが決して単なる自然的時間のアナロジーの意味に尽きるものでなく、また事実的時間の意味を含んでいたことは、かかる回帰的時間がまさに運命的なものを意味したということによっても知られよう。そしてこのような観想的態度に於て永遠は「円環」をもって象徴されるのをつねとする。或は時間を「包む」ということが永遠の本性であると考えられる。然るに実践的態度にあっては自然的時間に対する歴史的時間の独立性と独自性とが高調される。このとき瞬間こそ永遠の象徴であると見られる。瞬間は凡ての時間を包むものという静的な意味で永遠であるよりも、寧ろそれは存在の時間を超越し、そこから存在の時間の何処にでもつながり得るという動的な意味で永遠の相を現わしているのである。然し実践的態度は歴史的時間の現在に最も重要性を置くであろう、しかもそれは未来を期待するということと無関係ではなく、却てこのことの結果である。そこからしてフィヒテがその人類歴史の哲学的構成に於てこれを五つの時代に分ち、彼の現代はまさしくその第三の時代即ち「罪惡の完成した状態」にあると見做したが如きも一部分説明され得るであろう*。即ち現代を最大の危機として把握することによって現代の決定的な重大性が力説されるのである。なおシュレーゲルは古代史は円環行程の体系をなし、近代史は無限なる全身の体系をなすと述べたが、このことは少くとも一面では、近代の歴史的発展に於て歴史的時間が自然的時間に対して次第にその相対的独立性を増大して来たことを意味し、そしてこれは人間の自然に対するはたらきが深刻になり、拡張されて来たことを示すものとも考えられよう。いずれにせよ、我々の生活しつつある真に現実的な時間はいわば一音のものでなく、却て多くの音の合成である。それは自然的時間、歴史的時間及び事実的時間のそれぞれ具体的な構造連関に於て成立する。けれどもそこに響いて来るのは必ずしもつねに美しいシュムフォニーではない。この連関は何よりも弁証法的に構造付けられている。そしてこのことは存在と事実との弁証法的関係に相応する。固より事実の運動そのものが時間ではない、運動は却て時間のうちにあるのであると云われるであろう。然しまた事実の運動を離れて時間は考えられない。かくて現実的な時間の形成そのものが動的である。
 * Vgl. Fichte, Die Grundzüge des gegenwärtigen Zeitalters.




『歴史哲学』(新字新仮名版)の他の部分はこちら

※続きは随時更新予定です。


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