遊戯する空生 - 遊月つかさ

"この世は舞台、人はみな役者だ(All the world's a…

遊戯する空生 - 遊月つかさ

"この世は舞台、人はみな役者だ(All the world's a stage, And all the men and women merely players.)" ──ウィリアム・シェイクスピア

最近の記事

三木清 / 『歴史哲学』 - 「第五章 史観の構造」 一 【新字新仮名】

以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第五章 史観の構造」 一 の新字新仮名版です。 ※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。 ※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。 第五章 史観の構造 一  史観とは何であるかに就いて、先ず下の如く答えられなければならない。第一、史観は各々の歴史叙述のうちに含まれ、これをこの根底に於て規定しているところのものである。従ってそれは、その本性上、歴史科学的研究の後にその結論とし

    • 三木清 / 『歴史哲学』 - 「第四章 歴史的時間」 二、三 【新字新仮名】

      以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第四章 歴史的時間」 二、三 の新字新仮名版です。 ※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。 ※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。 ニ  歴史的時間は範疇の一つであり、それは「範疇」としての時間である。さしあたりここに時間の重要な規定がある。これに対し事実的時間は同じ意味では決して範疇と云われることが出来ない。もし強いてそれを範疇に対して名付けようと欲するならば、ひとはそ

      • 三木清 / 『歴史哲学』 - 「第四章 歴史的時間」 一 【新字新仮名】

        以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第四章 歴史的時間」 一 の新字新仮名版です。 ※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。 ※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。 第四章 歴史的時間 一  歴史的なものは時間的なものである。時間歴ならぬものは非歴史的もしくは超歴史的と考えられる。歴史的なものは本来「時間から理解されることを欲する事物」である。蓋しそれは運動的、発展的なものであったその意味に於ては歴史 Ge

        • 三木清 / 『歴史哲学』 - 「第三章 歴史的発展」 三 【新字新仮名】

          以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第三章 歴史的発展」 三 の新字新仮名版です。 ※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。 ※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。 三  いま存在としての歴史に目を放つとき、そこには発展があり、且つこのものは弁証法的発展と見られる。然るに一般に存在としての歴史は諸範疇に於て現われるということを根本的な規定とする。ここに諸範疇と云ったものは、或は「諸関係」ーーマルクスは「資本は

        三木清 / 『歴史哲学』 - 「第五章 史観の構造」 一 【新字新仮名】

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「第三章 歴史的発展」 一, 二 【新字新仮名】

          以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第三章 歴史的発展」 一, 二 の新字新仮名版です。 ※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。 ※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。 第三章 歴史的発展 一  歴史の概念は就中発展の概念と最も一般的に且つ最も根源的に結び付いている。このことはジイベル、ドロイセンを始め、ベルンハイム、ベロウに至るまで、殆ど凡ての人々によって認められ、明らさまに言い表わされたところである。

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「第三章 歴史的発展」 一, 二 【新字新仮名】

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「第二章 存在の歴史性」 三 【新字新仮名】

          以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第二章 存在の歴史性」三 の新字新仮名版です。 ※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。 ※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。 三  単に環境といわず、一般に存在としての歴史は、それ自身として見られる限り、云うまでもなく、因果必然性の連鎖のうちに立っている。従って存在としての歴史を直接の対象とする歴史学にとっては、先ずこのものの因果的認識が必要である。歴史学は決して因果的

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「第二章 存在の歴史性」 三 【新字新仮名】

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「第二章 存在の歴史性」 一, 二 【新字新仮名】

          以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第二章 存在の歴史性」一, 二の新字新仮名版です。 ※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。 ※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。 第二章 存在の歴史性 一 我々は歴史の概念に就いて論じ、三つのものをその主要なる概念として区別して来た。いま次第に問題に深入りするに際し、さしあたり存在としての歴史の概念を手懸りとして我々の研究を進めようと思う。そして我々は、存在としての歴

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「第二章 存在の歴史性」 一, 二 【新字新仮名】

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「第一章 歴史の概念」 四, 五 【新字新仮名】

          以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第一章 歴史の概念」四, 五の新字新仮名版です。 ※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。 ※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。 第一章 歴史の概念 四  事実としての歴史の含む否定の契機を明かにするために、ここになおひとつの概念を持ち出そう。我々は従来の歴史哲学のうちに於て運命 Schicksal の概念がひとつの重要な役割を絶えず演じて来たのを認めることが出来る。実

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「第一章 歴史の概念」 四, 五 【新字新仮名】

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「第一章 歴史の概念」 二, 三 【新字新仮名】

          以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第一章 歴史の概念」二, 三の新字新仮名版です。 ※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。 ※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。 一章 歴史の概念 二    問題はかくの如き現在が存在としての歴史の秩序に属するかどうかということである。存在としての歴史の秩序に於ける現在は普通に「現代」と称せられる。それは歴史学者の所謂時代区分に於て、古代、中世、近世、そして現代と区別さ

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「第一章 歴史の概念」 二, 三 【新字新仮名】

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「序」 , 「第一章 歴史の概念」一 【新字新仮名】

          以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「序」と「第一章 歴史の概念」一 の新字新仮名版です。 ※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。 ※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。 歴史哲学三木清 序  今私の手から離れたばかりのこの書の内容そのものに就いて、私はここに特に語るべきことをもたない。云わうと欲することはこの書のうちの何処かで何かの形に於て既に述べておいた筈である。他日この書の内容そのものが私にとって「歴

          三木清 / 『歴史哲学』 - 「序」 , 「第一章 歴史の概念」一 【新字新仮名】

          三木清 / 論理と直観 (新字新仮名)

          以下に記すのは、三木清の作品『論理と直観』の全文(新字新仮名 版)です。 ※投稿者自身が繰り返し読むために、旧字旧仮名から新字新仮名へ書き換えました。誤字脱字等があればご容赦ください。 ※青空文庫にて旧字旧仮名版を閲覧可能です。 論理と直観三木清  我々が物に行くのは直観によってである。これは如何なる物であろうとそうである。ただ物に行くというのみではない、直観によって我々は物の中に入り、物と一つになるとさえいわれるであろう。故に知識というものが元来何等かの物の知識である限

          三木清 / 論理と直観 (新字新仮名)

          今が踊る

          僕と君はワルツを踊る 僕は、君を愛してる。 私とあなたはワルツを踊る 私もよ。 だけど、私は今も。今もなの。 私が言葉を音にする瞬間瞬間に。 その音があなたに響く瞬間瞬間に、 あなたを愛してるの。 あなたもそうなのかしら、確信が持てないわ。 僕と君はワルツを踊る もちろん僕もそうだ、今も愛してる。 それにきっとずっと君を愛してる。 私とあなたはワルツを踊る ねえ、あなた。 今っていうのは、現れたとたんに死んでしまうと思わない? あなたの愛は、あなたの言葉は、その

          【論文紹介】遊び心、遊び、そして遊戯的現象の進化と性淘汰の関連性

          【まえがき】 "人間は遊ぶ存在である"  -  ホイジンガ”わたしたち人間は「ホモ・サピエンス(賢い人)」よりも「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と称するのがふさわしい”と主張したのは、オランダの歴史家ホイジンガだ。 ホイジンガは自著『ホモ・ルーデンス』において膨大な学際的知識を駆使し、綿密かつ大胆に「人間は遊ぶ存在である」ことを論証している。 また、哲学者ニーチェは遊びを哲学における最上の方式だとみなした。 ホイジンガやニーチェのような遊びの捉え方は、おそらく大半の人にと

          【論文紹介】遊び心、遊び、そして遊戯的現象の進化と性淘汰の関連性

          マイケル・トマセロ著『行為主体性の進化』から空想する「創造力の一基本要素としてのアニミズム」仮説と、「不確実性の時代」への対処による地球規模の社会集団への移行可能性

          本記事について なぜわたしたち人間だけが科学や芸術、(広義の)遊戯などの創造的行為をなせるのか? また、地球市民という言葉が現れて久しいが、この「不確実性の時代」に私たちが何らかの形で地球規模の社会集団を築き、真の意味で地球市民となる現実的な可能性はあるのか? この記事では、『行為主体性の進化:生物はいかに「意思」を獲得したのか』(マイケル・トマセロ著, 白揚社)(以下、『行為主体性の進化』あるいは本書)という本から得た知見を頼りにして、身の程知らずにも、これらの難題につい

          マイケル・トマセロ著『行為主体性の進化』から空想する「創造力の一基本要素としてのアニミズム」仮説と、「不確実性の時代」への対処による地球規模の社会集団への移行可能性

          映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』〜人工と自然、欲望と適応、改造と進化の混合

          はじまりは、遠景。 向こうに、海岸のほとりに横転する大型船。岸に辿り着けなかった船、これが暗喩するのは、大洪水(ここでは大災害か)に呑まれるノアの方舟か、あるいは処女航海中に沈没した豪華客船か、両生類に進化できず陸に進出できない魚か、沈滞した現人類文明か。何にせよ、船は岸につけなかった。 船のかわりに岸辺にいるのは、磯遊びする一人の少年。少年は、岸・陸地で悠々と遊ぶ。船が目前にした陸で。彼らの物理的距離は近いが、在り様は隔たっている。少年と船。この隔たりは種の違いかもしれない

          映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』〜人工と自然、欲望と適応、改造と進化の混合

          おやゆび姫を朗読して 〜表層に恋する男性たちの求婚と、姫を愛するツバメの失恋〜

          こんにちは、遊月つかさです。 今回は、アンデルセン童話のひとつである「おやゆび姫」について書いていこうと思います。 童話といって侮るなかれ。童話とは、大人の作者が己の人生の教訓を、子供たちに伝えるための一つの形式(僕の考え)。そんな酸いも甘いもたっぷり込められた物語は、大人が読んでも考えさせられる事があるものです。 あらすじところで、「おやゆび姫」を読んだことがありますか? 僕は先日、朗読配信で初めて読みました。未読の方に、マウントとれる立場にありません。安心してください

          おやゆび姫を朗読して 〜表層に恋する男性たちの求婚と、姫を愛するツバメの失恋〜