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三木清 / 『歴史哲学』 - 「第一章 歴史の概念」 二, 三 【新字新仮名】

以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「第一章 歴史の概念」二, 三の新字新仮名版です。
※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。
※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。



一章 歴史の概念

 
 問題はかくの如き現在が存在としての歴史の秩序に属するかどうかということである。存在としての歴史の秩序に於ける現在は普通に「現代」と称せられる。それは歴史学者の所謂時代区分に於て、古代、中世、近世、そして現代と区別される場合に於ける現代である。いま我々が最も重要な概念として取り出した現在はこのような現代のことであろうか。歴史叙述にとってのそれの重要性を主張した人々の多くは、この問に対して肯定的な態度をとって肯定的な態度をとっているように見える。否、彼等はこの点に就いて寧ろ明確な自覚をもたず、曖昧のままにしているのが普通である、と云った方がよい。我々もこれまで「現代」と「現在」という二つの語の区別をせずに用いて来た。然し今や両者を術語的に区別することが必要である。我々のいう現在は現代、即ち存在としての歴史の秩序に於て現在と考えられるものであることが出来ない。我々はそれを、存在としての歴史に対して、事実としての歴史、、、、、、、、と呼ぼうと思う。かくて我々は歴史のまさに第三の概念として、事実としての歴史なる概念を得る。このものを他の歴史の概念、就中存在としての歴史の概念から区別することが肝要である。マイヤーが「歴史家の現代は如何なる歴史叙述からも排除され得ない一の契機である」と云った場合、この現代は存在としての歴史の秩序に於ける「現代」ではなく、却て「現在」のことでなければならない。クロオチェも現代性があらゆる歴史の本来の性格であり、凡ての歴史は現代の歴史であると述べているが、もしここにいわれた現代にして存在としての歴史の秩序に於ける現代を意味するならば、古代の歴史、中世の歴史、等は、明かに古代の歴史、中世の歴史、等のほかのものでなく、それが凡て現代の歴史であるなどとはもちろん云われ得ない筈である。従って彼のいう現代性 contemporaneità はもと現在性のことでなければならないのであって、凡ての歴史はまさに現在によって支えられ、現在によって一つの全体に形作られるが故に、それは同時性という意味での contemporaneità の性格をも得ることが出来るのである。我々は様々な点から現代と現在との量概念を区別し得る。先ずさきに歴史が書かれ且つ書き更えられる条件として挙げたものに関して述べよう。
 一、我々は歴史を繰り返すということが手繰り寄せるということであることを云った。歴史の端緒は現在であって、そこから過去が手繰り寄せられるのである。今から昔へのこの順序は明かに存在としての歴史の進行とは逆である。後者は古代、中世、近世、そして現代へと進む。従ってその順序に於ては現代はどこまでも後のものであり、また後のものであるのほかなく、それが歴史の端初であるなどとは考えられ得ない。歴史の端初である現在はこのような現代ではなく、およそ存在としての歴史とは異る秩序のものでなければならぬ。それが事実としての歴史の秩序である。二、歴史的なものの選択は現在を基礎に有する。然るにそのときもしこの現在にして現代のことであり、現代の見地から選択がなされるのであるとすれば、そのときには、マルクスの非難した如き、「最後の形態が過去の諸形態を自己自身への諸段階と見、それをつねに一面的に把握する」という誤謬、或は「一切の歴史的差異を拭い消し、一切の社会形態のうちに市民的社会形態を見る経済学者」に類する誤謬に陥るということも免れ難いであろう。そのときこそ歴史叙述は所謂パースペクチヴィズム Perspektivismus に伴う種々なる危険にさらされる。そうではなくて、現在に立ちながら、しかも諸時代のそれぞれの独自性、その間の本質的な差異が認識され得るのは、この現在が現代のことではないからである。それだからこそ歴史的認識は単に現代とそれ以前の時代との比較というが如き外面的なものでなく、一の内面的な統一を含むことが出来るのである。三、真の歴史的認識が成立するためにはひとつの全体が与えられねばならない。この全体を与えるものは現在である。これに反して現代は歴史的時代の一つとして、寧ろかくの如き全体の一つの部分であるに過ぎぬ。古代、中世、近世と並んで同じ秩序に於て一つの部分であるものが全体を形作る原理であると考えられることは不可能である。かかる原理は存在としての原理とは異る秩序のものでなければならず、それが事実としての歴史である。歴史は現在の時間のパースペクチヴからしてのみ書かれる、と云われたが、このパースペクチヴの原理たる現在は存在としての歴史の秩序に属さないのであるから、このこともなお十分厳密に語られてはいないのである。歴史は現代、、を理解せしめる、と一般に云われている。これは固よりその通りである。然しひとは同時に、現在、、は歴史を理解せしめる、という更に深い真理を忘れてはならない。
 かくて現在と現代という二つの概念が区別せられる。しかもそれらは同じ秩序に於て区別せられるものではなく、全く異った秩序に属するものとして区別せられるのである。それ故に現在は現代と同じ列に続きその最先端に位すると考えられる意味に於ける所謂「瞬間」であるのではない。それは一年、一時間、一分などと計量される時間の最小なるものとしての瞬間であるのではない。もしも現在が現代と同じ秩序に於て連続しているとすれば、現在に最も密接に関係するのは古代や中世などであり得ず、まさに現代であるのほかないであろう。然るに真実を云えば、ひとは歴史に於て屡々現代に対して全くよそよそしく覚え、却て遥かなる過去に対して最も親密に感じることがある。かのルネサンス時代の人々は彼等に対して一層近き過去たる中世を葬って、一層遠き過去たる古代に彼等の現在の活動を結び付けたのであった。凡てこのようなことは、現在が存在としての歴史の秩序のものでなく、高次の秩序のものであることによって可能である。現在はたとい瞬間と呼ばれるにしても、それは決して計量される時間の百年、十年などとの比較に於てかく呼ばれるのではないのである。それは一般に計量され得る時間の秩序に属していない。
 普通に考えられるところによれば、歴史とは過ぎ去ったもの、既に在ったところのものである。あらゆるものは歴史となる、などと云われるとき、歴史はこのように過去のものと考えられているのである。まことに存在としての歴史は唯過去のものとしてある。それがこの歴史概念の本質的な規定であって、歴史ということが存在としての歴史を意味する限り、歴史の概念と過去の概念とは離れ難く結び付いている。この場合所謂現代といえども固より例外をなし得ない。存在としての歴史の秩序に属する限り、現代もまたひとつの過去である。それ故にひとが屡々「歴史」と「現代」とを対立させているのは、不精密であると云われなければならぬ。あらゆる過去に対立するものは唯現在のみである。現代が存在としての歴史に属するのに対して、それと区別された現在は事実としての歴史である。後者の立場からするならば、前者に於ける現代も何等現在ではなく、なおひとつの過去であるに過ぎない。一般的に云って、歴史とは凡て過去のことであるとせられるのは、存在としての歴史の立場に於てでなく、唯事実としての歴史の立場に立ってのことでなければならぬ。健全な常識が歴史とは凡て過去のことであるとするのは、存在としての歴史とは異る秩序の事実としての歴史は、最も近き現代をも要するに、、、、歴史であり、過去であるとすることによって葬る。然しこの同じ事実としての歴史は、最も遠き過去をも手繰り寄せ、全体のうちに包むことによって活かす。死のみあって生のなきところにも、生のみあって死のなきところにも、共に歴史はなく、歴史とは死と生との統一である。事実としての歴史は、それが過去の歴史を活かすものである限りまさしく「歴史的なもの」であるが、それがこのものを葬るものである限り却て「非歴史的なもの」である。それは歴史的なものであると共に非歴史的なものである。「非歴史的なものと歴史的なものとは同様に、一個人、一民族、一文化の健康にとって必要である」(ニイチェ)。ところで事実としての歴史はまた屡々「生」と称せられている。そしてこの場合、丁度歴史と現代とが対立させられた如く、歴史と生とが対立させられる。かように考えることが理由のあることであるとしても、我々はなお注意することを忘れてはならない。真の生は死と生との統一である。生は歴史を生あらしめるものであると同時に、歴史を葬るものも生である。また生といわれるものは本来二重のもの、即ち一方存在としての生、他方事実としての生である。前者は電気に叙述されるような「生涯」である。従って歴史に対立させられた生は存在としての生ではなく、事実としての生でなければならぬ。むろんこのように対立するからといって、事実としての生が歴史でないのではない。それは事実としての歴史、、であるのである。
 さて一般的に次の如く云われることが出来る、ーー事実は存在に先立つ。これは一の最も原理的な命題である。もし事実にして存在に先立つならば、事実こそまさしく形而上学的なものである。もと形而上学 Metaphysik という語はギリシア語の τὰ μετὰ τὰ φυσικά に由来する。この不思議な名称は、その μετὰ(後に)がtrans(越えて)の意味に解釈されることにより、物理的なもの或は自然を越えるものを現わす。形而上学的なものはかかるものとして本質存在もしくはイデーであったり、意識の領域であったりするのであろうか。自然の存在、或はまた歴史の存在、一般に存在、、を越えるものを何等かの存在、、と考えるとき、我々は古き形而上学に陥らなければならない。形而上学的なものは寧ろあらゆる、、、、存在を越えるものという意味で事実、、でなければならぬ。かかる事実としての歴史は、存在としての歴史を越えるものとして原始歴史 Ur-Geschichte(オーヴァベック)と呼ばれてもよいであろう。事実が形而上学的なものと考えられるにしても、それはこのものが不易不動であるということを意味するのではない。それは絶えず運動し、発展する。古き形而上学が存在をもって変化的な現象となし、これを越えるものを常住不変なものと見做したのとは反対に、事実こそ真に動的なものであり、これに対して存在は寧ろ一面に於て事実の否定として固定的なものと云われよう。存在の運動と発展とは根源的には事実の運動と発展とにもとづくと見らるべきであろう。
 存在の概念はいつでも領域の概念と結び付いている。あらゆる存在は領域的と考えられる。従って一切の存在論はその性質上領域的存在論である。このようにしてまた普通に歴史と自然とが区別されるのは、存在の秩序に於て領域の区別としてでなければならぬ。或は自然と精神(ディルタイ等)、或は自然と文化(リッカート等)、などと区別される場合も同様である。歴史と自然とは、存在として、たしかに、それぞれひとつの領域を形作るものと見られる。これに反して事実というものは何等領域的なものではないのである。ここに存在と事実とのひとつの最も重要な相違が横たわっているであろう。それは何等領域的なものでない故に、かかる歴史は、それが領域の意味に於ける自然でないと同じように、領域としての自然に対する領域としての歴史の意味に於ける歴史でもない。事実としての歴史は自然から区別された歴史でない。この意味に於てはそれは寧ろ自然と歴史との統一であると云わるべきである。それは高次の自然であって高次の歴史である。事実としての歴史は、単なる歴史でもなく、単なる自然でもなく、却てもともと事実の歴史性、、、、、、のことである。原始的意味に於ける歴史的なものと自然的なものとの統一が単なる統一でなく、実に弁証法的統一であるところに、事実の歴史性があるのである。



 先ず事実としての歴史は行為のことであると考えられる。人間は歴史を作ると云われている。このように歴史を作る行為そのものが事実としての歴史であって、これに対して作られた歴史が存在としての歴史であると考えられるのである。作ることは作られたものよりも根源的であり、作ることがなければ作られたものもないのであるから、その意味に於て事実としての歴史は存在としての歴史に先行するであろう。そしてまた実際、作ることと作られたものとは対立する。作られたものは固定した、限界せられた形態をとることによって、それが作られるや否や、作ることに対して他者となる。「魂が語るや否や、既に魂はもはや語っているのではない。」Spricht die Seele, so spricht, ach, schon die Seele nicht mehr. という句は、単に言語に就いてばかりでなく、あらゆる歴史的なものに就いて云われ得ることであろう。従って存在としての歴史は事実としての歴史に対して、一方固よりそれの実現であると共に、他方それの否定でもある。行為はたしかに歴史的認識の基礎ともなっている。なぜなら歴史的認識が成立するためには或る全体が与えられなばならないが、かかる全体は絶えず移行する歴史の過程を切断すること Entscheidung によって初めて形作られ得るのであり、そのためには決心すること Entscheidung が必要である。認識しようと欲する者は決心することを避けることが出来ない。ところで凡ての行為は自由を含んでいる。如何なる自由もないところには、本来行為といわるべきものはない。その限りに於て事実としての歴史はまさに自由である。
 然しながら行為というとき、行為する「もの」が考えられる。フィヒテの如き観念論の立場に立たない限り、かかる「もの」を離れて行為を考えることは出来ない。哲学的にいってかかる「もの」とは何であろうか。この問題はこの「もの」を「存在」へと考えることによっては解決され得ないように思われる。単に認識の場合に限らず、我々は一般に何等かの意味で主体=客体ーー認識論的意味に於て主観=客観といわれるのはそのひとつの場合であるーーなる概念を欠くことが出来ず、両者はどこまでも区別される。認識論者が如何にしても客観化され得ぬものが主観であると云うように、如何にしても客体の秩序に属し得ないところに主体の本性が求められねばならぬ。我々は自己、、の存在をも行為の客体とすることが出来る。それだからとて、我々は主体乃至主観が純粋自我であるとか、凡そ意識であるとかと云うのではない。我々は自己の意識の存在をさえ行為の客体となし得る。我々は主体客体の統一であるということは、或る意味では全く正しいことであるにしても、かかる統一はなお主体と客体との区別を予想せねばならぬ。我々は「行為するもの」を事実と称する。そこでは行為と物とが二つでないところから、それは事実 Tat-Sache と云われる。事実としての主体を前提した上で主体も初めて客体的存在であり得るのである。固より事実と存在とは全く無関係ではない。事実の如何なるものであるかも存在を通じてでなければ客観的に認識されることが出来ぬ。
 我々はロゴスとしての歴史と存在としての歴史とを区別して来た。然るにいま事実としての歴史という優越な見地に立つとき、ロゴスとしての歴史もやはり存在としての歴史に属するものと見られ得る。歴史叙述は、芸術、法律等と並んで文化の一形態であり、かかるものとして存在としての歴史の中に数えられる。歴史叙述も作られた歴史の一種であり、それを作る行為と見られる限りに於ける事実としての歴史の産物である。芸術を作ることが時に芸術的「実践」と呼ばれているように、歴史を書くことはひとつの実践と考えられることが出来る。そうだからと云って、もちろんロゴスとしての歴史と存在としての歴史との区別がなくされるわけではない。芸術そのものとそれに就いての歴史叙述たる芸術史とが区別されるように、歴史叙述そのものが文化のひとつとして、存在としての歴史と見られる場合にも、それとは区別されてかかる歴史叙述に就いての、、、、歴史叙述即ち史学史なるものが存し得るからである。実際、歴史を叙述するということは人間の行為の最も根本的なものに属しているのである。人類の最も古き伝説乃至神話も既にそれ自身の仕方に於てひとつの歴史叙述であったのである。ヴィコは最古の諸神話は政治的心理を含んでおり、そしてそれだから最初の諸民族の歴史を表現していると考えた。アリストテレスは神話を愛する者 φιλόμυθος は或る意味では智を愛する者 φιλόσοφος 即ち哲学者であると云ったが、我々はこの言葉を移して、神話を愛する者は或る意味では歴史家であるとも云い得よう。ところで問題は、何故に人間の行為の最も特色ある且つ最も根本的なもののひとつが歴史を書くことであるかということ、この全く単純な意味に於て既に何故に人間の行為が歴史的、、、行為であるかということである。このときもしひとが歴史を書くことは認識であって行為ではないという一面に於ては固より正しい反対をなすならば、我々はこれに答えて、歴史の認識そのものと雖も右に記した如く行為を前提すると云い得るであろうし、更に歴史が書かれるということは純粋な認識でなくそのためにはペンや紙などが必要であるばかりでなく、古来歴史は「かがみ」と云われたように人間はまことに屡々実践上の目的から歴史を認識するのであると云い得るであろう。人間は彼等の現在の行為を過去の歴史に結び付ける、これらのことは凡て人間の行為そのものの根本的な規定にもとづく筈であり、かかる規定はその行為の歴史性を現わすのでなければならぬ。そして問題はこのような歴史性が何であるかということであり、言い換えれば、何故に行為が事実としての歴史、、と呼ばれねばならぬかということである。そこで我々は次のことに注意せねばならぬ。
 第一、我々は事実としての歴史を現在と称して来た。然るに我々にとって行為の概念は未来という時間概念と結び付いているのがつねである。我々の行為は絶えず未来への関係を含む。このように現在は未来への関係を含むが故に、我々にとって現在は「永遠」でなく、却て「瞬間」であるのである。永遠は時間でなく超時間的である。現在が瞬間であるところに時間がある。従って時間の最も重要な契機は未来である。その限り時間の特性は予料 Antizipation であり、時間は本来予料的時間であると云ってよいであろう。それにとって現在は瞬間であるから、我々の行為は歴史的と考えられるのである。これに反して永遠は超歴史的であって、歴史的ではなかろう。そして現在が瞬間である故に、実にまた我々の行為には「決心する」ということが属するのである。我々は上に於て、歴史は現在から書かれると述べておいたが、今や進んで、歴史は未来から書かれると云わればならぬであろう。然るにかくの如く現在が永遠でなく瞬間であるのは、そこに否定的なものが含まれているからでなければならない。即ち現在のうちに含まれる未来が現在に対して否定的なものの意味を担っているために、現在は瞬間であるのである。瞬間と云われる最も特殊な時間概念はこのように否定的なものを離れてはないのであって、単に未来を予料するということだけからは現在は瞬間であるということは生じて来ない。行為は未来に於て実現されると考えられる。然しながら単に実現という関係だけでは行為的実現が瞬間であることはなく、かかる実現は同時に否定であるがために、現在は瞬間であるのである。事実としての歴史は存在としての歴史となる必然性を含む。かくなるということは一面実現の意味をもっている。けれども事実としての歴史と存在としての歴史とは、既に云ったように、対立せざるを得ないのであるから、後者は他面に於て前者の否定である。未来が現在の否定または死である故に、未来を予料する現在はまさに瞬間であるのである。この意味に於て時間の本性は終末観的 eschatologisch 時間であるとも云われよう。それだからこそ人間の行為は決心するということであるのである。かくの如き瞬間が常識の考えるような計量的時間の最小なるものとは全く異ることは前に云った通りである。現在たる瞬間は未来を含むばかりでなく、過去をも包み得る、過去の歴史を包んで活かすものは現在であると述べられた。まことにかかるものとして瞬間は時間のうちにありながら永遠の相を現わしている。
 第二、然るにもし現在の予料する未来が現在に対して否定的な方面を有するとするならば、このことは現在そのものが否定的なものをそのひとつの契機とすることを証しするのでなければならぬ。現在そのものが既に否定的な契機を含むが故に、否定的な方面を有する未来を含まざるを得ないのである。換言すれば、行為は絶対的に自由なものでなく、また必然的なものであるから、行為は歴史的なものである。歴史は、シェリングも論じた如く、絶対的な自由をもっても、絶対的な必然をもっても成立するのでなく、却て唯両者の結合によってのみ可能である*。このような必然の原理は自然と呼ばれる。それは固より存在としての自然ではなく、事実のうちに含まれる自然的なものを意味する。いまかかる自然的なものは我々の行為に必然的に結び付いているところの感性的なもの、特に身体的なものと考えられることが出来る。我々は事実をば領域的ならぬものとして規定したが、哲学の歴史に於て領域的ならぬものを発見したのはカントであったと見られ得る。彼のいう自我がそれである。彼はこれによって古来の存在論、形而上学を破壊した。カントの自我は純粋に実践的なものに徹底されることによってフィヒテの所謂事行となった。然しながら我々のいう事実としての歴史はカントの自我はもとより、フィヒテの事行とも決して等しくない。それはフィヒテに於けるが如き純粋な行為でなくして、却て感性的なもの、身体的なものと結び付いた実践である。それは Tathandlung(事行)ではなく、まさに Tatsache(事実)である。換言すれば、それは Tat ーーしかも Handlung より一層客観的な意味に於ける行為ーーであると共に、Sache ーーしかも Tat よりも一層客観的な意味に於ける物ーーの意味をもっている。行為が物の意味をもつのは、それが身体的、感性的であるがためである。蓋しもし事実としての歴史が単に行為であると解されるならば、この行為の主体は何であるかという問題が提起されるであろう。この行為の主体は何等かの「存在」であり、行為に先立ってそれの予想をなすものと考えることが出来ない。そうかといって、我々はフィヒテの如き立場を認めることはなおさら出来ないのである。そのいずれでもなくて、歴史の基礎であるところの行為に於ては行為が直ちに物の意味をもち、行為が即ち事実であるのである。固より物もまた行為の意味をもっている、そうでなければ物は事実(Tat-sache)とは云われない。物が行為を前提するのでもなく、行為が物を前提するのでもなく、行為と物とが一つであるのである。感性は身体的なものとして決して単に受容的であるのではなく、寧ろ行為的、実践的である。感性のかくの如き実践的性質を認め、力説したのはマルクスであった。このように身体的、感性的であるために、人間の行為は必然的に自然の存在或は存在としての自然に結び付く。身体は単に自然の存在であるのではない、ーーそれだからしてそれは外的自然に対して内的自然とも、人間の自然とも呼ばれ得るのである、ーー身体は像時に事実として自然的なものである。我々は身体を通じて外的自然につらなる。何等かの自然の存在に結び付くことがない如何なる行為も歴史的とは云われない。歴史は決して自然の存在から切り離されたものでなく、これと最も密接に連関して展開するのである。
 * Vgl. Schelling, System des transcendentalen Idealismus, WW. Ⅰ. 3, S. 587 ff.
 ところで第三に、このように身体と見らるべきものは、単に個人的身体であるのではなく、他方に於て、また社会的身体とも云うべきものである。かような社会的身体を我々は、思想の歴史の伝統に従って、種族 Gattung という語をもって表わそうと思う。ここに謂う種族は人間という類概念のことではなく、また人類学や民俗学などの対象であるような存在としての種族のことでもなく、人間の社会的自然のことであり、一切の人間がもつと考えられ得る社会的身体のことである。そして我々の見るところによれば、かような社会的身体の概念を除いて如何なる社会概念も基礎付けられることが出来ない。ブルジョワ社会の成立以来、近代的な考え方は社会概念の解明にあたって個人から出発するのをつねとする*。ルッソオ的の社会契約説は固より、カント的な人格の共同体としての社会の概念、現代の社会学の諸学説に至るまで、殆ど凡てがそれである。然しながらこのようにして社会は人為的なものとなり、或は現実的ならぬ倫理的当為となってしまい、社会の現実性と根源性とは失われてしまう。そうではなくして、あらゆる人間は事実として社会的身体ともいうべきものを具えているのであって、そのために人間は社会の存在、従って存在としての歴史に自己を結び付けるのである。プラトンは『シュムポジオン』の中でアリストパネスをして、昔男女は一つの全体の身体であったが、二分されてその各々の半分が男となり女となったのであるために、今男と女とは相求め、相愛し合うのであるというひとつの神話を語らしめている。このように人間は社会的身体を有するが故に、社会の存在も作られるのであり、彼の凡ての行為は存在としての歴史に結び付かざるを得ないのである。そのことがなければ、人間には彼の最も特色ある活動のひとつとして歴史を書くということも属しないであろう。「種族」は人間の社会的「事実」である。個人的身体の保存と発達のために自然物が消費されねばならぬように。種族即ち身体的身体の保存と発達とにとっては個人の死滅するということが必要なのである。種族は個人の犠牲を要求する。個人が社会のために喜んで犠牲になろうというのは、種族が彼の社会的身体であるためである。シェリングは云っている、「如何なる犠牲も、ひとがそれに属する種族は、進歩することを決してやめることが出来ないという確信なしには可能でないとすれば、いったいこの確信は、もしもそれが唯専ら自由の上に築かれているとするならば、如何にして可能であろうか。」人類の歴史が犠牲の歴史であるところに、我々は事実としての歴史のうちに或る必然的なものが含まれているのを知ることが出来る。種族はかかる必然的なものを現わすのである。云うまでもなく、我々は種族の概念をもって社会の階級的構成を否定し、国民主義、民族主義、人類主義、等々に加担しようとするのではない。我々の問題にしているのは一般に種々なる社会の存在が成立するに至る哲学的基礎である。即ち我々は、何故に一般に人間は自己を社会の存在に結び付けるかと問うているのである。一定の構造を有する社会の存在が人間に一定の影響を及ぼし、そのために人間が一定の仕方で結合することによって例えば階級なるものも成立するのであるが、このことは既に人間が一般に自己を社会の存在に結び付けるという事実の必然性を前提しなければならぬ。ここでも事実としての歴史が存在としての歴史を作るのである。固よりまた逆に存在としての歴史が事実としての歴史に影響を及ぼすことがなければ階級などというものも構成されない。両者のこのような弁証法的関係に就いては更に後に詳論される筈である。
 * 拙著『觀念形態論』一九八頁以下〔全集第三卷收緑〕參照。



『歴史哲学』の他の部分の新字新仮名版はこちら

※続きは随時更新予定です。


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