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三木清 / 『歴史哲学』 - 「序」 , 「第一章 歴史の概念」一 【新字新仮名】

以下の文章は、三木清の著作『歴史哲学』の「序」と「第一章 歴史の概念」一 の新字新仮名版です。
※投稿者が読み返す目的で、旧字旧仮名の原文を新字新仮名に書き換えました。誤字等はご容赦ください。
※原文は、青空文庫にてご覧いただけます。



歴史哲学

三木清


 今私の手から離れたばかりのこの書の内容そのものに就いて、私はここに特に語るべきことをもたない。云わうと欲することはこの書のうちの何処かで何かの形に於て既に述べておいた筈である。他日この書の内容そのものが私にとって「歴史的なもの」となったとき、私自身これに就いて更めて語ることもあろう。もと叢書の中の一冊として定められていたために、紙幅の関係からしても論ずべくしてそこに論ぜられ得なかった問題は多い。それらに関しては今後他の形式で論述され、究明されるであろう。歴史哲学としてもこの書は寧ろその序論的部分に過ぎぬ。歴史の問題は我々の国に於ては従来あまり顧みられなかったのであるが、今や事情は全く変化した。しかもなおこの方面に関する著述の殆ど全く欠けている場合、この書も幾分の存在理由を有し得るものと期待してよかろうか。
 私が歴史哲学上の諸問題に関心するのは、私の京都帝国大学哲学科在学の頃以来のことである。今自分の思想を一応、もとよりほんの一応、この書の形で纏め、この後の研究のひとつの踏石たらしめようと考えるに際し、私は自分のとにかくここまで歩んで来たのはひとえに師友の指導と刺戟とによることを思い、こころからなる感謝を捧げる。巻末に付した索引は池島重信君の力になるものである。君が貴重な研究の時間を割いてこの面倒な仕事にあたってくれたのに対し特に謝意を表明する。

千九百三十二年一月三十一日
東京に於て
三木清

第一章 歴史の概念 一

 
 ここに考察される対象を表わすところの「歴史」という語は、普通に二重の意味を負わされている。これは我々に先立って歴史の問題に就いて探究した人々によって注意されたことであって、既にヘーゲルの如きも、それをこの語の含む主観的及び客観的方面として区別したのである。即ち、歴史という語は、多くの国語に於て、我々の国語も例外をなすことなく、一方では主観的に、「出来事の叙述」historia rerum gestarum の意味に於て、そして他方では客観的に「出来事」res gestae そのものの意味に於て、用いられている。後者はまさに存在としての歴史、、、、、、、、にほかならず、これに反し前者はかかる存在としての歴史に就いての知識及び叙述であり、ロゴスとしての歴史、、、、、、、、、と呼ばれることが出来よう。かくの如き二重の意味に相応して、我々は歴史を経験する、などと云われると共に、我々は歴史を書く、などとも云われているのである。
 いま歴史に関する考察を始めるに際し、先ず、歴史のこのような二つの概念を区別しておくことが大切である。それが必要なだけ十分に区別されていないために、思想の曖昧と混乱とを惹き起し、多くの議論も的無きものとなっているということは、決して稀ではない。両者の区別は、例えば、次のように考えることによって理解されよう。もしも東ローマの著述家たちが彼等の隣人に対して活発な関心をもっていなかったとしたならば、歴史家の云う如く、ロシア人、ハンガリア人、セルビア人、クロアチア人及びブルガリア人の早期に就いての我々の歴史的知識は「白紙」であったであろう。然しながら、伝記者が書き留めるか否かということから独立に行われる客観的な出来事の見地からするならば、「歴史無き」如何なる民族も存しない。歴史は必ずしもつねに歴史として記し伝えられるのではない。記し伝えられぬ歴史ということは歌わぬ詩人ということほどの矛盾も含んでいない。そこでロゴスとしての歴史と存在としての歴史との間には或る距離、或る乖離があるということは明かであって、この距離とこの乖離とに留意することが我々に対して先ず要求されるのである。固よりかくの如き乖離は両者の関係の一面である。一つの語「歴史」Geschichte, histoire, history が歴史の二つの意味を自然的に結合して含むところに表現されているように、存在としての歴史とロゴスとしての歴史との間には、他面に於て、或る統一の関係がある。けれども我々は、後に至ってこのような統一の関係を一層明瞭に認識し、それの性質を一層明確に規定するために、最初に両者の間の乖離の関係を十分に理解しておかなければならないのである。
 ところで事物の本性に従うならば、存在としての歴史はもちろんロゴスとしての歴史の出発点である。前者は後者に先行し、或る歴史的事件の行われた後に於て初めて、それに就いての歴史叙述も成立し得ることは明かである。然るにロゴスとしての歴史即ち歴史叙述の立場から云うならば、存在としての歴史は自己の出発点ではなく、寧ろ自己の到着点であるということが普通である。歴史叙述は殆ど凡ての場合、出来事をそれが行われている間に直接に観察することを許されていない、それは却て出来事の残していった痕跡を研究することによって、これを間接に知るのである。かくの如き痕跡は一般に史料と称せられている。恰も史料が、ーー Quellen(源泉)というそれに当る語の表わしているように、ーー歴史学にとっての出発点である。然し史料は、ーー docere(知らせる、教える)から出たところの documents(史料)という語が示しているように、ーー出来事そのものであるのでなく、出来事に就いて、、、知らせるものであり、歴史家は史料をもとに来たって出来事に就いて問い合わせるのである。従って史料と出来事そのものとの間には距離がある。歴史叙述にとって、「史料、それは出発点である。過去の事実、それが到着点である*。」と云われなければならぬ。そこで我々は史料と呼ばれるものの一般的位置を規定することが出来よう。それは存在としての歴史とロゴスとしての歴史との丁度中間に位する。歴史に関する考察にとって有害な混乱の生じないために、史料のこのような中間的位置を正しく認識しておくことがまた必要であると思われる。まことにかくの如き位置に相応して、史料は、一方では或る意味に於て存在としての歴史の性質を担い、そして他方では或る意味に於てロゴスとしての歴史の性質を具えているところから、或はそれが出来事そのものであるかのように、或はそれの羅列が歴史叙述そのものであるかのように、見做されるということが起こ得る。然しながら史料はそのいずれとも等しくない。それと存在としての歴史との間には或る距離乃至乖離のあるために、そこからして歴史家が史料の「批判」と称するものも飛び出して来るのである。また史料は歴史叙述の端初でこそあれ、それの目標ではない。歴史的研究に於て史料が突き合わされ、相互の連関が尋ねられるというのは、史料がこの研究の目標であるからではなく、却てかくすることによって史料の背後にあるものが探り求められているのである。史料の研究はこのものを光に持ち来たすための「地下の仕事」(ニーブール)である。歴史叙述にとってはその素材を意味するところの史料の背後になお存在としての歴史が横たわっている。歴史的研究は史料に結び付き、それを把握することを通じてまさにこの背後のものを理解しなければならぬ。
 * Langlois et Seignobos, Introduction aux éudes historiques, p. 44.
 史料といわれるものには色々な種別があり、歴史理論家によって種々に区分されている。それはもちろん言語及び文字をもって伝えられたものに限られることなく、古器物、古泉、紋章、その他まことに様々なるものを含んでいるけれども、その中に於て言語及び文字即ちロゴスによるものが、最も重要な、且つ最も優越な位置を占めるということは争われないであろう。他の凡ての種類の遺物の理解または解釈はこのものを前提し、このものに指示を求めている、とさえ云われ得る。それだからランケの如きも、凡ての歴史は文書と共に初めて始まる、と云った。ロゴス的史料の欠けているところでは歴史叙述の実際上の可能性もまた存しないように見える。かくの如き事情から歴史家は時に思想そのものが主として歴史を支配すると考える観念論的偏見に誘い込まれることがあるが、かかる偏見を離れてもロゴスが史料として占める特に優れた位置は認められなければならない。ところで、いま我々にとって注意すべきことは、ロゴスとしての歴史が絶えずこのようなロゴス的史料の位置へ移って行くということである。即ちその当時にあってはそれみずからが一の歴史叙述であり、一の歴史書であったものが、後世の歴史家にとっては一の史料となる。ロゴス的史料のうちには嘗ての歴史書がその注目すべき一部分として含まれている。云うまでもなく、あらゆる他の種類の史料と同じく、歴史書も史料として、存在としての歴史と決して等しくはない。ロゴスとしての歴史は史料の位置にまで移ることがあっても、存在としての歴史の位置にまで来ることは出来ない。しかもロゴスとしての歴史が史料の位置に移るということは、明かに一定の条件のもとに於て、即ちそれが新たなる歴史叙述、換言すれば、ロゴスとしての歴史のもとに従属させられるときに於て、生じるのである。かくして我々は、史料の概念を媒介とすることによって、ロゴスとしての歴史と存在としての歴史とが歴史の二つの根本概念であること、且つ両者の間には、そこに史料の概念が介在するような距離があること、を明かにし得たと思う。史料は両者の中間にあって、ロゴスとしての歴史から云えば、なお歴史以下のものであり、存在としての歴史から云えば、既に歴史以上のものである。
 然るに我々が丁度今指摘したこと、ロゴスとしての歴史が史料の位置へ移るということは、既に或る重要な問題を含んでいる。それはとりもなおさず歴史が書き更えられるということである。歴史は様々な条件のもとに於て書き更えられるに至る。ひとはかかる条件として何よりも史料の状態を挙げるであろう。従来の歴史叙述の基礎となっていた史料の虚偽または不確実の暴露、新たなる史料、特にこれまで用いられた史料と矛盾するような史料の発見、等々が歴史の書き更えられる条件に数えられるであろう。然しもし史料の状態に何等かくの如き変化が生じなかったとしたならば、如何であろうか。そのときにもなお歴史は書き更えられるに到る。書き更えられるということは歴史の内面的な、必然的な性質に属しているのである。歴史が書き更えられるかくの如き内面的な、必然的な条件とはそもそも如何なるものであろうか。我々の歴史は途上にある。それは既に完結してしまったのではなく、なおつねに進行しつつある。絶えず新たに生起する歴史的事件は絶えず新たな歴史叙述を促し、要求する。けれども唯それだけのことであるならば、歴史は書き加え、、られるとしても、本質的に書き更え、、られることはない。単に一が去って他が来たるということ、言い換えれば、今が絶えず昔になるということ、このように歴史の運動の時間が直線的に表象されるところでは、歴史の書き更えの内面的な理由は見出されないばかりでなく、一般に事物が歴史的なものとして受取られることさえも不可能でなければならぬ。単に今が昔になるばかりでなく、昔がまた今であるところに歴史はある。昔が今であるのは、それが単に過ぎ去ってしまったものでなく、今になお働き、影響を及ぼしているためである。エドゥアルト・マイヤーは歴史的なものを「影響あるもの」wirksam と規定している。歴史的関心の対象となる一個人、一民族、一国家、一文化、「これらの対象の如何なるものも、それが嘗てひとたび世界のうちに在りもしくは在ったという理由で純粋にそれ自身のために関心を喚び起こすのではなく、却て唯それが及ぼした且つなお及ぼしつつある影響のために関心を喚び起こすのである。」「現存する諸状態はそれ自身として決して歴史の対象でなく、却て唯それが歴史的に影響ある限りに於てのみ、歴史の対象となる*。」然るに事物の影響というものはその当時に尽きることなく、またその当時に於て明かであることなく、寧ろ後世に至って初めて顕わになることが屡々であり、かかる事物こそ却て真に影響力あるもの、従って真に歴史的なものと云われ得る。そうであるならば、歴史は対象の影響が後に於て次第に顕わになるに従って書き更えられねばならなくなりはしないか。然しながら唯それだけのことであるとすれば、歴史が書き更えられる必然性はなお十分ではなかろう。もし歴史的なものが影響する仕方にして、ひとつの源から発した水が次第に河床を穿ち、他の流を合せて進むに従って、付近の土地を灌漑して行くというが如きものであるとするならば、そのとき歴史は書き加えられこそすれ、書き更えられる必要は本質的には存しないであろう。書き更えられる必然性が内在しているためには、歴史的なものの影響の仕方はこのように唯ひとむきなる進行とは異るものであるべきである。
 * Eduard Meyer, Zur Theorie und Methodik der Geschichte, Kleine Schriften 1910, S. 45, S. 57.
 歴史が書き更へられる条件は同時に歴史が書かれる条件である。それが書き更へられる条件は、それがそもそも書かれる条件である故に、内在的な、必然的なものであるのである。
 第一、歴史を書くことはそれを繰り返す、、、、ということである。伝えられたものはなお歴史ではない。伝えられたものをいま一度繰り返すところに歴史がある。この場合繰り返すということは伝えられるということに対してどのように違った新たなものであるであろうか。伝えられるというとき、昔から次第に今へと伝えられるのである。これとは違って繰り返すということは本来手繰り寄せる、、、、、、ということである。伝えられるというとき、端初は過去にある。然し手繰り寄せるというとき、端初は自分の手元に、従って現在にある。歴史の端初は、外見上そうあるように、過去にあるのではない。歴史的研究の行程は寧ろ、ヒッペルが嘗て小説に於て取ろうともくろんだものに似ている、即ち彼は後方に向って、次第に深く過去のうちへ、死から誕生へ、結果から原因へと、彼の道を取ろうとしたのであった。現在が歴史の端初である故に、歴史には書き更へられる必然性が内面的に属する。もしその端初が過去であるとしたならば、歴史は本質的には唯書き加えられるのみで、書き更へられはしない。固より伝えられるということがなければ繰り返すということもないであろう。然し我々は伝えられた、、、、、ものを繰り返すことによってそれを後に伝え、、得るのである。
 第二、歴史叙述には選択が必要である。如何なる歴史叙述も過去の無数の出来事をそのまま模写することが出来ず、よし出来たとしてもそれは無意味であろう。それは無数の伝えられたものの中から伝えるに足り、伝えるを要するものを選択して繰り返すのである。ところでこのような選択は何に基礎をもつのであろうか。「ここでもまた唯現代のみが答を与え得る。」とマイヤーは云う。「選択は、現代が或る影響、発展の結果に就いてもつ歴史的関心を基礎とし、この関心のために現代はそれを招致した諸起因を探索するという要求を感ずるのである。如何なる領域にこの関心が高い度合に於て向けられるかということは、現代の構成に依存している、前景に現われるのは、或る時は此の、或る時は彼の方面、即ち、或は政治史、或は宗教史、或は経済史、或は文学、或は美術、等々である*。」かの歴史に於て繰り返すということは、選択的に繰り返すということによって、既に単に繰り返すということではあり得ず、それは手繰り寄せるということである故に、かかる選択の原理は現代のうちに含まれているのである。歴史叙述に於てこのようにして選び出されるのは、もちろん、そのものが特に歴史的なものと考えられるためでなければならぬ。いずれの歴史叙述もそれの現代の立場から歴史的に重要と見える事件及び関係を取り上げて叙述する。この叙述に取り残されるのは、そのものが特に歴史的なものとは見られていないからでなければならぬ。その限りに於てロゴスとしての歴史と存在としての歴史とは統一されていると云われよう。この統一を成立せしめるものはそれぞれの現代である。然るにかくの如く両者の統一の基礎となるものは同時に両者の乖離の基礎となる。何が歴史的に重要なものと見られるかということにしてそれぞれの現代によって規定されるとするならば、各々の新しい現代は過去の歴史叙述が特に歴史的なものと見たところのものをもはやかかるものとは見做さず、却て他のものを歴史的に重要なものと見るに到るであろう。そのとき従来叙述されたのとは異る対象、関係、側面が新たに歴史的なものと見られ、ここにロゴスとしての歴史と存在としての歴史との距離が顕わになり、両者の間に乖離が生じる。新しい史料の発見などいうこともかかる条件のもとに於て行われることが多い。そこからして歴史は各々の新しい現代と共に絶えず書き更えられねばならぬということが起るのである。固より歴史が過去の出来事のそのままの模写であるとしたならばこのこともあり得ないのであって、歴史を書くということが選択するということであるがために、そのことも行われ得ることは云うまでもなかろう。
 * Op. cit., S. 44.
 第三、歴史が書かれるためには何等かの全体が与えられなければならない。そうでない限り、真の歴史叙述は不可能である。なぜなら個々の出来事、それぞれの段階は、全体と結び付けられ、全体の中で、全体に対する関係に於て考察されるとき初めて、その独自性に於ても、またその必然性に於ても認識され得るのであるからである。然るにかかる全体が与えられるためには、歴史の過程が何等かの仕方で完結したものとして表象されなければならない。その限りに於て、「ミネルヴの梟は侵い来る薄暮と共に初めてその飛翔を始める。」と云ったヘーゲルの言葉は真である。然しながら歴史は一つの時代の終りを告げるのを待って、唯そのときに書かれるというようなものではない。人間が歴史を書くということは彼の存在の根本的な存在の仕方のひとつに属し、歴史は日々に絶えず書かれつつある。そして歴史そのものはつねに停まることなく無限なる進行を続けているではないか。一の時代の終るところには既に他の時代の萌結が含まれている。この場合かくの如き不断の過程を丁度完結せしめ、それによって歴史の一の全体が与えられるような絶対的な時間点があるとしたならば、それはまさに現在を措いてのほかないであろう。歴史の端初が過去でなく、現在であることによって、歴史の初めと終りとは一致し、かくして全体なるものが与えられ得るのである。このような全体が形作られることによって、各々のものは、任意のもの、偶然的なものであることをやめて、「丁度時を得て」καιρό 来たものとして理解される。歴史的認識を特徴付けるものはそれが καιρό からの認識であるということであり、そしてそれは現在が絶対的なものとして絶えず移行する時間を一の完結的な全体に形作ることによって達せられる。然るに歴史的認識の欠くべからざる条件であるところの全体を成立せしめるものが現在であろうとするとき、それぞれの新しい現在はそれぞれの新たなる全体を形作るであろう。そのとき各々の歴史的なものはその中に於て新たに認識され直すであろう。かくて歴史は書き更えられざるを得ないのである。
 簡単に云えば、歴史はつねに唯「現在の時間のパースペクチヴ」Zeitperspektive der Gegenwart からしてのみ書かれることが出来る、とも云われよう*。然し歴史が書かれるこの条件は同時にそれが書き更えられる条件でもあった。かかる現在は、ロゴスとしての歴史と存在としての歴史と統一すると共に、また乖離せしめるものでもあった。歴史は現在によって動かされている。このことを理解しない人は、史料にのみ固執して、それをば或は存在としての歴史、或はロゴスとしての歴史と思い誤っているのである。そこで我々の次の問題はかくの如き現在とは何であるかを出来るだけ明瞭に規定するということでなければならぬ。
 * Vgl. Ed. Spranger, Der Sinn der Voraussetzungslosigkeit in den Geisteswissenschaften, 1929.

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