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「小説家のホラーな一夜」短編小説読切

《一文あらすじ》
小説家の僕のもとに謎の女性が現れて……
全文4800文字程度

 書きあげたホラー小説の原稿を担当編集者に引き渡してしまうと、僕は途端に腑抜けになる。締め切りを守って仕事をやり終えた達成感と、終わった解放感もあることはある。
 だがしかし。取材や下調べもしっかりと行って創り上げた世界にどっぷりと浸かっていたのに、楽しんでいたおもちゃを取り上げられてしまったような、人の手に渡って僕だけのものでなくなってしまったような、そんな物哀しさを感じて張り合いもなくなり、こうして腑抜けになってしまうのだ。
 小説家になって十年は経つが、この感覚がなくなることはない。僕はLDKの床にごろりと寝転がって、見慣れた天井をぼんやり眺めた。
 古いマンションの一室に僕は一人で住んでいる。狭いLDKの隣に書斎として使っている和室があり、LDKから短い廊下が伸びてその先に玄関がある。廊下の左にある洋間を寝室にしていて、廊下の右には風呂などの水回り。年季の入った建物は新築独特のよそよそしさもなく、入居当時からすんなりと僕を受け入れてくれた。そして住むほどに僕になじんでくれる。
 安全な自分の住処で無防備に寝転んでいると、途端にまぶたが重たくなった。今は何時だったか、窓から空を眺めると夕暮れ時、しとしとと静かに雨が降っていた。今寝てしまったら、夜中の変な時間に起きてしまいそうだと思ったが、この心地よい寝入りには逆らえない。

 ピンポーン。
 
 まどろみかけていた意識が突然のチャイムの音によって、無理矢理に浮上させられた。来客の予定はない。宅配便も頼んでいないし急にやってくる知り合いもいない。ということはセールスか。招かれざる客だ、無視しよう。再び眠ろうとしたら、玄関ドアが遠慮がちにコンコンと叩かれる音が聞こえてきた。
「こんばんは。せんせぇ、おうせんしゅっぱんのぉ、■■ですぅ。れいの、おげんこうを、ちょうだいしに、まいりましたぁ」
 女性のような声。
 おうせん? そんなところから依頼は受けていない。そもそもそんな出版社名、初めて聞いた。名前も名乗ったようだが聞き取れなかった。
 不審に思うが僕のことを先生と呼んでいる以上、無視するわけにはいかない。体を起こすと、髪を手櫛で整えながら玄関へ向かった。
 ドアスコープを覗くと、やはり知らない女性が立っていた。ドアをゆっくり開くと女性は僕を見てうっすらと笑みを浮かべた。漆黒の長い髪、陶器のように白く温かさを感じない顔色、いつの時代のものか分からない型のスーツ。途端に違和感を覚えた。
「先生。お原稿を頂戴しに参りました」
 感情の読み取れない淡々とした口調と、高くも低くもなく何の特徴もない声。
「何かの間違いではありませんか? 御社からご依頼を受けてはいませんが」
「またまたぁ、ご冗談を。もしかしてまだ完成していらっしゃらないのですか? だからそんなことを言ってわたくしを追い返そうとしているのですね」
「いえ、そうではなく、本当にご依頼を受けてはいません」
「先生。お手伝いしますから、早いところ終わらせてしまいましょうよ」
 女性はドアの隙間からするりと中に入って来た。ああ、しまった。ドアチェーンを掛けて開くべきだった、そう思う僕をよそに勝手知ったる様子で、靴を脱いでさっさと廊下を進んでいく。慌てて後を追うと、女性はすでにダイニングチェアに腰かけていた。
「さあ、先生。お原稿を拝見させていただきます」
 こうも自信満々に言われると、自分の方が勘違いをしているような気になってきた。僕は大人しく女性の対面に腰をかけた。
「あの、ご依頼の内容は、どのようなものでしたか」
「まあ! そんなことをおっしゃるなんて。まさか一文字も書けていらっしゃらないのですか?」
「本当にご依頼くださったのでしょうか。私は岩久修というのですが、そちらは……」
「ああ。そうです、そうです。いわくせんせい。素敵なお名前」
 ふふふっ、と女性は笑った。普通、人のこのような笑い顔を見れば多少は心がほぐれるものだが、この女性の笑い顔にそのような効果はなかった。
「それで、ご依頼内容は」
「れいの、ですわ。ネタが必要ならご提供いたします」
「はあ。では、お願いします」
 僕が知りたいことをいっこうに話してくれない。その歯がゆさを感じながらも、流れに乗ってしまった方が早いかもしれないと判断して話を促した。
「では、お話し致します。タクシーの怪というお話です。ある晩、タクシーが一人の女性を乗せました」
 ああ、これは『真夜中に乗せた女性客がいつの間にかいなくなっていて、座席がぐっしょり濡れていた』という話か。それとも『真夜中に乗せた女性客を目的地の家まで乗せて行くと、お金を取って来ると言って女性は家の中に姿を消した。いつまで待っても出てこないのでインターホンを鳴らすと年を取った男性が出て来たので、タクシーの運転手が事情を話すと、それは死んだ娘だと言った』という話か。
 よく聞く話だ。どちらかのパターンだなと思っていたら前者だった。
「先生は、この女性の死因は何だと思います?」
「水に濡れていたのなら溺死くらいしか考えようがありませんが」
「ええ、そうですね。そこからタクシーに乗るということは、ご遺体はまだそこにあると考えられます。なぜ女性はそこで溺死したのでしょう」
「事故か自殺か他殺か、ですよね。事故と仮定したら水辺に遊びに来ていて溺れたとか、車ごと海に落ちたとか思い付きますが」
「人がいればご遺体は発見してもらえますわ」
「ああ、そうか。人と一緒にいたとか、事故を起こしても目撃者がいたり痕跡が残っていたりすれば捜索されて、ご遺体を見つけてもらえそうですね。人目のない所で何の痕跡も残さず亡くなったなら自殺や他殺の方がつじつまは合います」
「ええ、そうですね。では場所は?」
「水のある所で人目がなく、ご遺体が見つけてもらえなさそうな場所と言えば、山奥のダムが思い浮かびますね。怪談話にもダムはよく出てきますから」
「ええ。その通りですわ」
 女性の目が一瞬、生気を失ったように見えた。いや、最初から生気など……
「なぜ、タクシーは夜中にそんな所を走っていたのでしょう」
 しとしとしとしと。雨の音。
「……それをネタに、私は何を書けばいいのですか」
「真実を、ですわ。この世は真実ではない怪奇話ばかりじゃありませんか」
「今の話は何が真実ですか」
「タクシーから消えた女性は怖いですか。運転手に何の悪さもしていませんよ。ちょっとシートを濡らして消えただけ。水ですから乾けば何の害もありません」
「夜中にそんな所を走っていたタクシー運転手の方がよほど怖いと言いたいのですか」
「受け止め方は人それぞれでしょう。タクシーの運転手は客を送った帰り道、たまたまそこを通っただけと、いくらでも後付けできますから」
 ああ、変な夜になってきた。
「では次のネタをお話し致します。とある古い店舗の天井と壁の隙間から水がしたたり落ちてくるそうです。店主は夜中に人影を見ることもあるらしく、霊のしわざと言っているようですが」
「ああ、それなら僕も動画を見たことがありますが、あれはさすがに雨漏りか配管の故障だと思いますよ」
「そうですね。霊のしわざと仮定しても、なぜそんな所から水をしたたらせる必要があるのかと考えたら滑稽ですわ」
 ふふふっと、全然楽しくなさそうに女性は笑った。
「でも、もしお金儲けや注目されたいから店主が水の出る装置を取り付けたのだとしたら。人々は霊を怖がるくせに、お金儲けにも利用してしまう。生きた人の精神とは恐ろしいものですわ」
「それなら私もホラー小説を書いていますから同罪です」
「そこに敬意があればいいのです、とりあえずはそういうことにしておきましょう。先生は霊にちゃんと敬意をはらっていらっしゃる」
「敬意、ですか」
「この世よりあの世の方に興味がおありのようですわ。だから見つかってしまうのです」
 ふふふっと、全然楽しくなさそうに女性は笑った。
 部屋は薄暗くなっている。僕はのっそりと立ち上がり、カーテンを閉めて部屋の電気をつけた。お茶も出していなかったと気づいたが、この女性はこちらのものを口にするのだろうかという疑問が湧いて、出すべきか悩んでいると、
 コトッ。
 女性がテーブルの上に何かを置いたので、それを合図に僕は席に戻った。両手におさまるくらいの小さな骨壺のようなもの。女性はこれをどこから取り出したのだろう。この人は手ぶらでここにやって来た。雨が降っているのに傘も持たずに。どこも濡れずに。
「先生はこどくをご存じ?」
「孤独、ですか。ひとりの」
「そちらではなく、呪物の蟲毒」
「ああ」
 壺の中に毒虫を大量に閉じ込めて、お互いに喰い殺させて、最後に生き残った一匹を最強として呪いに使う、あの蟲毒か。
「そうです。でも最後に残った一匹より、そんなものを作ってしまえる人の方がよほど強い呪力を持っていそうですわ。呪物を介せずともその執念だけで呪えそう。こちらの壺は実際に蟲毒を作るときに使われたものです。先生に差し上げますわ。中身は空で残念ながら何の効力もありませんが」
 その壺を僕はじっと見つめた。女性の顔色と同じ冷たい白さ。この人は結局何が言いたいのだろう。こんなことをしでかす人間が一番怖いとでも言いたいのだろうか。
「少し違います。そんなことをしておいて、自分はまともだと思っている人の精神が怖いのです。人間の精神構造とは一体、どうなっているのでしょう。事故が起きて人が亡くなったとニュースで知れば胸を痛めたり憐れんだりする。しかし人が亡くなって心霊スポットとなった場所には肝試しと称して喜々として出かける。何の害もない幽霊を怖いと騒ぎ立てるけれど、己の内にもっと恐ろしいものがあることに気づきもしない。自分は善良で何の害もないと思っている。生きているだけでこの世界に毒をまき散らしているのに。目先の恐怖を騒ぎ立てるだけで、その奥にある本当の恐怖を見ようともしない」
その通りだとは思うが。そんな話を僕に聞かせて、この人は何がしたいのだろう。僕に何かを書かせたいようには見えない。
「様子を見に来ただけですわ。でもせっかく来たのだから何かいたしましょうか。そうだ、いわく、なんて素敵なお名前をお持ちですもの。わたくしが先生をいわくそのものにしてあげようかしら。そうすればここは『いわくつきマンション』になりますわ。ふふふっ」
 感情を含まない笑いが今さら怖くなった。ああ、この人は一体、誰だ。
「あら、先生。こちらには個という概念がございませんから、わたくしが誰なのか考えても無駄ですわ。個は全で、全は個」
 女性は静かに立ちあがると、テーブルに手をつき身を乗り出して僕をじっと見た。いや、見ていない。眼球がない。そこは漆黒の闇。
「先生はこちらのことに興味を持ちすぎです。ほどほどにいたしませんと。深淵を覗く時、深淵もまたあなたを覗いていますのよ。そのこと、ゆめゆめお忘れなきよう」
 女性の声が男性の声のように低くなり、子どものように甲高くなり、老人のようにしわがれて、僕の頭に流れ込んで、

 ざあざあざあざあざあ。

 いつの間に雨は本降りになったのか。その音で目を覚ましたようで、僕は気づいたらリビングの床に寝そべっていた。
 何だ、夢か。ほっとしたようながっかりしたような。
 体をゆっくりと起こした。いつの間に電気をつけたのだろう。カーテンはいつの間にしめた? ダイニングテーブルに置かれたあの小さな壺は……
 あの女性の正体は。名前は分からない。出版社名は、おうせん。

 おう。王、欧、往、応、黄……
 せん。選、千、船、線、泉……

 これをネタに小説を書いたら、あの女性は怒るだろうか。僕は書斎として使っている和室にいき、何のためらいもなくパソコンを立ち上げた。
 
※深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている(哲学者ニーチェの言葉)

(了)



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