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「春はユウウツ」ファンタジー ショートショート

3月20日 春分の日
春分(3月20日ごろ)は昼と夜の長さが同じになる日。
ここから夏至に向けて昼が長く夜が短くなっていく。
夏至(6月20日ごろ)は一年で一番昼が長い日。
ここから昼が短くなっていく。
秋分(9月22日ごろ)は昼と夜の長さが同じになる日。
ここから冬至に向けて昼が短く夜が長くなっていく。
冬至(12月21日ごろ)は一年で一番昼が短い日。
ここから昼が長くなっていく。

春分は自然をたたえ生物をいつくしむ日でもある。


「はあ……」
自室でひとり、しとしとと降る雨を窓越しにぼんやりと眺めながらボクは小さなため息をつく。春分の日で学校が休みなのは嬉しいけれど、これから春が来ると思うと気が滅入る。

ボクは春が苦手だ。春が来るのがユウウツで仕方がない。

この先、昼が長くなる。こうして活動時間が長くなると、まだ明るいのだから動け動けと世界からせっつかれているような気分になる。

そして気温も上昇し、草木が一気に芽吹き始めるとそれに合わせて鳥や虫も活気づく。
人々も新学期や新生活など、新しい生活に胸を躍らせて楽しそう。
 
春はすべてが活発になり、暖かくなった世界はすべてに活発になることを強制している。
じっとしている寒い冬は終わった。さあ動け、この暖かさを有効活用せよ、この春に合わせて行動を変えるのだ。動け!喜びの春がやってきた!
 
けれどボクは、その流れに上手に乗れず、活発になれず、取り残される。
だから活動的にならなければいけない春が苦痛で仕方がない。じっとしていることが生物として正しい、寒い冬や雨の日がボクは一番落ち着く。

春は活動していないだけで生物として劣っているようなそんな気分にさせられるし、何かに急き立てられているようで焦ってしまう。

ボクは何もしたくない。本当に、何もしたくない。
体は疲れやすくだるく重く、何に対しても積極的になれず無気力。
脳もいつもぼんやりしている。膜がはっているような、瞑想中のようなふわふわ感。現実がボクから少し遠いところで起こっている。

どんな季節が来ようとも世間で何が起ころうとも、ボクの人生は日々静かに過ぎていってほしい。無理矢理、世間に合わせたくない。洞窟のような静かな場所でじっとしていたい。



「じゃあかわってあげるよ」
ん?なんだ?
ボクの頭の中で、急に奇妙な声が響いたと思ったら、キーンと耳鳴りがする。
頭がふわふわすると思ったら、ボクという存在がぐにゃりとゆがんでいく。


次に自分を意識した時、ボクは苔になって暗くじめじめした洞窟にいた。
目がないのに、分かる。耳がないのに、分かる。周りには生命体がうじゃうじゃいて苔のボクともつながって、お互いの生存のために情報交換している。
意識が苔のボクの中だけにとどまらず全体に拡張されている。

たまにぽちゃんと水がしたたり落ちる音がするだけで、洞窟の中は暗く静か。
周りとつながっている安心感と、完璧で美しい静寂。
これは、いい! すごくいい!
ボクの求めていたものはこれだ。苔になったボクもじわじわとそこになじんでいく。

何分、何時間、何日、こうしていただろう。
なんか、飽きてきた。
たぶん最初から苔だったらそうは思わなかっただろう。
でもボクは人間ならではの刺激がふいに恋しくなってしまった。


「だったらかわってあげるよ」
頭の中で声が響いてボクの意識は虹色が渦巻くトンネルのようなところを伸びたり縮んだりしながら通過していく。

次に自分を意識した時、ボクは都会の雑踏の中だった。ボクは人間になって、さわがしい雑踏の中にぼんやりとたたずんでいた。
確かに刺激が恋しいと言ったけれど、これでは刺激が強すぎる。

物や色や音や匂いが多すぎる。たくさんの建物と看板と、そこに塗られた色と。車の走行音、クラクション、人の声、排気ガスのにおい、人の香料のにおい。こうして外で立っているだけで多すぎる情報が勝手に五感から脳に入ってきてその処理に追われている。頭がパンクしそう。

昔は人間の脳が処理しなければならない情報は今よりもっと少なかった。
風で揺れる木々の音、鳥や獣の鳴き声、海や川のせせらぎ、人の声、緑のにおい、花や果実のにおい、土のにおい、動物のにおい、人のにおい。これくらいなら脳に負担にならない。
でも今は処理しなければならないことが多すぎる。

前に白黒写真を見たときボクは思った。昭和初期くらいの建物が少なく道も舗装されていない風景。これぐらいがボクにはちょうどいい。目に入る情報として自分の脳が処理しやすいと感じるのはこれぐらいだ。


「それならかわってあげるよ」
また声。ちょっと慣れてきた。次はどうなるのだろう。
ボクの意識は、掃除機に吸い込まれたようにビヨンと伸びて運ばれていく。

次に自分を意識した時、ボクは鳥にでもなったのだろうか、木の枝につかまり、薄暗い雪の世界を見降ろしていた。色がない、まさに白黒の世界。
降り積もる雪の音が聞こえてきそうなくらいあたりは静まり返っている。
ああ美しい、心地よい、とても……

寒い!さむいさむいさむいさむい!
ムリ!


「全く、わがままなんだから」

次に自分を意識した時、心地よい森の中にいた。
ボクは動物になったのか、もこもこの毛皮に包まれた体をして巨木の根本にうずくまっていた。
すごく大きな木。ととろ住んでそう。その雄大さに圧巻されていると、小さなかわいい声が周りからひそひそ聞こえてくる。

「いちいちユウウツだなんて、かんがえなければいいのに」
「ユウウツになるような、とらえかたをするからユウウツになるのにね」
「けっきょく、じぶんをくるしめているのは、じぶんのかんがえかたじゃない」
「ふふ、へんなの。にんげんってへんなの」

そこに住む動物の声、木の声、草の声、苔の声、微生物の声。
みんな、生きている。姿が見えなくても存在している。
ひそひそひそひそ。くすくすくすくす。
なんだろうこの感覚、なぜか懐かしい。

「なにもかんがえず。ただサイボウに、キオクされたコウドウをするだけ」
「あたたかくなったらこうしましょうと、サイボウにきざまれていることに、したがうだけ」
「そこにユウウツだとかのはんだんはひつようない」
「ただそうなるようにセッテイ、されているからそうなるだけ」
「ユウウツにおもっても、ハルはくる、ユウウツにおもうだけソン」
「あれこれかんがえなくても、なにをするべきかカラダに、きざまれている」
「それだけでいきていけるのに」
「にんげんってへん」
「じぶんたちで、いきることをふくざつにして、くるしんでいる」
「どうぐをたくさんハツメイしてべんりになったのにぜんぜんたのしそうじゃない」
「へんなの」
「たくさんハツメイして、たくさんものをつくるのと、それがなくてもいきていけるのと、どっちがほんとうにかしこいの」

ひそひそひそひそ。みんな楽しそう。なんだか人間だけ、このことわりから外されてしまっているような気がする。

「ふふふ、そうかもね」
「まあ、いずれかえってこればいいよ」

死んで、体は燃やされて、分解されて、原子に戻って、別の何かになって。
ひそひそ小さな声が子守歌のようで、ボクの意識はまどろんでいく。
死んだあと原子になってただよって、この森に帰ってきたような感覚を味わっている。
しあわせ……


「かえってこられるならね」

急に大きく野太い声がして、ボクの意識は一瞬にして現実に引き戻された。
机に肘をついてうたたねをしていたようだ。
一気に覚醒させられて心臓がばくばくして息が苦しい。

それを落ち着かせるために、窓へ視線をやると、雨はすっかり上がっていた。

二階からのその景色。家が見える。道が見える。木が見える。草が花が見える。
見えなくても生き物がいる。微生物がいる。
食料になってくれたり、酸素をつくってくれたり、人がだしたごみを分解してくれたり。

ボクらは自然ありきで進化してきた。
それがないと生きていけないのに、なぜ大切にできないのだろう。
困るのは、結局自分なのに。

そんなことをぼんやり考えているうちに、気づくとボクは春があまりユウウツではなくなっていた。

いつか、あの懐かしい場所にかえれるかな。
それとも……

ボクらが害虫や細菌を退治するように。
人間が害虫扱いされて地球や他の生物から退治されちゃったりして。

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