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yuzuka、母になります。

ご報告。
タイトルの通り、yuzuka、母になります。

妊娠5ヶ月と約半分。
「安定期に入ったらすぐに報告しよう」と思いつつ少しだけ遅くなってしまったのは、気持ちを言葉にすることがあまりにも難しかったから。

昨日までの明るい気持ちが、次の日には蒸発してマイナスな感情に支配される。
どの瞬間にどの感情を優先して書いても嘘になる気がして、なかなか文章を打ち始めることができなかった。
だけど今ようやく気持ちの波も落ち着いて冷静に振り返ることができそうだから、まとめてみる。

数年前、「私の遺伝子なんて絶対に後世に残したくない」という理由で、生涯自分の子どもは持たないだろうと思っていた私がどうして母になるという選択肢をとったのか。

心境の変化の部分から、妊娠してから感じまくった不公平さまで、とにかく綺麗事なく、あくまで自分本位に、自分を主体として。
おそらく2年ぶりにパソコンを開いて、言葉にしてみようと思う。

ところで、私はこんな状況になったとて、思ったことをとにかく赤裸々に書きたい。
複雑な気持ちやマイナスの感情を綺麗事だけでまとめてしまって「なかったこと」にしたら、私や、同じ感情を抱えて苦しむ人たちの心に向き合うことにならないと思うから。

よってこの文章は、「わーい、幸せ!」みたいなよくある幸せなご報告文ではない。
妊娠についてのマイナスな感情もしっかり綴りたいと思うから、もしそういうものを読んで心地が悪くなってしまいそうな人がいたら、読み進めないでね。

ーーー

「自然妊娠なんてできないよ」
衝撃的なこの言葉を投げかけられたそのクリニックは、まるで高級ホテルのように綺麗な場所だった。
20代後半になって、昔から気にはなっていた生理不順がますます悪化した。
2ヶ月来ないかと思えば、1ヶ月に何度も出血する。
今までは痛み止めを飲めば抑えられていた生理痛も、薬の力に歯向かうようになってきていた。

その時もなかなか生理が来ないことが心配になったから、その地域で一番綺麗だと評判のクリニックを受診することにしたのだ。

もう年齢も年齢だし、何か大きな病気でもあったら大変だしなあと、朧げに思っての軽い気持ちでの病院受診だった。

結果、いくつかの検査をしてもらい、あまりにもすんなりと「多嚢胞性卵巣症候群」という病名を告げられることとなる。

ピンとは来なかったけれど、どうやらなんらかの理由で男性ホルモンが多く作られてしまい、成長した卵子の入った卵胞たちが卵巣からうまく排卵されず、たくさんの小さなビーズのように、卵巣内にとどまってしまう病気らしい。

とはいえ、なんだか難しいけど命には別状がなさそうだし良かった。
とりあえず帰ってどんな病気か調べよう。
そう思いながらぽけっと説明を聞く私に、高齢の男性医師は目も合わせずに言った。

「これは何か治療してすぐになおるようなものでもないから。
ピルで生理をコントロールしましょう。ピルを処方しますね」

ピル?
ここでドキッとした自分に少し驚いた。

「これから先ずっとピルを飲み続けるってことですか?」
「そうですね」
「それってその間は妊娠はできないということですよね?」
「当たり前じゃない」

鼻で笑われたことに少し傷ついてたじろぐ私に、医師は驚いた顔で言った。

「え?妊娠希望なの?」

初めて面と向かって聞かれるには、難しすぎる質問だった。

待てよ。
私は子どもを作りたいのか?母親になりたいの?
だけどあれだけ、自分の遺伝子は残したくないって思っていなかった?
自由な生活がなくなってしまうことを、恐れていなかった?
そんな重い責任は持てないだろうと、避けてきていなかった?

それと同時に、物心ついたときから母親に言われてきた言葉達が、今更になってフラッシュバックする。

「子どもなんて産んでも後悔するから産まんときよ。私は後悔してる」
「あんたみたいな不細工が子どもを作ったらかわいそう」
「あんたは障がいやねんから、子供に遺伝するで。つくらんときや」

それらの言葉を鵜呑みにしていたわけではないけれど、やっぱりこういうときに浮かんでくるところをみると、私のストッパーの一部になっていたのだと改めて気付かされる。

そうか、私は「子どもが欲しくない」じゃなくて、「子どもは作らない方が良いかもしれない」と思っていたんだ。

だけどもしもそうなら、どうしてピルを処方されると聞いた時、「待ってくれよ」と思ったの?結局私は、子どもが欲しいの?

しばらく頭をぐるぐるさせた後、結局どう答えれば良いか分からなかった私は素直に、「今は分かりません。もし授かれば産みたい、とは思っていました」と答えた。

なんだかんだ言いつつ、出来なければ良いとは思ったことなんてなかった。
生理が来ないたびに沸く感情は不安よりも期待だったし、子どもは授かり物だし、もしもできたら育てたいなくらいのことは、ぼんやりとは思っていた、と思う。

だけどそういえば、そうやってぼんやり「授かれば」と思っていながら、いったい何年子どもができていないんだ。

周りの友達は「できちゃった」と言うけれど、私にはそんな瞬間の気配すらない。
自然妊娠の確率を考えれば、これまでの人生、どこかで子どもができていなければおかしいはずなのに。

今まで目を背けていた事実に向きあわされた気分だった。
そして言われたのが、冒頭の言葉。

「もう貴女、年齢も年齢でしょ。この病気も持っていて、今まで自然妊娠もしていなくて。35歳からは高齢出産に入るし、もしも子どもが欲しいなら不妊治療をすぐにでも始めないと間に合わないよ。
待っていても自然妊娠なんてできないよ。子どもが欲しいのか欲しくないのか決めて、不妊治療専門のクリニックに行ってください」

その言葉は思ったよりも衝撃が強くて、しっかりとショックを受けた私は、彼(現夫)が待ってくれていた車に戻ってわんわんと泣いた。

そもそも、「子どもを産むかどうか今すぐに決めなさい」なんて言われても、答えが出せるわけがなかった。

どこかで「子どもが自然にできたら、その時は運命だから受け入れよう」と考えていた。
だけど、そうだけど。
子どもは大好きだけど、「作ろう」と決断をする勇気はなかったし、その資格がある自信も無かった。あくまで受け身の姿勢だったのだ。

だけどいざ、「一生作らない」という選択を目の前にすると戸惑った。
子どもができないと言われたことで、自分ができそこないのような気もした。

あまりにも泣く私を心配して理由を聞く彼に、「自然に子どもが授かれないらしい」と伝えると、彼もわんわんと泣いた。

どうすれば良いか分からないと泣く私に、彼は「俺はyuzukaとの子どもが欲しいよ」と言ってくれた。

これをきっかけに、「いつでも子どもを迎えられるように」と結婚まで猛スピードにすすんだりもしたけれど、「不妊治療をするのか」自分の中でのはっきりとした答えは見つけられないままだった。

不妊治療、考えてもなかったし。
それって何年もかかって、必要なお金も莫大だよね。
迷いのある私が踏み込んで良い領域なのだろうか。

分からない。
分からないまま、時間だけがすぎた。

そういえば結婚して東京に引っ越す前、シルミチューという沖縄の聖地へ行った。

たまたまウェディングフォトもここで撮ってもらったのだけど、実はお参りすると子宝に恵まれるというジンクスで有名なパワースポットらしい。

夫婦で手を合わせたけれど、お互いが何をお願いしていたかは分からない。
ふたりとも、聞かなかった。
ただ静かに手を合わせ、お酒を備え、しばらくその場所でじっと立ち尽くしていた。

ーーー

東京に引っ越しても生理不順は治らず。
かれこれ3ヶ月生理が来ていないような気がしていたけれど、私にとってそれは珍しいことではないし、環境の変化によるストレスだと思っていた。

だけどそれにしても…という気持ちと、「もし他の病気が隠れていたら」という不安もあり、引っ越してきた家から徒歩数分のところにあるレディースクリニックを受診することにした。

前回の診療でややトラウマになっていた私は、あれからクリニックに通うのを辞めてしまった。
だから今回もまた傷つくのではないかと気を病んでいたけれど、そのクリニックの先生や看護師さんは、とても丁寧で優しかった。

前回の診断結果や症状について説明する。
軽い検査を終えた後、主治医は言った。

「今すぐに不妊治療を開始するかを決める必要はありません。
ただ、どうして不妊なのか、一通り検査してみることはおすすめします。
不妊症の原因は複数であることが多いです。
その場所で、どんな問題が起きているのか。
検査を全て行うには数ヶ月かかり、数週間に一度受診してもらわなければなりません。全ての項目を検査すれば、どこが悪いかはっきりしますし、それがきっかけで別の病気が見つかることもあります。

異常があるのは確かなので、一度検査をすすめてみて、そのうえで治療するのかしないのか決めるのはいかがでしょうか。

ただ、不妊症の治療が早ければ早いほど良いというのは確かです。
検査とともにタイミング法を試し、もし駄目そうなら、はやめに体外受精にステップアップすることも念頭においてください。」

どうやら不妊症は、検査だけでもかなりの労力がかかるらしい。
生理の時期をクリニック側でコントロールし、生理前、生理中、生理後に必要な検査をそれぞれ遂行していく。
不妊症の検査には実費でお金がかかるものもあるし、失神するほどと称されるくらいに痛みが伴うものもあった。

怖かった。
だけど、「検査をしてからどうするかを決める」という選択肢は、その時の私にとってベストな答えだった気がする。
今すぐに「子どもを作りますか」の質問に真っ向から向かうわけではなく、まずは体のどこが悪いのかを調べる。それなら今すぐに決断しても問題はない。

私は検査をすることを決め、クリニックとのスケジュール調整をすませた。
そのうえで、まずは生理を誘発させるための中容量ピルが処方されることになる。

これを1週間弱飲むことにより、飲み終わり数日で生理がくるように体をコントロールできるらしい。(こわい)
検査をしていくうえで必要な前処置のようなものだった。

「副作用が出ることがあるから、もしもあまりに酷かったら連絡してね」と言われ、病院を後にする。
これから始まる検査の日々に多少の不安はありながら、ようやくモヤモヤしていたどっちつかずな状態から脱却できた気がしていた。

それにしても私の生涯の中で「体外受精」という言葉を聞くとは思わなかった。
もしもその選択を迫られたら、私はどんな答えを出すのだろう。

子どもを作るのは、どう考えたって親のエゴでしかない。
そんな中、人工的な治療を施してまでも子どもを授かる資格があるのは、よほどその後の人生に自信のある人だけな気がしていた。

たまたま授かったから運命を受け入れてその命を大切にする、というのと体外受精で自らが運命を作り出して命を創造する、というのは、自分の中でどうしても決断のハードルの高さが違うように思えた。(実際には同じだけれど)

そんな選択を、いろんな不安がある私がとっても良いのか。
その先に、100%子どもを幸せにできるという未来はあるのか。
いろいろと考えながら、とにもかくにも検査が始まる…予定だった。

ーーー

中容量ピルを飲み始めてからというもの、その副作用は想像以上に私を苦しめた。
永遠にトイレにこもって、吐き気と戦う。

最初は嗚咽だけで済んでいたのが、ついにはお風呂場で我慢しきれずに吐いてしまった。
「その薬って、そんなに強いの?辞められないの?」と夫が心配するくらいには、数日でげっそり、という状態だ。

数日間飲めば慣れてきて副作用は治ってくると聞いていたのに、吐き気はどんどんひどくなる一方だった。

まだ検査の序盤でさえないのに、トイレの中で涙が溢れてくる。
どうして何もしなくても自然にできる人がいる中で、私だけがこんな思いをしなくては土俵にすら立てないんだ。

今思えばきっとそれぞれに抱えている事情もあっただろうし、私以外に辛い思いをしている人なんてたくさんいるのは分かっているのだけれど、トイレの中でひとり泣いていると、そんな周りのことは見えなくなってしまうのだ。

とはいえこの薬も一時的。
副作用は、飲み続ければ寛解していくはずだった。
しかし私の場合は副作用が治るどころか日に日に悪化し、それどころか薬を飲み終わっても生理が来ない。
もうかれこれ薬を飲み終わって4日が立つのに、いまだ永遠に吐き続けている。

これって、飲み終わってもしばらくキツいものなの?っていうか、
どれだけ強いの?この薬……。

永遠にベッドで横たわり、吐くためだけにトイレへ行く。
実はこの検査が始まる少し前、コロナに感染して病み上がりだった私は、コロナの副作用もあるのかもしれないな……と思っていた。

だがしかし、それにしても気持ちが悪いし、ちっとも生理の気配がない。
それどころか吐き気はひどくなり、仕舞いにはご飯の匂いでえずくようにまでなり、極め付けにはこんな出来事が。

「大丈夫?何か食べられそうなものはある?」
「…グレープフルーツジュース」

便器を抱えて吐きながらそう答えた私に、ついに夫が聞いた。

「ねえ、もしかしてだけど、妊娠してない?」

んなわけ!とツッコミそうになりながらも、冷静に今の自分の状況を分析する。

数ヶ月生理が遅れている
止まらない吐き気
食べ物の匂いに敏感になる
食べ物の好みが変わる。とりわけ柑橘系が食べたくなる(らしい)

妊娠か…?

いや、とはいえ、今まで何年も妊娠して来なかった私が、突然このタイミングで妊娠するのはちょっと話ができすぎている。

ひとまず検査してみてと夫に渡された妊娠検査薬を持ってトイレにこもる。
今まで何度か試したことはあったけど、一度も反応を示したことのない検査薬。

おそるおそる検査をすると、くっきりはっきり、陽性だった。

びっくりしすぎた私はトイレから叫ぶ。

「ねえ!来て!」
心配して飛んできた夫に告げた。
「まじで妊娠してるかも」

「だから言ったじゃん!」と言った夫は涙ぐみ、はっきりと喜び、抱きしめてくれた。
だけど私はというと…「まさか」という思いだけが頭の中にあって、なんの実感も湧かない。

とりあえずクリニックに電話して一部始終を告げると、「不妊治療を始めようとした途端に授かるって、実はよくあることなんですよ」と、喜んでくれた。

とにかく明日来てください、と言われて受診した次の日。
エコーにうつったのは、まだ小さい、だけどはっきりと形のある我が子だった。

「おっと、もう大きいね。もう心音が聞こえるかも」

そういって主治医が聞かせてくれたのは、私のお腹の中で確かに生きている、
その子の力強い鼓動。

結局私は不妊治療の一歩手前で、幸運にも「たまたま授かった」のである。

それにしても不思議だ。
今までずっとできなかったのに、子どもについて真剣に考え始めた途端に授かるなんて。

余談だが、その子がお腹に宿ったのはちょうど、シルミチューに行ったのと同じ頃だった。
何かの力が働いたのかどうか、それは誰にも分からないけれど。

ーーー
さて、
母は、いつから「母」になるのだろう。

私は我ながら子どもや動物が好きな方で、「母性」というものは、生まれつき備わって持ち合わせていると思っていた。

もともと精神科病棟で働いていた頃から患者さんには無性の愛みたいなものを感じていたし。他人の子どもでも、命を投げ出しても良いと思えるほどに愛らしさを感じていた。

だからあれだけ迷っていてたとしても。予想外に授かったとしても。
もしも我が子を授かり、そしてエコーでその子の姿を見たら、「私の子……」とたちまち幸せな気持ちが湧き上がり、ドラマのように母になる実感と母性が湧き出てくるに違いないと思っていたのだ。

だけど実際には、そうではなかった。
エコーを見ても、心音を聞いても、自分のお腹に人間が宿っているだなんて、
とてもじゃないけれど信じられなかった。

それどころか、恐ろしささえ覚えている自分がいた。

自分の中に人間がいる。生き物がいる。
私の血から栄養を摂り、不純物を送り返す、成長していく生き物。

まさかそんな風に思うとは思わなかった。
それが意外で、妊娠したにも関わらず、瞬間的に母性を覚えない自分を恐ろしくさえ思った。

そこから、幸せな気持ちになるどころか、むしろ妊娠を自覚してから始まった悪阻やマイナートラブルに心がやられそうになる日々が始まった。

食べても吐く、飲んでも吐く。
なんなら、何も口に入れなくても吐く。

使っていたシャンプーや洗剤のにおいがことごとく駄目になり、普段は感じない生活臭にさえ吐き気が止まらない。
一日中体がだるくて起き上がれず、起き上がったと思ったら貧血で倒れそうになるし、お腹がぱんぱんに膨れ上がっては出てくる、謎のげっぷにも悩まされた。

(因みにこのげっぷはげっぷだなんて可愛いものじゃない。
妖怪の産声ではないかと思うほどに強烈に長くて大音量のくせに
自分の意思では抑えられずに連発するそのげっぷには、
夫も、おそらく道ゆく人も驚かされたと思う。)

妊娠を自覚してからわずか1週間のうちに、私の体重はみるみる5キロ痩せ、弱っていった。

もう駄目かもしれないと心がやられて、体を引きずりながら検診に行くと、ひたすら苦手な内診と検査の繰り返し。

いくら悪阻の症状を伝えても、「赤ちゃんは大丈夫そうね。あなたはひたすら耐えて」とスルーされる。

妊婦は飲める薬もほとんどないし、悪阻はいまだに原因不明で片付けられていて
治療法なんてないのだから、私たちはひたすら「耐える」しかないのだ。しかたない。しかたないけれど辛い。

そして周囲は、それに耐えることを当たり前のこととして要求してくる。
世間には「辛い」だなんて口に出したら、途端に総攻撃に合いそうな雰囲気が漂っていた。

「幸せなことなんだから」
「あなたが望んだことでしょう」
「授かれない人もいるんだから」

ふたりの体になった途端、宿主である私の状態なんて無視して、子ども本位に変化していく自分の体や周りの言葉に、ずいぶん戸惑った。

確かに授かれなくて辛い思いをしている人もたくさんいる。
運よく子どもがお腹に来てくれたのに不平不満を述べるなんて、贅沢にもほどがある。

だけど、辛い。辛いのだから仕方ない。

だけど周りの言葉の意味も分かっているから、そんな自分自身に嫌気がさす。
「みんなは赤ちゃんのためと思えば嫌な気持ちになんてならないはずなのに、どうして私はこんなに弱音ばかりなのか。私はすでに母親失格ではないのか」と、突然センチメンタルになって泣き出すこともあった。

だって巷に溢れる妊婦さんのインタビューはいつもキラキラしているし。
私だけが置いて行かれたような、私だけが最低なような、そんな気がしたんだ。

いつまで続くか分からない悪阻。
そして、同時に訪れて進行していく、望まない体の変化。

体重は減るくせに全身に醜い肉が増え、身体中がぶくぶくと丸みを帯びていく。
乳首は日を追うごとに黒く大きくグロテスクになり、膨らんでいくお腹にはそのうち妊娠線という名の肉割れができるらしい。

抜け毛や肌荒れ、シミが増えるなどのトラブルも多発した。
骨盤がゆるんでいくせいで、時々立てなくなるほどの腰痛にも襲われた。

しかもこれも序盤の序盤。
周りの友人は
「体、気をつけないと産後はもっと酷いよ」と、顔を歪ませる。

一時的なものですらなく、私達はこの妊娠で多くの変化を伴う。
植え付けられていた「若くて綺麗な体」がみるみるうちに崩れていくようで、
それが怖くて、怖くて、怖くてしかたなかった。

そんな横でキョトンとしている、体になんの変化も訪れない夫。
それもそのはず、男はタネを植え付ける以外にとくに仕事を与えられていない。
体の変化もなければ、出産も授乳もない。

そのうえまだコロナ禍をひきずっているこのご時世、病院の中にすら一緒に入れない日が続いている。

妊婦健診も、母親学級も、出産も、入院も。

「ご本人様だけです」の一点張り。

え?ご本人ってなんのですか?
この子はふたりの子じゃないの?
夫も「本人」なのでは????????

こんな状況で、夫に自覚なんて生まれるはずもなく、時々無意識に出る悪気のない言葉や冗談が、ささくれだった心にいちいちひっかかる。

出産の予約金に「それって『俺も』払うんだよね?」
抱っこ紐を選ぶときに「なんでもいいよ。だって『ゆずかの』ものでしょ」

間違いなくふたりの子で、責任も何もかもが半分のはずなのに。
どこか主体が私になっている気がして、それだけで怒り出し、冷たい態度になってしまう私。

夫は多分、協力的な方なのだ。
中にも入れないのに毎回検診にはついてきて喫茶店で待っていてくれるし、
情緒不安定になっても理解してくれて、家事も手伝ってくれる。

それでもどうしても、食事や行動までも、自分だけが著しく生活を制限されているうちに、体が変わっていくうちに、ひとりで検診のスケジュールを管理したり、ベビ−用品について調べていたりしているうちに、孤独が深まってくる。

どうして私だけがこんな目にあうのだろう。
どうして私の体だけが変わっていくのだろう。
どうしてふたりのことなのに、まるで私だけが当事者みたいになるの。
どうしてそんな私の辛さを誰も分かってくれないの。

女にしか起こらない産前産後の悪阻や体の変化は、「耐えて当たり前」と突き放される。
交通事故レベルで体がズタズタになるといわれている、激痛が伴う命がけの出産なのに、いまだに麻酔すら贅沢品扱い。

いやいや、不公平すぎへん?

毎日出産が怖くて検索をかけ続けて怯える私の横で、「心配しすぎだよ。大丈夫だよ」とニコニコしながら関係のない動画をみているそこの夫よ。
何が大丈夫なんや。
自分がこっちの立場やったらずーっとずーっと怖くてググらへんか?

お腹の中に子どもがいることに実感が湧かないからこそ、自身で体感するのは妊娠のマイナスの面ばかりで。
なんでこんな苦痛が当たり前とされて、愚痴を吐くことすらタブーとされているのか。そんなことばかりを考えて塞ぎ込んでいたあの時私は、れっきとしたマタニティーブルーだったのだと思う。

このまま母としての自覚が芽生えなかったらどうしよう、
ずっと我が子を可愛いと思えなかったらどうしよう、と悩んだ。

だけどさ、今思えば、それらの悩みは当然のものだったと思う。
いくら心から妊娠を望んでいたとしても、きっと程度の差はあれど、誰もが通る道に違いない。

ひたすら自分だけの体調が悪く、尚且つ体がものすごい勢いで変化していくのだから、戸惑いやそれなりの苦しみを感じることはいたって当たり前のことなのだ。

それでもなんだか、それを口に出せない世の中の雰囲気があると思う。
子どもができたのだから全ての神経を子どもに全振りできて当然だとか、
自分が望んで作った子どもなのだから、少しも辛いとか嫌だとか言うなとか。

いやあ、ちょっと厳しくないか。

子どもができたのは喜ばしいこと。
そんなことは自分達が一番分かっている。
だからこそ言われなくたって、体がくだけようが、ズタズタになろうが、最悪命を落とそうが、きっと私たちは我が子のために耐えるのだろう。

だけど、それでも「苦しい」「辛い」「怖い」「嫌だ」という素直な感情が0になるわけではない。

私たちは母である前にひとりの人間だから。
そして何よりまだ、母にさえなる準備段階なのだから。

「母親」ってのは、妊娠したからといって突然なれるものではない。
少しずつ自分自身と折り合いを付けながら、時に拒絶し、苦しみながら受け入れていくのだと思う。

因みにこれらの感情がぐっと楽になったきっかけは、
ツイッターの通称マタ垢、所謂「マタニティアカウント」を作ったことだった。

匿名で同じくらいの周期のママ達とフォローし合うと、こういったマイナスの感情や体の変化が自分だけに起きているものではないと分かり、心から安心した。

みんな同じ時期に嘔吐に苦しみ、母親としての自覚のなさに怯え、
夫や友人のちょっとした発言に傷つき、出産に怯えて。
だけどそれを表に出すことは躊躇しながら、徐々に母親になっていくのだ。

深夜の二時、いつも同じくらいの時間帯に決まって吐き気を催すもの同士で励ましあう。

「もう無理。」
「ほんま無理。あと数日で楽になることが多いらしいから、お互い耐えようね」

素直に「辛い」と吐き出せる場所は、めちゃくちゃ貴重だ。

ーーー
さて、悪阻が一番辛い妊娠初期を終え、安定期に入った。
吐き気は全盛期に比べたらだいぶん落ち着いて、体重も少しずつ、増えるようになった。お腹も徐々に膨らんで来ている。

胎動は感じないから、いまだに「ここに本当に人間がいるのか?」と不思議に思うこともあるけれど、エコーにうつる我が子は、いつのまにか着実に人間らしくなってきた。
足を口に持ってきて咥えたり、お腹の中で狭そうにもぞもぞと動きまわったり、最初は何も感じなかったエコーの時間が、今では一番の楽しみだ。

最初は実感が湧かずに感じなかった母性が、「どうやらお腹には本当に赤ちゃんがいるらしい」という実感とともに、少しずつ少しずつ芽生えてきているのだと思う。

それでも、

私はちゃんと母になれるだろうか。
この子を幸せにしてあげられるだろうか。
この子を幸せにするためには、どうしたら良いのだろうか。

なんて、毎日毎日不安で仕方ない。
そして母になる以上、こういう気持ちはきっと、この先死ぬまで持ち続けるのだと思う。

こういったマイナスの気持ちを書き記すべきか、正直言ってかなり悩んだ。
不妊治療で悩んでいる人や、こういったマイナス感情が全く湧かなかった人にとって、私の言葉はきっと腹のたつものだと思うから。

だけど、やっぱり書いた。
感じたことを言葉にすることに、やっぱり意味があると思うから。

妊娠してみて改めて分かったけれど、女を取り巻く環境は予想以上に厳しい。
婦人科の検査や治療にはいつまで経っても麻酔すら適応されないし、出産や子育てに関する女の痛みや代償は「しょうがない」ですまされる。

だからこそ書いた。
この苦しさや痛みを、なかったことにしたくはなかったから。

きっとこれから、嬉しいことと悲しいこと、交互に起こるのだと思う。
「産んでからが大変」という言葉も多分本当で、ここから起こる苦悩の方がはるかに多いはずだ。

それでも少しずつ少しずつ、いろんな変化を受け入れながら、
私はこの子のために「母親」になろうと思う。

完璧な母親にはなれないと思うけど、
私だから教えられることを、私だから与えられることを、惜しみなく与えていこうと思う。

もちろん、夫さんと協力しながらね。

あ、因みに。
そもそも昔、あれだけ子どもを産むことを拒んでいた私が、「やっぱり欲しい」と思えた理由は、「今が幸せだと思えるから」に尽きる。
こんな私でも、あれだけ苦しんだ私でも、ちゃんと幸せになれたから。
だからきっとこの子のことも幸せにしてあげられる。この子も、幸せになれる。


早くこの世界を見せてあげたい。
醜い場所もあるけれど、傷つくこともあるけれど。
だけどそれ以上に優しい場所や美しい場所、瞬間が、ここにはあるから。

今はそうやって、ぼんやりと思えるのだ。

ということで私、母親になります。
長い長い報告文を読んでくれてありがとう。
そして我が子よ、ここに来てくれてありがとう。
これからもよろしくね。

yuzuka

Ps.来年の春頃、ちょうど出産同時期くらいにもうひとつ、素敵なご報告ができそうです。待っててね。

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