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Jリーグがある町で育った

3歳のとき、鳥栖に引っ越した。

父親曰く、理由はこの町にサッカーチームがあるから。

わたしは幼稚園生のころから、父親にスタジアムに連れていってもらった。

ルールも分からない、ゴール裏のお客さんもガラガラ、寒くて身が震える日も、ピッチに目を向け、見様見真似で応援した。

幼いながらにDJYUYAさんのアナウンスが響く、スタジアムの雰囲気が好きだった。


小学生に上がったときには、気づけば鳥栖フューチャーズはサガン鳥栖になっていた。

それから中学に上がり、友だちと遊ぶことが増えたわたしはだんだんサッカーを観にいくのをやめた。

それでも週末になると必ず父はスタジアムに出かけた。

ひとりで向かう父の背中は、すこし寂しそうにみえた。

わたしもサガン鳥栖が好きな気持ちは変わらなかった。

大学に入り、時間に余裕ができたわたしは再び両親とスタジアムへ観戦に行くことが増えた。

ゴール裏の観客は圧倒的に増えていた。あの時代が嘘のようにブルーのユニフォームで埋め尽くされていた。

ちょうどJ1昇格直後。スタジアムの雰囲気も最高潮な中、試合もかなり見応えあるものになり、わたしは改めてサッカーの魅力に引き込まれていった。

家族との会話も弾み、サッカーは再び家族をひとつにしてくれた。

勝った日の帰り道、スタジアムから流れるケイタクの「虹の橋の向こうへ」を聴きながら、夕焼けに染まるスタジアムを背に両親と歩く帰り道が大好きだった。

Jリーグがある町で育ってよかった。



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