勉強嫌いを"思わず勉強したくなる"に変える世界最高の授業
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自然という偉大な本を読むには、その本が書かれている言語を知らなければならない。そしてその言語は、数学なのだ。
(天文学者・ガリレオ・ガリレイ)
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どうも、はじめまして。今日から君たちに数学を教えることとなった〝カズ・マナブ〟です。
ブリストル大学で数学の博士号を取得した後、日々数学の研究をしています。
〝カズ先生〟と呼んでもらえたら嬉しいです。
さて、今日私がなぜここに来たかというと、世の数学の授業がおもろなさすぎるからです。
子どもたちに数学アレルギーを植え付けているのは、間違いなく教師の責任やと思ってます。
自分らが悪いんとちゃうで。教師の教え方が良くないのが問題やねん。
今日はみんなに知っておいてほしい「勉強の正体」についてお話したいと思います。
この中で数学が苦手または勉強そのものが嫌いやって人どれくらいおる?
あーけっこうおるなぁ。
まず言っておきたいことは、「勉強なんかやりたくなかったらやらんでええ」ってことやねん。
やりたくないことを、やらされることほどしんどいことないもんな。
教科書?しまってええ、しまってええ。
いきなりやけど、授業を始める前に、簡単な実験をしようと思う。
今から14行の文章を読み上げます。記憶力を問う問題です。
一回聞いただけで、どのくらい覚えていられるか試してみてください。
じゃあ読むで。
以上です。どう?しっかり覚えられた?
ふふふ、みんな全っ然って顔してるな。一行目も忘れてもうてるやろ?
でもな、これ、あることを言ったら、今よりもはるかに覚えることができるねん。
そのあることとはな……
この文章、実は「凧揚げ」について書かれた文章やねん。
それを踏まえた上で、試しにもう一度、読み上げるで。
どやった?二回目は覚えやすかったんとちゃうか!?
これは記憶心理学の実験で、「凧揚げの文章です」ということを知っているグループと知らないグループに分けて覚えてもらい、結果を比べてみたら、あらかじめ何の文章なのかを知っているグループの方が、はるかに覚えていられることがわかったんや。
「凧揚げの文章である」ということを知っているかどうかだけで、たったこれだけで同じ文章を読んでいるにも関わらず、「学習と記憶」に大きな変化が生じたってことやねん。
これどういうことかわかるか?
■数学は、社会でとんでもなく役に立つ
これは勉強も同じってことやねん。勉強する意味や、何に役立つためのものなのかといったはっきりとした意義を理解していないと、勉強しても身に付きにくい。
勉強には「なぜ、それをするのか」という動機がとても大事やねん。
先生も学校で数学教えてたら、中高校生くらいの子から「勉強して何の意味があるん?」ってよく質問されるわ。
〝サインコサイン〟って何?勉強して何の役に立つん?社会に出て使わへんやろー?って。
結論から言うと、数学ってめちゃくちゃ役に立つで。世の中の人が数学を理解すればするほど、社会は良くなるんや。
例えば、携帯で写真を送信するときの圧縮技術には「二次関数」が使われてる。
しかも、二次関数を応用することで、将来的に「コンセントのいらない充電器」、つまり自分の周囲の空間を飛んでいる電波から充電できるような電池の開発もできるかもしれん。
「因数分解」はネットセキュリティの暗号技術に使われてる。
昔から様々な試行錯誤を繰り返して発達してきた暗号技術は数学の力を借りることで実現されてるんや。
君たちが大人になったら使うと思うけど、クレジットカードには16桁の会員番号があって、その数にも秘密が隠されてる。
クレジットカードを持っている人に与えられた会員番号はまったくのランダムに決められているというわけではなくて。ある手続きのもとに生成された正当な番号なんや。
そのため、「Luhnのアルゴリズム」と呼ばれる判定方法で、入力された番号が正当な番号かどうか判定を行うことができる。
これの何がすごい仕組みかと言うと、入力を一桁間違えただけで、違う人に振り込まれてしまうということが無くなるねん!
このようにカード番号は、数字を使った絶妙な仕組みで割り当てられ、チェック機能が付いてるから安心して買い物ができるんや。因数分解めっちゃすごいやろ?
そして、何より大事なのは、君たちが高校2年生になってから習う「微分・積分」や!
微分は、17世紀に万有引力の法則を発見したニュートンによって基礎が築かれ、その後、ライプニッツが完成させた。
微分なんてどこで使うねん!と確かによく言われるけど、この微分のおかげで我々は「未来予測」ができるようになったんや。
それまでは何事も実験して試してみるか、ヤマ勘でしかわからなかったことが精密に予測できるようになった。
もちろん何にでも使えるわけではなく、人間心理や不連続に変化するような現象が関係しているとうまくいかへんけど、普通の自然現象やったら微分を使った式で、すべて表現できるで。
10年以上前のことやから知らんかもしれんけど、2010年に、7年間で60億キロメートルもの宇宙を旅して地球に戻ってきた小惑星探査機「はやぶさ」って聞いたことある?
月以外の天体に着陸した探査機が帰還したのはこれが世界で初めてで、はやぶさの帰還はかなりの偉業やってん。
ほんで2014年に「はやぶさ2」が打ち上げられ、ちょうど先月の頭、地球に帰還したんやけど、このはやぶさもコンピューターで微分方程式を解いてるねん!
はやぶさが宇宙空間において、他の惑星の影響を受けながらどう動くかを、非常に複雑な微分方程式を解くことで求めた。この計算が可能になって初めて、人工衛星は行って帰ってこられるんや。
はやぶさなんて俺らには関係ないやんって思ったかもしれんけど、もしこの人口衛星がなかったら、まずGPSがなくなるからカーナビは使えへんくなるな。BS・CS放送の番組も見られへんくなるし、気象衛星は非常に重要で、台風接近など天気予報もできなくなるやろうな。
実際、過去に人工衛星が故障し、ポケベルから銀行のATMまで使えへんくなったことがあったくらいやで。ってポケベル言うてももうわからへんか。
いずれにせよ、ここまででも数学が、我々の生活にどれだけ大きな影響を及ぼしているかわかるやろ。
数学というと文系の人から毛嫌いされそうな学問やけど、実はものすごく実社会とつながっていて、問題解決に深く関わってるんや。
微分の詳しい計算の仕方はまたすぐ学校で習うと思うから、今日は「数学は、社会でとんでもなく役に立つ」ということを知っておいてほしい。
そんなことを知るだけで、無味乾燥の数字の羅列であった数学が、創造性に満ちていることがわかるはずやからな。
音符の羅列が音楽ではないように、数字や記号の羅列も数学ではないんや。もっとアグレッシブでクリエイティブなのが数学なんやで。
数学が対象とするのは、数ではなくこの世の活動。私たちが生きているこの世界そのものを対象としてるんや。
「学校で習った勉強なんて、大人になってから使わへんかった」と言う人がおるのは確かやけど、使わへんかったのではなく、ただ役に立つ使い方をしなかっただけやねん。
世の中の現象を観察し、モデル化し、方程式を立てて解いてみる。うまくいかなければ、条件を変えて仮説検証を繰り返す。
そんな数学によって、見えないものが見えるものにできる。
これが血の通った数学の世界や!数学は、社会に役に立ち、自然の美や宇宙の調和さえも表現できる、英語とは比にならないくらい世界……いや、宇宙の共通言語やねん!
学校ではこういったことの基礎を学んでいるんやで。
どや、だんだんとはよ習いたなってきたんとちゃうか?
ただこういうことを言うと、また問題が生まれてしまうねん……
■勉強とは「世界の謎を解くためのカギ」
「せんせー、やりたいことがありません」「だから勉強する動機も見付からないです」「やっぱり勉強できません」って今度は言うようになるねん。
わかるで~やりたいことなんて大人になってもなかなか見つからへんからな。
でも、でもな。なんでやりたいことや夢が見付からへんのか、しっかり理由があんねん。
それは、〝知らん〟からやねん。
知らんことが多いということは、つまり選べる選択肢が少ないということでもある。少ないから選ばれへんねん。
だから、極端な話、「サッカー選手になられへんかったら、公務員になるしかない」と思ってしまう。他にごまんと自分に向いている職業があるかもしれへんのにな。
じゃあもっと知るためにはどうしたらいいと思う?
いくつか方法はあるけど、先生が一番推しているのはやっぱり「読書」やな。
今、自分ら「でた、読書」って顔したやろ。うぇ~って顔に書いとるわ。漫画は好きやけど、本は読んだら眠くなるから無理。正直、読書とか、「はいはい」って感じやんな。本とか読まんくても生きていけるから。本読むと何がええねん、そもそもハリーポッター長すぎ。「本を読め」って先生もそんなこと言うん?カズ先生もそのへんの先生と同じなんやなって。
めっちゃ気持ちはわかるで、先生も昔は本嫌いやったからな。でも、
本を読むことで、世界の謎を一つ解くことができんねん。
それがどういうことかを知ってもらうために、ここで、カズ先生から再び問題や。いくで。
はい、そこの君!
「えー、全っ然わかりません(笑)」
「でも問題になるくらいだからけっこうありますよね。考えるからちょっと待ってください」
ええで。
「まず、天気雨。あとは……五月雨?あ、小雨も!あれ、春雨って雨だっけ?食べもの?笑」
「とりあえず今4つ。あとはねぇ…………うーん…………」
「……以上です。あ、でもほんと知らないだけでもっとあると思うから、全部で30種類くらいかな?」
ふふふ、みんなもそんなもんでええか?
じゃあ、正解言うで。
正解は、日本には「雨」に関する言葉が、なんと400種類以上あります。
「えー!めっちゃ多い!!想像以上!!」
せやろ!君が言ってくれた天気雨や春雨から、村雨、怪雨(あやしあめ)、驟雨(しゅうう) 、天泣(てんきゅう)などなど。あ、天泣っていうのは「雲がないのに降る雨」のことな。
みんながよく使うものから、普段はあまり使わへんものまで、数多くある。
これは感受性豊かな日本人が四季を大切にし、自然と調和してきたからこそ雨に関する言葉も増えていったと言われてるねん。
日本には雨以外に、「魚」の名前も多くある。
例えば、ボラは、大きさによってスバシリ、イナ、ボラ、トドと使い分けてるし、ブリはもっとすごいで。
15センチ以下のものをツバス、モジャコ、ワカシ、ワカナゴといい、40センチ前後になるとイナダ、ハマチ、フクラギ、メジロとなり、60センチ前後のものはワラサ、ブリという具合に本当に細かく分かれてる。
ちなみに「イルカとクジラの違い」も大きさだけやで。
一般的に4m~5m以下のモノを「イルカ」。それ以上を「クジラ」と分けている。
日本では〝白イルカ〟と呼ばれているものでも、英語やと〝white whale〟、つまり〝白クジラ〟って呼ばれてんねん。
この前知り合いが、海外の人に「今日の夕食は魚ですよ」と言われたから、魚が出てくると思っていたら、出てきたものはなんと「タコ」やったんやって。その国の人からしたら、タコも魚なんやな、ははは!
ちょっと話がそれたけど、そんな風に、言葉には不思議な力がある。
卓球が強い国は、卓球に関する言葉が他の国よりも数倍あると言われてる。スポーツ強豪国は、その強いスポーツ分野に関する言葉の量が多いねん。
名前を付けるということは、その対象と関係を築くということ。名前が付いて初めて意味を持つ。それゆえ日本人にとっての雨や魚のように、分類が細かいということは日本人がそれだけ大事にしているということでもあんねん。
例えば、ニューギニアの人たちは、自分の周囲に存在する約1000種もの動植物のそれぞれに名前をつけているのが普通やった。いずれの動植物についても、どこにいけば見つかり、それが食べられるのかどうか、あるいは別の用途があるのか、その捕獲法、採集法をめぐるなにがしのことに通じていたねん。
名前の分化は、それだけ人間のそばにあって必要やったから、区別が詳細になっていくんや。
日本語には、「星の名」が多くないな。これは日本人があまり星を見ていないということやねん。
先生の出身の国とは違って、家畜の名前も少ないで。日本はあまり家畜が飼われへんかったってことやな。
英語では、牛一つ見てもたくさんある。cowは雌牛やし、bullは去勢していない雄牛、oxは去勢した雄牛、calfは子牛、cattleは家畜として飼われている畜牛といったように、本当に細かく名付けられてる。
言葉というものは、今までどんな生活を送ってきたのか、何に関心を持ち、何に無関心であったのかがわかるねん。
この前な、本を読んでいたらこんな一説に出会った。素晴らしいからちょっと聞いてくれ。シャネルの創業者であるココ・シャネルの言葉や。
どうや。この言葉に出会って、本を読むことや勉強するってまさにそういうことやなぁって腑に落ちたわ。
言葉を一つ知れば、また一つ、「無知から未知」へと誘ってくれる。
新しい言葉を覚えることで、そして知らないことを知ることで、自分の人生に昨日よりちょっとだけ彩りが生まれる。人生が豊かになるんや!
よく本を読むことは「最も効率の良い投資」なんて言われたりする。子どもに漫画を読むのはあかんって言う親でも、本ならいいって言ったりな。
でも本ってそんな大層なものちゃうと思うんよ。「好きやから読む」「読みたいから読む」「ただただ好奇心で、もっと世の中のことを知りたいから読む」
先生はそれで良いと思ってる。
もっと本に、もっと言葉に、目を向けてほしいねん。なぜなら、今まで読んだ本を積み上げた高さが、君たちの見える景色やからや。
言葉を知らなければ、ある小さな枠組みの中でしか考えられないことになってしまう。同じものを見ても、言葉をたくさん知っている人とそうでない人とでは、世界の見え方がまるで違う。
勉強とは「世界の謎を解くカギ」なのです!
世界の謎を解くカギを手に入れた自分らの見える世界は、広く、深く、そして美しいものになる。
人生を豊かで楽しいものにするために、子どもたちは、学校で「世界の謎を解くカギ」を手に入れようと励んでいるんや。
少しもったいぶってしまったけど、これが君たちがずっと疑問に思ってきた「勉強をすべき理由」であり、「勉強の正体」なのです。
■物理は、世界のあらゆることを記述する
このクラスは文系やと聞いてるけど、理系アレルギーの人とか多いとちゃうか?そこの君、物理とか苦手やろ?
「あー無理無理、まったくです。数学以上に勉強したことないですね……でも文系だし、物理とか化学はまぁいいかなって思ってます(笑)」
そうやんな。ただ、理系科目は受験に必要ないからといって切り捨ててしまうのはかなりもったいないで。
「うーん、今日話聞いててそうなんだろうなぁって思えてきたけど、やっぱり理科は、ねぇ……」
物理は世界のあらゆることを記述していて、身の回りの様々なところで、その考えや法則は関係してるねん!
ちょっと物理についても語ってええか?!高1の君らの日常生活に根差した具体例でわかるように説明するから!!
「は、はい……」
例えば、たまに満員電車でハイヒールの人に足を踏まれ、足の指を骨折したっていうニュースがあったりするやん?
「うん、たまにありますね。ちょっと前だけど、芸人の千原ジュニアってまさにそれで骨折してなかったっけ?想像しただけでめっちゃ痛そ……」
これがどれだけ危ないことかと言うと、体重3000キロのゾウに踏まれるより、40キロの女性にハイヒールで踏まれる方が危ないんやで。
「え、まじ!?そうなの!?」
せやねん。君らはまだ行ったことがないと思うけど、DJがかける音楽に合わせて踊ったりするクラブってとこは、危ないからサンダルやヒールを禁止しているところもあるくらいやねん。
同じ大きさの力でも、その力がかかる面積が違うと効果も違ってくる。その効果のことを物理の世界では「圧力」と言う。
「あ、圧力は知っている!名前だけしか覚えてないけど、授業で先生が話してたの覚えてる!でも、なんでゾウの方がハイヒールより踏まれると痛いのですか?だって3000キロでしょ?」
それはな、かかる力が同じでも、面積が小さい方が圧力は大きくなるからやねん。
圧力は、面を垂直で押す力(ニュートン)÷面積(平方メートル)で求めることができる。
同じ大きさの力でも、その力がかかる面積が違うと効果は違ってくるねん。モノにかかる力は、触れ合う面積が大きいとその面積によって分散されるってことな。
これを応用して作られたのが「スノーシュー」という雪上歩行具やな。
スノーシューは、靴よりも面積が大きいから、歩くときにかかる力が広い面積に分散する。やから雪にめりこまずに歩くことができるねん。
スノーシューが雪に接する面積が普通の靴底の面積の八倍なら、雪の上に普通の靴で立っている場合の八分の一の圧力で雪を押すことになり、そのため歩きやすいんや。
「へぇー!それ作った人頭いい!物理めっちゃ得意じゃん」
そやろ。ちなみにあんちゃん、包丁って研いだことある?
「あるある!ママが仕事で忙しいときは、私が代わりに料理するからね!」
ばりえらいやん。じゃあ包丁は研ぐと、なぜよく切れるようになるかわかるか?
ヒントは、今の圧力の話が関係してるで。
「……ってことは、もしかして包丁の刃の部分を研ぐことで、刃先が鋭くなって、切るときに圧力が大きくなるからとか!?」
excellent!素晴らしい!!まさにその通りや。
包丁がよく切れる理由は、圧力が関係しているのです。
こんな風に「物理学」を知ることで、世界の謎が少しずつ解けていっている気がするやろ?
「うん!すごい!今までなんとなく研いでたけど、そういう理由だったんだって驚いてる。こんなに身近なことにも物理って関係してたんですね!」
そうやねん。iPhoneの画面が割れやすい理由もここにあるで。iPhoneって端が角ばってるやろ?
そのせいで落とした時の衝撃が分散せぇへんねん。だから画面が割れやすいねん。別に早く買い替えてほしいから割れやすくしてるわけとちゃうで。iPhoneはデザイン性を重視してるからな。
それに対して他のスマホの人とも比べてみ。落としてもなかなか割れへんってスマホもあるやろ。よく見てみ。角が丸っこくなってるから。丸みを帯びていたら落とした時、衝撃が分散するんよな。
このように物理学を知っていれば、虹がなぜ生まれるのか、空が青く夕日が赤い理由も、ジェックコースターで落ちるときに無重力で一瞬浮いているような感覚になるのも、冷蔵庫の温度が4℃に設定されているのも、体重計の上でつまさき立ちをすると体重が少しの間増加するのもちゃんと理由があって、物理の法則でしっかりと説明できるやで!!!!
こんなにも我々の身近なところに、物理の法則や理論は潜んでいるんや。
物理学は、大人になったら役に立たないものでも、小難しい数式の集まりでもない。我々の手の届く範囲にありながらも、これまで考えもしなかったものを、目に見えるものにしてくれる。物理を知ることで、世界は違って見えてくるのです!!!
■教養とは、人生を味わい深くするもの
理系のことはよくわからへんと言っていたけど、これらのことを知ってみてどう?純粋におもろいと思わへんか?だんだんともっと知りたいもっと知りたい!ってなってる自分がおったりせんか?!
もちろん、こう言う人もおるかもしれん。
「そんなことを知って何の役に立つねん」
と。確かにすぐには役立たへんかもしれん。いつ役に立つかもわからん。別に知らんくても包丁は研げるからな。
さっきもちょっと言ったけど、「教養」ってそれでいいんちゃうかなって思ってる。
すぐに役に立たへんからこそ価値がある気がするんや。1年後なのか3年後なのか、それとも5年後なのかはわからんが、いつか何かの役に立ったり、ひょんなきっかけで異分野の事柄が結び付くことによってアイデアがブレイクスルーするきっかけになったり。
何より、教養があると、人生の味わいが違ってくるねん。
例えば、天文学を勉強している人は、普通の人より夜空を楽しむことができる。日々の生活の中で、小さな楽しみをひとつ多く持っているとも言える。
天文学を知らなければ、なんとなく夜空を見上げて、せいぜい「あぁ、星がきれいね」でおしまいや。「月が綺麗ですね」ってやかましいわ。
また、ソムリエの資格を持っている人に「ワインなんて飲まへんくても生きていけるのに、なんでそんな資格取る必要があるん?」なんて言わんやろ?
ソムリエの人は、きっとワインが好きで、よりワインについて知りたかったから、好きで勉強しただけや。その人にとって、ワインは生きていく上で欠かせないもので、人生に彩りを与えてくれるものになっているはずや。
食に対して興味や素養のない人にとって、食事は単なる食欲を満たすものでしかない。どこで何を食べても同じ。「あぁ美味しかった」で終わりや。
でも、料理好きで食について造詣が深い人からしたら、美味しいものを食べることが楽しみで仕方がないはずやねん。「このソースは何を使っているんやろう」「このお肉はどこの名産やろう」って様々なことを思い浮かべながら、より一層食事を楽しむことができる。
つまり、一つ知ることで、日々の生活の中に一つ楽しみが増えるということやねん。「何かの役に立つからやる」とはわけがちゃうやろ。純粋に楽しいからやる。教養ってそういうものやと思うねん。
大人になったら「優秀なビジネスマンになるためには教養が必要や」とか、今やったら「アートはビジネスエリートの必須科目」なんて言われてるけど、そんな堅苦しく考えんくてええねん。教養って、学ぶことってもっと楽しいものなんやって覚えておいて。
だからこそ世界の謎が解ける瞬間は、こんなにも素晴らしいんやで!
君たちには、勉強が社会で何の役立っているのかだけでなく、この「世界の謎が一つまた一つと解けていくときの知的好奇心が満たされる楽しい感覚」を知っておいてほしかった。
おならの匂いひとつ取ったって、しっかりとした法則があって、これらを面白いと思えれば、「物理の授業が何の役に立つのよ」「勉強する意味なんてない」なんてもう言わなくなるはずや。
君たちが学校で何を学んでいるのかだんだんと見えてきたかな?
さっきした言語学の話で、言葉を知れば知るほど、見える世界は美しくなるって言ったけど、今の物理学の話でも、世界の謎が一つ解けて、無味乾燥な教科書がだんだんと色付いて見えるようになってへんか?
文系と理系の違いはあっても、それはただアプローチの仕方が違うだけやねん。高い丘の上に咲く綺麗な一輪の花を見るために、違う道から登っているというだけで、どちらも同じ丘を目指しているんやで。
■教師として働くということ
今日授業の始めに、「世の数学の授業がおもろなさすぎるから私が来た」って言ったと思うけど、もちろん世の中の教師をディスってるわけとちゃうで。漫然と志無く働いてるなんて言ってるわけではないねん。
むしろ逆。彼らは彼らでしっかりやってんねん。むしろしっかりやりすぎてんねん。
授業で数学と違う話をすると、やれ雑談が長いだの、やれ受験に関係ないなどと言われ、保護者から苦情の電話がかかってきたりする。
わかるでぇ、辛いよなぁ。自分ら保護者は生徒の学ぶ意欲を奪う気かいってな。授業の真髄は雑談に宿るっちゅうねん。偏差値より大切なことがあるわ。
そういうこともあって我々教師は、教科書通りの授業しか進められへんくなってるのも事実や。
でもな、それでも教師であるからには、「数学っておもろい!」「学ぶことってこんなに素晴らしいことやったんや!」って伝えてあげてほしいねん。
教師として働くからには、私はそれが一番のなすべきことやと思ってる。
学生の本分は学業って言われてるけど、教師の本分は「教育」や。なぜ勉強せなあかんのかという謎を解いてあげて、その本分を全うできるように学ぶことの楽しさを教え導いてあげる。それが教師として働くってことであり、先生の責務であり、私の一教育者としての使命やと思ってる。
ここまで少し長くなってしまったけど、最後に、悲しいことに〝勉強〟を誤った使い方をしてしまった少年の話をさせてほしい。
■〝勉強〟を誤って使ってしまった男子の末路
その子は、中学3年生の男の子で、とても勉強が良くできた。全国模試を受けるといつも上位成績者として名前が掲載されていて、地元では神童と呼ばれていた。
しかし、勉強ができるようになったのと引き換えに、勉強ができない人達をバカにし、差別し始めてしまったんや。
例えば、塾の帰り道、「電車の空いている席に座れるのは成績が良い人から」といった風に。
その子が地元の公立中学を卒業するとき、卒業文集でこんなことを書いた。
このようなことを長々と書いてしまった。普通なら友達との楽しかった3年間の思い出を振り返ったりするところ、〝偏差値の高い自分〟を棚に上げて、ここでも周りを見下してしまったんや。
確かに成績はかなり良かったから、県内一偏差値の高い高校に合格することができた。
でもそれってほんまにええことなんやろか?
試験はできるけど、人の気持ちがわからなくなった人。
偏差値が高い人がえらいと勘違いしてしまった人。
受験勉強しているのだから、他は何をしてもいいと思っている人。
これらはみんな、〝勉強〟の正しい使い方ではない。実際に毎年子ども達を見ていると、そういう子どもが出てきてしまうのも確かや。そんな風になってしまうなら受験勉強なんかせん方がましや。
勉強とは「世界の謎を解くカギ」。勉強をすることで、見える世界は変わり、深みのある人間へと自分を磨くことができる。
勉強は、人生を豊かに、自分を魅力的にするものなのに、そうなっていないのは〝勉強〟を間違って使っていることになるやろ。
「学校の勉強ができること」が、頭が良いということでも、人を見下してもいい理由でも、幸せになる条件でもないねん。
だからこそ、みんなには、「〝勉強〟を何のために使うのか」「〝勉強〟をすることで、どういった人になりたいのか」を考えてみてほしい。
もちろん、勉強だけじゃなくスポーツも大事やで。体を鍛えて健康に過ごすには運動が一番やからな。勉強ではできへん。
でも、昨日の自分より見える景色を広げ、人生をちょっと豊かにすることは、勉強だからできることや。これはバレエでもサッカーでも水泳でもなかなかできることではない。
だからもし、世界の謎を一つ、また一つと解き、深みのある人間へと自分を磨いていきたいと思うなら、勉強はした方がええやろな。
……なんでこんな熱く語ってるかというと、さっきの少年の話、実は先生の過去の話やねん。
私は勉強を間違って使ってしまっていた。
それにな、高校に入って君らと同じようになんで勉強せなあかんのかわからんくなってもうたんや。それやのに誰も勉強する意味を教えてくれへんかった。宿題出せの一辺倒。偏差値の上げ方しか教えてもらわれへんかった。すごく辛かった。もう勉強することもやめてしまったねん。
だからこそ、大人になった今、〝あの頃の苦しんでいた自分〟を救うために、教育者として働いている。
私はもう社会人になって20年近く経つ。教師としてはたらくって何やろうって考えたことがあんねん。教師の仕事ってなんやろう、はたらくってどういうことなんやろうって。
その答えはもちろん人それぞれ教師の数だけあってええと思うけど、私は「学ぶことって楽しい!」を伝えることが一番の仕事であり、「〝あの頃の苦しんでいた自分〟を救うこと」が働くってことやと定義づけた。
おせっかいなのはわかるし、さっきからこのおっさんどや顔うざいねんって思ってるやろうけど、一人でも勉強で苦しむ生徒に手を差し伸べてあげたいんや。それが私の使命やと思ってる。
だから覚悟せぇよ!卒業までに自分ら一人残らず、数学も、読書も、勉強も好きにしてみせるからな!!一生、学び続けたくなってしまう体にしたるで!!!!
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……はい、少し雑談が長くなってしまいましたが、
それでは、そろそろ数学の授業を始めたいと思います。
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参考文献
『心理学教育のための傑作工夫集』(L.T.ベンジャミン・ジュニア)
『ことばと文化』(鈴木孝夫)
『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』(井上ひさし)
『数学する遺伝子』(キース・デブリン)
『数学する本能』(キース・デブリン)
『とんでもなく役に立つ数学』(西成活裕)
『感動する!数学』(桜井進)
『本物の教養』(出口治明)
『面白くて眠れなくなる物理』(左巻健男)
『これが物理学だ!』(ウォルター・ルーウィン)
大学生の頃、初めて便箋7枚ものブログのファンレターをもらった時のことを今でもよく覚えています。自分の文章が誰かの世界を救ったのかととても嬉しかった。その原体験で今もやらせてもらっています。 "優しくて易しい社会科学"を目指して、感動しながら学べるものを作っていきたいです。