見出し画像

#201 やりたいことのヒントは過去にある

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

最近、何人かの後輩と話していて、「今後どういう能力をつけていきたいか?」「どういう自分になっていきたいか?」という話になった時に「特にないんです」と回答があることがありました。

現時点でやりたいことを絶対に持っておくべし!とは思わないし、特にまだ若い世代であれば、自分もそうだったので、まだ具体的なイメージを持てないのも事実だと思います。ただ、本当に「自分はこうなりたい」「こういうことがやりたい」がないのか、何となくはあるけど言語化されていないだけなのか、というのは、大きく違います。特に、後者であれば非常に勿体無い。

前者の場合は、「頭の中でやりたいことを探そう」としているから、見つからないのだと思います。常に順番は、「頭で考えてやりたいことが見つかる→行動する」ではなく「行動する→自分に合うものと合わないものが見つかる」で、「やりたいことを見つけたいけど何もない」と言っている人に限って、行動の絶対量が足りないことは結構多いと感じます。

この記事では、後者の「ぼんやりとあるのだけれど、言語化されていない」というところに対して深掘りしたいと思います。
これが非常に勿体無いと言ったのは、「言語化されていないことが原因で、あらゆるチャンスを見逃している可能性があるから」です。

過去記事でも何らかのチャンスを掴むには「Preparation and Appeal」です!という話をしたのですが、「自分の中でぼんやりとこういうことをやってみたい」ということを他者が理解できる形で言語化しておくことは、まさしく「Preparation」の部分にあたります。

すぐにチャンスが来ることはなくても、「自分はこういうことに興味がある」「こういうことをやってみたい」「こういうことが好きだ」を言語化して、普段から周囲の人に伝えておくことで、そのような話が来たときに、「そういえば、あの人がこういうことに興味があると言っていたな」となり、「やってみる?」という話がくるのです。

今日は、私の場合は、どのように自分の好きなこと、得意なことを見つけたのか、という具体的な話に踏み込んでご紹介します。気付けばいつの間にか200日連続投稿を超えていたので、「自分はこういう人間です」の紹介も兼ねて記していきます。


創作と発表に試行錯誤する小学生

私の小学生時代は、いわゆる「学年で走るのが一番速い子ども」で、一生分のモテ期をこんな序盤で使い果たしてしまいました。笑

4月生まれということのアドバンテージもありましたし、運動会や体育の授業では人より速く走れてしまうので、勝手に自信も付いていたのだと思います。
運動会の応援団長をしたり、卒業式で代表の挨拶をしたりと、色々やってたのですが、一番記憶に残っているのは、放送委員として毎週金曜日に全校生徒向けの給食時間に放送していた漫才です。

当時はテレビの黄金時代でしたから、めちゃイケみたいな番組への憧れもあり、ナイナイの岡村さんに似ている友達と二人で、漫才コンビを結成し、毎週の昼の放送で全校生徒向けに漫才を披露していました。

コンビ名は「伊東ブラザーズ」。友達が「ジェニー伊東」、私は「エスパー伊東」という設定で、お決まりの登場の掛け声も決めて、毎週漫才を続けました。

小学5年生の時で、「(友達)ジェニー伊東です!(私)エスパー伊東です!(二人)伊東ブラザーズ、です!です!です!」という登場の挨拶だったのですが、学校内で有名になり、他学年の生徒も含めて全員に認知されていました。学校の通信簿にも、勉強のことなどにはほぼ触れられず、漫才の話ばかりの評価だったのを今でも覚えています。笑

また、私の小学生時代は、モーニング娘。やSPEEDなどの絶頂期で、次から次にミリオンセラーの作品が登場していました。新曲が登場するたびに、独自にダンスの振り付けと替え歌の歌詞を考えて、できたところでクラスの先生に相談し、クラス全員の前で発表していました。時には、全校生徒の前で発表する機会まで作ってくれて、モー娘。の「恋のダンスサイト」やプッチモニの「ちょこっとLOVE」は、創作ダンスを全校生徒の前で発表したのをよく覚えています。

自分で考えたものを人前で発表し、フィードバックを得て改善していくプロセスが楽しいと感じるようになったのは、小学生時代に築かれたものです。

緩急を覚えた中学生

中学校ではサッカー部に入り、ワントップ(最前線にフォワードを一人配置する布陣)でキャプテンを務めていました。この時に覚えたのは、「力の使い分け」です。

サッカーでは、特にボール捌きなどの技術が優れていたわけではなかったので、自分の得意技が最大限に活きる戦い方をしなければと考えました。
変わらず走るのだけでは速く、兼部していた相撲部(身体は大きくありませんでしたが、サッカーで足腰が強いと評価されて、先生の推薦で大会だけ出ていた)でフィジカルを鍛えていたので、これが活きる戦い方を考えたのです。

そこで、ディフェンスは他の仲間にほぼ任せてしまって、自分は1人フォワードで右サイドに行ったり左サイドに行ったりフラフラとしながら、攻撃体制に入った瞬間に相手の裏に飛び出して一気に攻める戦い方だけを磨きました。

相手のディフェンスは、フラフラくる私にもマークしなければならないのでそれなりに体力を消耗してますが、私は体力温存できているので、攻撃の瞬間に100%の力が出せるんですね。100% vs 100%では負けてしまう相手でも、100% vs 70%くらいであれば優位に立てる。
これをひたすら研究して毎回の試合で点を取り、それまで福井県内で最下位だったサッカー部を最後の1年で県大会出場まで持っていくことができました。

ここで学んだのは、普段は力を抜いておくことで、いざという時に一気に力を出せるようにしておくことです。

チーム創作の面白さを知った高校生

高校1年〜3年まで、クラスで展示を作ったり、体育祭の時に飾る巨大オブジェクトの創作リーダーを担当しました。
高校3年の時には、緑組ということで、校庭に高さ5m、長さ15m程度の巨大カメレオンを作るプロジェクトの責任者として、予算10万円を使ってメンバー30名と一緒に毎日創作に明け暮れました。

工事用の足場を地元の建設会社と交渉して調達したり、予算も限られていたので、必要な具材は、親が自営業をしている友達にお願いして調達したりしました。

別に手先が器用とかデザインのセンスがあるわけではなく、自分としては「みんなで何かを作って、出来上がっていくのが徐々に見えていく感じ」がとてもワクワクしたのを覚えています。いいメンバーが集まっていて、後輩たちともすごくいい雰囲気でプロジェクトを進められました。

この時の記憶が強烈で、その後の就職活動においても、チームで目に見えるものとして徐々に出来上がるのを楽しめる仕事で、次々に違うものを作っていきたいので、プロジェクトベースの仕事がいいと思い、システムエンジニアの今の仕事を選択しています。

現在は、管理職の立場で仕事をしていますが、普段はできるだけ力を抜いておこうとか、チームメンバーとワクワクを作りながら仕事に取り組んでいきたいという価値観は、間違いなく子どもの頃からの延長で形成されたものです。

このように、過去を具体的に振り返り言語化すると、必ず今の選択に繋がる要素が見つかると思います。それを意識しておき、普段から自分はこういう人です、と自己開示するだけで、未来の選択肢も広がっていくはずなので、お時間あれば皆さんもぜひやってみてください!

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,655件

もし面白いと感じていただけましたら、ぜひサポートをお願いします!いただいたサポートで僕も違う記事をサポートして勉強して、より面白いコンテンツを作ってまいります!