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#205 人間の時間は平等ではない

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日は、悲しいかな「人間の時間は平等ではない」という趣旨の話をします。
イーロンマスクさんであれ、孫正義さんであれ、私と同じで1日24時間しかないというのは事実です。
しかし、同じ時間を使って成し遂げられる仕事のインパクトは明らかに異なるので、単純に時間の長さという量的な面からみた時間としては平等ですが、時間あたりの価値という質・濃度に目を向けると明らかに平等ではないのです。

早速ですが、本題に入っていきます。


時間の不平等は、社会資本の大きさがファクター

なぜ「時間あたり価値」が人によって異なるかというと、その人が持っている「社会資本」の量が異なるからですね。

山口周さんが提唱されているキャリア戦略における考え方を引用すると、若い頃に初めは誰でも多く持っている「時間資本」をスジの良い仕事に投入することで「人的資本」すなわち、技能やスキルという資本に形を変える。「人的資本」をスジの良い人間関係や環境に投入することで、「社会資本」すなわち、その人の評判や評価という資本に形を変える。「社会資本」が大きい人が、その社会資本を活かした活動を行うことで「金融資本」すなわち、より大きな収入に変えていけるという考えです。

そのため、この社会資本の大きさが自分よりも大きな人に仕事をお願いする時には、何らかその差を埋めるためにこちらからもGiveするものが必要で、最も分かりやすいのは「お金」です。

例えば、誰かに講演をお願いする時には、単純にその人の物理的な「時間」を使っているというだけでなく、その人が同じ時間を使って違うことに割いていれば生み出せたであろう価値に見合うお金が必要なのであり、だからこそ一般人に講演をお願いする時と、著名人に講演をお願いする時で、講演料の差がないと平等ではないのです。

誰であろうとも一律「○○円」と定額にすることが分かりやすく、一見平等に思えますが、実際はそんなことはない。
「お金」以外で、その差を埋めるものとしては「価値提供」ですね。「お金」もその1つに入ると言えば入るのですが、より狭義な意味で言えば、「労働力」やその人でないとできない「スキル」であったりします。

社会資本がより大きな人は、基本的に暇ではないですから、時間がかかることをその人の代わりにやったり、社会資本が大きな人でもできないことをスキルや専門性の発揮という形で提供する、という価値交換です。

このように、人間の社会資本の大きさと、それが生み出す時間あたりの価値の大きさを考えると、当然そこには差があり、社会資本が異なる人同士で何かを行う時には、基本的にその差を何らかの形で埋めてイーブンになるよう調整されています。

これは、「社内」という小さな世界でも同じで、どうしようもない「オッサン管理職」がいるのも事実ではありますが、基本的に管理職には決裁権があり、職位が上に行くほど、その決裁権は大きくなります。
これも、ベースには「この人に大きな裁量権を持たせた方がより大きな成果を得られるであろう」という組織側からの意図があるわけで、私の1時間と社長の1時間では、その1時間を使って世の中に与えられるインパクトが異なるのです。
私は、私が担当している仕事の中において、私に決裁権が認められている範疇の物事しか方向性の決定・推進ができませんが、社長は、私が担当していない別部署の案件についても方向性の決定・推進ができます。

だから私は、この時間感覚が薄く、平気で他人の時間を奪って来る人は、どうしても信用ができません。皆さんの近くにも、次のような人はいませんか?

他人の時間を平気で奪ってくる人たち

長時間打ち合わせの設定という荒技

何かのプロジェクトを進める上で、関係者がよく協議してより良い方向性を目指していくプロセス自体は必須の営みです。しかし、何かあるとすぐに「とりあえず打ち合わせを設定」みたいな人が多いと感じます。しかも15分や30分ではなく、平気で1時間、2時間と設定されることも。

予めアジェンダや目的が明確になっていて、テーマについて打ち合わせを設定してくる人が考えているのであればいいのですが、そのような人に限って、ほとんど何も決めていないことが多い。

自分の頭では何も考えず、「とりあえずあなたの時間を拘束したから、この時間でこの仕事の方針と進め方を決めてください」と全て丸投げしているのと同じです。
「打ち合わせ」と聞くとマイルドですが、実態としてやっていることはこういうことなのです。他人の人生の時間をどうしてそんなに平気な顔で奪えるのか?と感じてしまいます。

特に、仕事ができる人ほど、多くの案件を抱えているから暇ではありません。
子どもがいたり、介護が必要な親がいる人は、物理的な時間のリミットがある中で、どのようにその日の仕事を終わらせるか、それこそ5分、10分単位で組みながら動いている人ばかりと思います。当たり前ですが、保育園のお迎えの時間は決まっているからです。

そんな人の時間を、平気な顔して奪える人が、信用できるという方が難しい話だと思います。

段取り不足と準備不足

打ち合わせを設定しておきながら、事前準備や段取りが悪い人も多いですね。
打ち合わせが始まってから関連資料を探し始めたり、画面や音声の接続を始めるので、平気で開始5分がただ準備ができるのを待つだけ、になるシーンです。

その人一人が準備をするだけであれば、1人×5分=5分の準備時間で済みますが、人が集まってからモタモタしている場合、仮に6人がそこに参加しているとすると、6人×5分=30分の損失が生まれています。
30分あれば、何かの資料1つ作ったり、事務処理を2〜3つは終えられるし、メール返信も2〜3本は返せるでしょう。

とにかく人を集めて、モタモタ準備して開始5分待たせてしまうことで、これらの本来できた仕事を奪っているという感覚を持たないと、信頼されないのは当たり前だと思います。

打ち合わせの開始時間になって「まだ全員集まってないので、もう少し待ちます」みたいなのも、私はよく分かりません。なぜ時間に集まっていない人側に合わせて、時間前に来た人全員の貴重な数分を奪う必要があるのか。決裁権者がいないから待ちます、は分かるのですが、単純に参加するだけの人を待つ理由はないはずです。

事前に段取りを組んでおらず、当日になっていきなり業務時間後に打ち合わせ設定してこようとする人もいますね。どうしてもやむを得ない緊急案件でなく、単純に段取り不足だなと感じたら、断って帰るようにしています。これに付き合ってしまうと、そういう働き方がチームでも当たり前になってしまうので良くないです。

たっぷり時間をかけるために、時間泥棒と戦う

ここまで書くと、とにかく1分、1秒を無駄にするのが嫌なのだろう、という感想を持たれるかもしれないのですが、そうではありません。

プロジェクトやチーム内のコミュニケーションや雑談など、お互いのことを知ったり信頼関係構築の時間にたっぷりと時間をかけたいのです。また、よく言われる「直近の優先度は低いが、重要度は高い仕事」により多くの時間をかけたいのです。

本当はじっくりと時間をかけてやりたい・やるべきことが沢山あるのに、他人の時間を平気で奪う無頓着な人のせいでそれができないことが、私は嫌なのです。
だから、全ての人間の時間を勝手に平等だと思って行動しているように見える人は、信頼できません。

周囲に時間泥棒がいたら、「ヤバいやつ」の要注意アンテナを立てて、毅然とした態度で応対しましょう。
人生あっという間だと思いますから、より幸福度高い時間を意識的に作り出していきたいですね!

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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