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漢字文化圏の書きことば、特にその「翻訳」をめぐることばと社会との関係をかんがえている院…

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漢字文化圏の書きことば、特にその「翻訳」をめぐることばと社会との関係をかんがえている院生です。 中国留学(オンライン)をきりあげ「帰国」。コロナ禍で滞った執筆活動のリハビリとしてnoteをはじめました。 たまにはきずいたこと、まなんだことなどを共有できたらとかんがえています。

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「この中国の方って男性?女性?」―—性別を名前から判断すること(中国の人編)

今回、性差という繊細な問題をあつかいますが、その良悪や功罪はとわないこととしています。不快におもわれたかたがいらしたらごめんなさい。  中国のかたがたとよく接していることもあり、何度か題名にあるような質問をみみにすることがありました。  そんなわたしは、おりにふれてかんがえていたことがあります。それは、ひとのなまえと性別の関係です。  なまえからみえる性差(男性らしさとか女性らしさとか、社会における、性別にもとづいたみられかた、みかたをさします)の度合といってもいいかも

    • 関羽の諡(おくりな)は長いし、別称もすこぶる多い――「呼び方」から考える「漢字」のもつもの

      はじめに関羽、字(あざな)は雲長、といえば三国志における劉備玄徳の義兄弟ですが、中国史上の偉人としては、日本でも屈指の有名人だと思います。 その関羽ですが、本場中国でも後世かなりの性格づけをされています。それは彼の別称に象徴されます。ざっと挙げると、 関公、関帝、関老爺、関王爺、関帝爺、伽藍神、関護法、恩主公、関夫子、関大帝、関聖大帝、協天大帝、関聖帝君、保佑帝君、蓋天古仏、南天主宰 などの呼び方をされていました。商売の神様(横浜中華街にも関帝廟があります)や、武勇の象

      • 唐通事からみる東京外国語大学と一橋大学

        潁川重寛(えがわ しげひろ、1831-1891)の伝記(六角恒広1999『漢語師家伝 中国語教育の先人たち』東方書店)を読みました。今回は潁川の家業であった唐通事と、明治期に誕生した東京外国語大学および、それを一時期吸収していた一橋大学との関係について少し書いておきたいと思います。 唐通事とは?潁川は長崎唐通事の家系です。江戸時代、長崎に出入りする明人あるいは清人とのやりとりをするために長崎に置かれた役職が唐通事で、いまでいう中国語通訳専門家のことです(オランダに対しては蘭

        • 日下部重太郎の聞き書き――前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)先行研究①

          前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)にかんする先行研究から以下のものをとりあげ、その意義を述べる。 ①日下部重太郎1915「六九 前島男爵」『国語百話』丁未出版社、pp.143-147. 日下部重太郎(1876-1938)は国語国字問題の体系化に積極的にかかわり、常用漢字の選定にも寄与した国語学者であり、『現代国語』『国語思潮』などの著書がある。 日下部は1903(明治36)年に小石川の前島密宅を訪ね、そのときの前島による回想を聞き書きした。本件に関わる部分を以

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        「この中国の方って男性?女性?」―—性別を名前から判断すること(中国の人編)

        • 関羽の諡(おくりな)は長いし、別称もすこぶる多い――「呼び方」から考える「漢字」のもつもの

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        • 日下部重太郎の聞き書き――前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)先行研究①

          ことばの変化について――田中克彦「恥の日本語」(『国やぶれてもことばあり』新泉社、2018年所収)箚記

          「ら抜きことば」をめぐって「恥の日本語」(初出は『展望』1976年9月、筑摩書房)という論考を読んでいて、気になる記述があった。 要点を述べると、 ・「れる」「られる」が自動詞につく場合、尊敬と可能の用法がある ・「られる」がつく場合(“来られる”、”見られる”など)、どちらの意味にも取れる場合がある ・その「区別」のために、「来れる」を可能、「来られる」を尊敬として用法を分化させる智慧が働く ・分化は進化ではないが、有用である ということだ。 これは、いわゆる「ら抜

          ことばの変化について――田中克彦「恥の日本語」(『国やぶれてもことばあり』新泉社、2018年所収)箚記

          前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)先行研究一覧

          以下、前島密の漢字廃止にかんする先行研究一覧を掲げる。 ①日下部重太郎1915「六九 前島男爵」『国語百談』丁未出版社、pp.143-147. ②日下部重太郎1933「第二明治時代初期篇・三 前島密男爵の直話及び建白文」『現代国語思潮』中文館書店、pp.58-60. ③山本正秀1965「第2章 前島密の言文一致創唱」『近代文体発生の史的研究』岩波書店. ④野口武彦1994「 第六章 言文一致と人称」『三人称の発見まで』筑摩書房. ⑤イ・ヨンスク1996『「国語」とい

          前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)先行研究一覧

          前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)本文について

           前回は序文について検討したので、今回は本文についての検討である。山本正秀の解説は、この建議の書誌的問題について多くを割いているが、すでに論文化されているので今回は取り上げず、あくまで建議内容の整理と紹介者自身の持論の披瀝を目的とする。 漢学教育批判 従来の漢学中心の教育を批判し、西洋のような音素語の導入と、普通教育を整備することが、前島のこの建議における主張である。  まず前島は一通りその主張を展開したのち、事例として「ウヰリアム」という宣教師の清国での滞在経験を紹介し

          前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)本文について

          前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)小西信八、前島各序について

           前島密のいわゆる「漢字廃止の議」について取り上げる。漢字廃止論、言文一致論その他おおくの後続運動がその始祖として引用するものであり、影響も甚大である。語りつくすのにどのくらいの記事を書くか見通しも立たないが、今回はその各種序文について。 小西信八序について 冒頭に小西信八(こにし のぶはち、1854-1938)による明治32(1899)年の序がある(総かながき、わかちがき)。小西は前島の郷里の後輩であり、かつ聾唖(きくこととはなすことがむずかしいこと)教育の発展に寄与した

          前島来輔「漢字御廃止之議」(慶応2年12月)小西信八、前島各序について

          山本正秀『近代文体形成史料集成 発生篇』(1978年、桜楓社):「序」についての覚書

          山本正秀(1907-1980)は日本の言文一致研究、およそ近代文体の研究において避けては通れない先駆者である。茨城大や専修大で数多くの基礎的研究を残した。 私は院の先生に早く読むよう促されていたものの、なんせ山本の著作は手に入りにくい。最も手に入りやすい『近代文体発生の史的研究』 (岩波書店、1965年)と『言文一致の歴史論考』 (桜楓社、1971)しか読めておらず、晩年のこの「資料集」には手を出していなかった。 そうこうしているうちに、桜楓社が倒産してしまったという情報

          山本正秀『近代文体形成史料集成 発生篇』(1978年、桜楓社):「序」についての覚書