財布2

     日記より27-20「財布」2         H夕闇
           三月二十一日(木曜日)曇り(続き)
 金銭に代え難い貴重品を危(あやう)く失い掛(か)けたこと、その上その事実を忘れてさえいたことを、僕は改めて思い知らされた。大切な思い出も、時の重みに流れ去る。そうして過去は失われ行く。軈(やが)て僕の人生その物も同様になるだろう。そうした冷たい認識が、暫(しば)し僕を自失させた。                          
 又、依然「そんな筈ない。」という気分は抜けず、混乱し、半ば呆然(ぼうぜん)と僕は会計課の窓口を辞した。只、(電話番号を聞いて僕が直接に謝意を述べることは出来ないまでも、)財布が持ち主へ返された事実を係り員から拾い主へ報告する電話の際に、くれぐれも感謝を伝えてくれるよう頼むことは、辛(かろ)うじて忘れなかった。

 警察からの帰路、僕は散歩コースのN公園へ回った。そこには運動器具の一画が有って、この公園へ来た時は必ず利用する習いだ。だが、近頃は凩(こがらし)や杉花粉を恐れて暫(しば)らく御不沙汰(ぶざた)しているので、腹筋運動も少々自信が無い。でも、実際やって見ると、自(みずか)ら課している五十回のノルマが難なく果たせた。妙に身が軽く感じられた。
 「案ずるより産むが易(やす)し」と言うのは多分このことだ。合わせて、昨今「渡る世間は鬼ばかり」という諺(ことわざ)が産まれたようだが、「渡る世間に鬼は無い」という古い言い習わしの方へ軍配を上げたい気分になっていた。呆然自失のトンネルを抜け出たら、そこに青空が拡がっていた。その爽(さわ)やかな空に向かって(腹筋ベンチに寝転んだ姿勢から)上半身を上下する動きが、軽やかで快(こころよ)かった。力が満ちて来た。
 性悪説と鬩(せめ)ぎ合い、拮抗(きっこう)し葛藤(かっとう)する中、人を信じ世を信じたい気持ちが頭一つだけ抜け出したようだ。だが、僕の旅は未だ終わらない。いつか死の床で孫たちへ善悪いずれを語り伝えるか、未だ答えは決まっていない。
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           三月二十三日(土曜日)曇り後に雨
 今は杉本苑子作「月宮の人」下巻を読んでいる。天下に手が届きつつ有(あ)った織田信長の姪(めい)として戦国乱世に生を受けた三姉妹。運命に翻弄され乍(なが)ら生きる姿は、僕に重い問いを投げ掛(か)けて来る。人生の岐路(きろ)に立ち蹉跌(さてつ)も懸念される子や孫たちと、二重写しになって、愛(いと)おしい。
 なぜ人は生きるのか。何の為(ため)に僕らは産まれたのか。人生は生きるに値するのか。人間とは何か。幸福とは何か。それを人は望んで良いのか。望めるか。どうして苦しい思いをしてまで生き続けなければ成(な)らないのか。本当に自殺しては成らないのか。不幸なら、初めから産まれない方が良いか。そして神は有るかと。
 死んだのでもなく、初めから無いのだ。そんな物は絵空事に過ぎない、人間社会に秩序と安寧を齎(もたら)す為(ため)の作業仮説に過ぎない、と腹を決めた時、産まれてしまった各人が自(みずか)ら生きる意味を作り出せば良いと考えた。では、この僕は一体(いったい)どんな価値を人生に産み出せようか。それが一向(いっこう)に定まらない。それ以前に、生の場である世界を位置づけることも未(いま)だ出来ていない。この世を慈(いつく)しみ、人は信じるに足るかと。
 いつか(そう遠くない将来)不慮の事故にでも合わない限り、僕は死の床に有って、その結論を遺族へ語り伝える日が来るかも知(し)れない。その時までに答案は見(み)出(いだ)せるのか。見付かるとしても、いつか、いつか、と身構えて待った生涯最後の一大イベントを目の前に控(ひか)えて、僕は平常心を保てまい。思いもせぬ戯事(たわごと)をウッカリ辞世に口走る恐れも有る。
 ならば、今の内から、落ち着いて、遺言を小出しに書き残して置く方が良い。幼い孫たちが生きる為の糧(かて)、とまでは云(い)えないまでも、せめて生きる知恵を、その手掛かりなりと、書き残してやりたい。命と云(い)う苦難を運命づけられてしまった気の毒な者たちへ(多少なりと、)知的な遺産を残して置きたい。生きている間に、語り伝える程の意義ある道標を、僕が学び蓄えることが出来るか。又それを(出来るだけ小作りな一冊に纏(まと)めて)旨(うま)く書き伝えることが出来るか。懸案は山積するが、出来る限りの努力を試(こころ)みよう。
 そんなギリギリの所を、この日記に僕は書き貯めたい。書かずには居(い)られない大切な事柄、それを伝えないでは一生が徒労に帰してしまうような記録、(云(い)わば、)僕の生きた証(あか)しを残したい。
 そして、(子孫だけでなく、)もしやEネット上のブログで垣間見(かいまみ)る機会が有って、教え子たちへも届いたら、幸甚である。昔プリントにして藁半紙(わらばんし)を教室で配った日記のように。
 嘗(かつ)て僕は文筆に志(こころざ)した。見果てぬ夢が捨て切れず、今こんな形になっている。この書くことが、僕の生きる目的となっているのかも知(し)れない。一時は子を無事に育て上げることが当面の目標だったが、漸(ようや)く皆(曲がりなりにも、)自立した。今度は孫たちの為に書き残そう。
 とは言え、本にもならず、教え子の目にも留まらず、軈(やが)てはUSBメモリーの侭(まま)で朽ち失われる運命なのかも知(し)れない。だが、又それも仕方が無い。僕の遺文など足元にも及ばない膨大な文化遺産が、日の目を見ずに、永い歴史の中で地の底へ埋もれて来た筈(はず)だ。
 僕の場合いも、それなら、それで良い。書く段階で、既に僕自身は充分に幸せな夢を見ることが出来たのだから。足るを知るのが、幸せの秘訣、最初の一歩である。
 一方、せめて生き残った氷山の一角だけでも、僕らは読み継がなければ、損(そん)である。時間の許す限り、文学や歴史や哲学を享受しよう。そして、浅井三姉妹の思いも、僕の胸に蘇(よみがえ)らせよう。例えば、財布を届けてくれた匿名氏が、見ず知らずの人間の生活まで思い遣(や)ってくれたように。
(日記より、続く)

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