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いまのこと(ここに来た意味を再認識したらビザが発給された話)


*実は先週から体調を崩してしまい、熱やのど、鼻水でダウンしていたのですが、やっと回復してきたのでnote再開です。(目標毎週更新)*



やっとビザが発給された連絡が日本の南アフリカ大使館から来た。

申請してから約100日。夫の周りにいるビザ申請中の日本人と比べたら早いほうなんじゃないかというかんじらしい。
確認中だけど、11月に一度帰国して12月にケープタウンに戻るときには、正式に長期滞在ビザを持って入国できる。

観光ビザで入って約3週間が経過した。
かたち上はただの「観光者」。
でも先々週末に夫とダーバンという都市に行ってから私の中で変化と気づきがあり、またケープタウンに戻ってきてからも変化と気づきがあり、そんなときに届いたビザ。


まだ手元にはないけれど、この"mother city"に少しだけ受け入れてもらった気がしている。


ダーバンでのこと

先々週末に南アフリカの東南部にあるダーバン(Durban)という都市に2泊3日のshort tripに行ってきた。目的は観光ではなく、Comrades marathonという90kmのウルトラマラソンに夫が参加するため私も同行した。

“the world’s oldest and largest ultramarathon”という歴史がある大会。
南アフリカのランナーにとっては、Comradesで走ったことが一つのステータスとなる。

この大会があるから、まだ長期滞在ビザが手元になかったけれどひとまず観光ビザでケープタウンに入ったという背景があるくらい重要な週末だった。

夫以外にもケープタウンにいる日本人2名の方も一緒に参加した。ケープタウンに来てから夫以外の日本人と接触していなかったので(街中にもショッピングモールにも日本人というかアジア人はほぼいない)、久しぶりに夫以外の日本人と日本語で会話するのが新鮮だった。とても良い方たち。1人は夫と同じように駐在で来ている日系企業の現地トップの方。もう1人はケープタウンに住んでいて同じくらいの歳の方。

夫もそうだけど、やはり海外で働いている・住んでいる日本人はストイックだしパワフルで柔軟性がある。生きていくパワーがある。
でも、こんなに走ることができるストイックな人たちと会ったのははじめて。

Comrades自体のことは夫がnoteに記事を書いていますので、良かったらどうぞ見てみて下さい:) ウルトラマラソンを走るランナーの状況や心情が書かれています。


ダーバンは正直ケープタウンよりも治安が良くなく、貧しい雰囲気があった。建物や街の感じ、匂いも。交差点にいる浮浪者や物乞いはダーバンでは子供もいた。(ケープタウンでも日常的に見かけるけれど子供はあまり見かけない。)
Instagramでダーバンの街の動画postしているので、良かったら見て下さい:)




一方で、Comradesのregistration会場にレースの前日に行ったら、明らかに日々トレーニングしているであろうランナーたちがたくさんいた。やはりアフリカのDNAを持つランナーたちは身体が大きいし、筋肉がすごいし、足が長く脚力もある。何といってもバネがある脚力。このバネで走ったらそりゃ速いよ、と思う。プロのランナーがどのくらいいたのかは分からないけれど、みんながみんな強そうだった。そして、みんながみんなこのComradesを走ることにワクワクしていて、エネルギーレベルが高くて高揚感がすごかった。
ランナーもそうだし、飲食店やUBERの運転手も、「Comrades走るのかい?」とみんな聞いてくる。そして完走できるよう祈っているよと応援してくれる。地元で大きなお祭りがあるときのテンションのようだった。



間違いなくあの2日間のダーバンは、世界で一番エネルギーがある街だったと思う。

そんな中で90kmのマラソンに挑戦する夫はとてもたくましく見えた。距離自体もそうだけど、海外の地で、自分より明らかにガタイの良いランナーたちの中でスタートを待っている夫のとなりにいたときに、この人すごいなと率直に思った。同時に、自分が走るわけではないのに緊張感と高揚感が沸き上がってきて、自分も高校時代に陸上をやっていたことを思い出した。


楽しみな気持ちと、自分を信じる気持ちと、でも不安になる気持ち。



スタートを見送ってUBERで宿泊先に戻る途中、運転手のお姉さんがvideo撮るといいよって言ってくれて、ランナーが走っている道の横をわざわざ選んで通ってくれた。山の上から下っていく道を、トップ集団はあっとゆうま駆け抜けていく。



何のために、みんなこんな長距離を走るんだろう。
苦しさ、辛さしかないのに。



高校時代に陸部で走りまくっていた私はそんなことを思った。


走るランナーを横目で見ながら、UBERのお姉さんが「私も来年のComradesに参加するの。だからこれからトレーニングを開始するの」と張り切っていた。


宿泊先に戻り、TVでComradesの中継をずっとやっていたので見ていた。一息ついていたら、トップのランナーがあっという間にゴールのスタジアムに入ってきた。世界レベルじゃないかってくらい速かった。90kmの距離なのに、1km換算で3分台のスピード。世界選手権をやっているくらいのスタジオの盛り上がり。
そして、夫がゴールする時間帯の2時間前に、私もスタジアムに向かった。

スタジアムはTVで見るより盛り上がっていて、ランナーがスタジアムに入ってくるたびにみんなすごい歓声で盛り上がっていた。国、人種関係なく、スタジアム全体がゴール直前のランナーを応援する。


”keep going, keep going! ”



スタジアムに入るまではアスファルトの道だったランナーが人工芝(だと思う)の道に入った途端、足に力が入らなくなって倒れこんで立てなくなる場面を何回か見た。人の手を借りたらその場で失格になってしまう。だから自力で立つ必要がある。生まれたての小鹿のような状態になりながらも、みんな最後の力を絞って、ゴールまで進んでいた。「一歩一歩」という言葉がこんなに当てはまる場面に出会ったことはないであろう光景だった。


90km走って疲れのピークはとうに超えているはずなのに、ゴール目前のランナーの顔はとってもキラキラしていた。

"達成感"

この言葉に尽きる顔をしていた。
みんな笑顔でガッツポーズをしたり、泣きながら走ったり。本当に良い顔をしていた。


私はいままで中学バスケ部・高校陸上部で、当時かなり自分を追い込んできたから、スポーツで人の頑張りを見て感動して泣いたことがあまりない。いまはヨガをしているから、自分を追い込む、自分と闘うというものは遠いところに置いている。もしかしたら他の人から見たらストイックにヨガの練習をしているのかもしれないけれど、私的には部活のような追い込みは全くない。


そんないまの私が人が走る姿を見て、自分でもびっくりするくらいわんわん泣いた。スタジアムの観客席の一番前で、夫のゴールを待っている間に涙が止まらなかった。こんなに感動したのはいつぶりだろうってくらい。なんか一番前でアジア人めっちゃ泣いてんな、と、となりにいた人に思われていただろう。

"Yes, I did it! I'm proud of me! "


ランナーのキラキラした顔からそんな言葉を感じた。


誰かと競うわけでもなく、ただただ自分の目標と闘うこと。
それが走る目的なんだと感じた。


走っていれば、自分の弱い部分がどんどん出てくる。それと向き合う。そして乗り越えていく。一歩一歩。
乗り越えた先にある自分の感情や見える世界を、ランナーたちは知っている。
だから、走る。
きっと、そういうことなんだろうと思った。


ダーバンに来て、走るランナーを見て、ここに来て自分がそんなことを感じている意味を受け取っていた。


キラキラしたランナーの笑顔に感動していたら、夫がスタジアムに入ってきた。苦しそうだったけど、最後の力を振り絞って一生懸命走っていた。ゴール後合流した夫は、脚がガクガクしていて唇が青くなって、寒いと言っていた。銀色のシートを探したけどなくて、次回は絶対持参しようと思う。怪我なく無事に完走できて、本当に良かった。


ケープタウンに戻って

ケープタウンに帰ってきたときに、ダーバンに比べて都会的な街のかんじと、治安の質の違いに少し安心した。
ここがいまの私のホーム。

普段の日常に戻って、夫はまた次のレースのためのトレーニングを開始し、私はヨガスタジオに定期的に通い始めた。
近所に素敵なスタジオがあって嬉しい。


クラスが始まる前、各々の時間を過ごす。ストレッチする人、ポーズの練習をする人、meditationする人。誰も他の人と話さずに自分の世界に入る。このスタジオではクラスにスマホを持ち込んではいけないルールになっている。とにかく集中できる環境にしている。
クラス中も、インストラクターが言ったシークエンスをやらずに自分がしたいポーズをする人もいる。



「自分の時間、自分の練習」


国、場所関係なく、自分の時間を過ごし、自分の練習をするヨガは、ランニングと同じかもしれない。

私は日本で色々なヨガの流派を少しずつやってきたので、海外のどんなヨガスタジオにも臆することなく行ける。


言語が違えど、マットの上にいる自分の存在はどこにいても変わらない。
そのときに自分に必要な練習をするのみ。
そんなことを感じながら週3回ヨガスタジオに通う。



この2週間で特に感じた、
「自分に集中して生きる」ということ。

もちろん日本にいるときもそんなことを感じていたけれど、やっぱり色々な場面でどうしても「他の人」や「他のグループ、集まり」と比べてしまうことがあった。
幼少期からそう教育されてきたから、ある意味日本に根付いた文化だし仕方ないのだけど、本当に観るべき対象は「自分」だということを改めて意識付けられる。



「どういう自分でありたいか?」


こんなことをよく日本でも考える機会はあったけれど、ケープタウンに来てからそれをもっとリアルに、もっと根っこのほうから考えさせられている気がする。
日本人がケープタウンで暮らすこと自体が超マリノリティだから、自ずとそういう環境になっている。

本当の意味でこの「最愛のパートナーと海外で暮らす」という夢を自分のものにして、日本に本帰国するまでに根っこから進化した自分になりたいと思うし、夫とケープタウンがそういう機会を与えてくれている気がしている。


南アフリカケープタウンに自分が来た意味。
こんなことを感じていた時に、(冒頭に戻るが)ビザ発給の連絡。




神様はいつだって見守ってくれている。


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