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“クリエイティブ勢”の傲慢と失敗

同じ言葉でも「誰が言ったか」で印象が格段に変わることがある。重みが違うのだ。

例えば、「音楽に力はない」という意見は、一流の音楽家と私が発したものだと説得力がまるで違う。一流の人が発する本質を目の前に、素人はうなずくことしかできない。

東浩紀さんの最新作『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』は、まさに「この人に言われてしまったら、もう反論できない」と思わされる一冊だった。

"クリエイティブ勢"

本書は、哲学者として第一線を走ってきた東浩紀さんが、2010年に自身の会社「ゲンロン」を立ち上げ、失敗を繰り返しながら創業10年を迎えるまでの話が綴られている。

記事のタイトルに"クリエイティブ勢"という単語を持ってきてしまったが、これは本書を読んで私の頭に浮かんだもので、東さんはこの言葉を使っていない(ので、不本意な解釈かもしれない)。ここで言う"クリエイティブ勢"は、広告とかアート、音楽や映像といった「クリエイティブ業界」で働く人だけではなく、もっと広い「何かを作る側」とか「プレイヤー側」とかを自認するタイプの人たちのことだ。

東浩紀という人は、批評家であり哲学家であり、作家でもある。私の目から見ると、時代を牽引する「一流のクリエイティブ勢の人」だ。

一流のクリエイターは何を失敗してきたのか?

東さんの実績は凄まじく、東京大学の学部生時代に雑誌『批評空間』でデビュー。初の単行本『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』は、1999年サントリー学芸賞受賞。31歳で慶應義塾大学で教鞭をとり始め、その後複数の大学で勤務。アカデミックな世界で働きながら、アニメやゲームの批評でも名を馳せていた。2010年には、初めて書いた小説『クォンタム・ファミリーズ』は三島由紀夫賞を受賞するなど、知的世界の中心人物だった。

私も東さんの批評に魅了された一人だ。18歳の頃に著書『動物化するポストモダン』を初めて読んで、人生が変わってしまったぐらい影響を受けた。オタクカルチャーと社会時評が明快に解説された批評は、それまで読んできたどの文章よりも刺激的で、世界の解像度をあげてくれた存在だった。無味乾燥とした友達とのくだらない会話に嫌気がさしていた18歳にとって、この一冊から開けた世界は、心の拠り所となっていたようにも思う。

その後、Twitterの流行と共に東浩紀という人を見る機会も増えた。何人かの男友達は、東さんに耽溺して同人活動などを行っていた。東さんは彼らを可愛がっているように見えたし、私が通う大学でも授業を持っていた。煌びやかな経歴を持ちながらも、どこか身近。そういうカリスマ性を持った一流プレイヤーが東浩紀という人だ。

「ゲンロン」は、そんな天才が2010年に立ち上げた企業だ。会員から月額の固定収入、雑誌の売上、ゲンロンカフェでのイベント、そして有料配信から得る収益。出版やイベントといった既存のビジネスと、ネット上で生まれる新しいビジネスの両方を実践していた。

その経営は『ゲンロン戦記』によると、かなりギリギリだったようだ。資金の持ち逃げに放漫経営。知的な世界で成功を収めてきた東さんは、本書で何度も「僕はバカだった」「失敗しました」と繰り返す。

天才は何を失敗してきたのか?

「事務はしょせん補助」

本書には実にたくさんの失敗談が紹介されるが、印象的だったものを2つ挙げよう。そのひとつが「事務仕事の軽視」だ。

ゲンロンの立ち上げに際し、東さんはこのような方針で経営を始めた。

ゲンロン創業のころは、また創業後もしばらくのあいだは、ゲンロンは「コンテンツをつくる人間だけが集まる組織であるべきだ、経理や総務のような面倒な部分はすべて外注で賄うべきだ」と思っていました。
──『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』

何かを生み出す仕事は「その人でないとダメ」というイメージが強い。創作とは、才能やセンス、経験などが必要で個々人に委ねられる部分が大きいからだろう。一方、前線に立つ華やかな社員を支えるバックオフィスの仕事は「代わりが効く」と思いがちだ。

経費精算を後回しにして経理担当者に怒られるとき、私は無意識にこういう意識が自分の中にあることを感じる。傲慢極まりないが「もっと優先すべき”作る仕事”をしてるのだから、甘く見て欲しい」というような。

事務仕事の認識に関して、東さんはこのように述懐する。

研究成果でも作品でもなんでもいいですが、「商品」は事務がしっかりしないと生み出せません。研究者やクリエイターだけが重要で事務はしょせん補助だというような発想は、結果的に手痛いしっぺ返しを食らうことになります。
──『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』

しっぺ返しとは何か。『ゲンロン戦記』には、痛々しいほどのそれが書かれている。例えば自身は雑誌づくりに専念するために、通帳もハンコもすべて社員に預けてしまう。その社員に会社の資金を使い込まれ、弁護士に相談のうえお金を取り立てる羽目になった。他には、クオリティにこだわりすぎて結果的に赤字になる制作物を作ってしまったり、スタッフに役に立たない謎の設備の契約をされ、経営度外視でアルバイトを増員されたり……枚挙にいとまがない。

労力をかければかけるほどよいものはできるはずだ。作り手は、モノを作っていることが本分だ。そんな話はリアルでもツイッターでもよく耳にする。けれども、クリエイティブ勢の「幻想」が「事務」とか「現実」「数字」を霞ませ、会社を傾けていった。例えば、2012年に上梓した『日本2.0』を「じつに不幸な本」と振り返る。

いつのまにかコストが跳ね上がり、印刷費だけでなんと1000万円を超えてしまいました。(中略)最終的にまあまあの売り上げにはなるのですが、初版も捌けずに大量の在庫を抱えることになります。(中略)のち2014年に経費圧縮のため倉庫在庫を整理するとき、「体積としてもっとも大きいので保管費用が高い」という理由から当時のスタッフの判断で容赦なく何千冊も断裁されてしまいました。
──『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』

プレイヤーを自負する人の中では「数字ばかりを追いかけていては質が担保できなくなる」「拝金主義に傾きたくない」というような話を聞くが、「良いものを作っていれば採算はとれるはずだ」というのは戯言でしかない。

急遽給与が支払えなくなって貯金を崩したこともありましたし、知りあいに頭を下げてお金を借りたこともありました。
──『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』

表舞台に立ちつつ、その裏で領収書を集めてはファイルを整理していた東さんの発言からは、痛々しいほどに伝わってくる。

スタープレイヤーは万能ではない

東さんの失敗や反省は、ほとんどが「人事」のミスに帰着する。ゲンロンは、友人たちとの会話から始まった組織で、当初から「仲間を集めたい」という動機で始めたものだった。東さんは組織を強めるためには「ぼくみたいなやつ」を増やそうと考えていたという。これが2つめの失敗だ。

ゲンロンを支えている社員は、東さんの他に優秀な社員もいたが、彼らは"大切な理解者だけれど、けっして「ぼくみたいなやつ」ではない"とし、「ぼくみたいなやつ」を探しては失敗し重ねていたという。

確かに、強力なスタープレイヤーは求心力となる。切磋琢磨し合う仲間と共に、組織をグロースさせていく……ドラマにでもありそうなストーリーは、残念ながら非現実的だ。

彼らは仲間にはなりたい。でも仲間になりたいだけだから、ゲンロンを支えてくれるとは限らない。むしろろかき回し壊してしまう。
──『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』

これは自分もメディアの立ち上げに参画した際に、似たような惨事を目撃したことがあった。スタープレイヤー的な作り手を急速に集めた結果、組織に歪みが生まれてしまった。こだわりや意思が強く出るスタープレイヤーは、ゲーム上で確かに戦力とはなるものの、「個」を優先することがあり、チームの足並みを乱してしまうのだ。

「個」では収まらない大きな仕事をやるために組織が作られたのに、強い「個」を寄せ集めただけでは闘争が起きるだけだった。その先にあるのは瓦解しかない。

「ぼくみたいなやつ」。強い個こそが組織を良くするというのも幻想だった。東さんはこの10年で、多くの辛酸を嘗めながらそれを理解していったという。

幻想の果てに

『ゲンロン戦記』は、天才哲学者が七転八倒しながら社会で生き抜く術を見つけていく話だ。東さんは、若いうちから評価され、それゆえに自身では「まともな社会人経験を経ないまま、若くして有名になってしまい」「偉そうな態度で社会と向き合ってきた」と述べているが、彼と同じような失敗をしている人は多いと思う。「任せる」ことと「目を逸らす」ことは違う。東さんの失敗は、とても普遍的なのだ。

倒産の足音が聞こえたり、解散の危機を迎えたり、紆余曲折という言葉では括れないほど激動の10年を切り抜けたゲンロン。東さんは幾度となく訪れる危機をなんとか乗り越え、考え方が変わっていったという。

「ぼくみたいなやつ」はどこにもいない。ぼくと同じように、同じ関わりかたでゲンロンをやってくれるひとはいない。けれども、だからこそゲンロンは続けることができる。これからのゲンロンは「ぼくみたいじゃないやつ」が支えていく。ぼくはそのなかでひとりで哲学を続ければいい。ひとりでいい。ひとりだからこそできる。
──『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』

「ぼくみたいなやつ」を集めた先にあるのは、ホモソーシャルだ。多様性だとか、違った誰かとふいに生まれる奇跡的なひらめきからはどんどん遠くなっていく。そして何より、組織がもたない。

組織と個。創造的な仕事と事務仕事。働いている誰もが考えることだ。

ビジネス書には、一流企業出身のコンサルタントによるノウハウが書かれているかもしれない。でも、なんとなく胡散臭くて響かない。哲学書には学者による深い洞察が書かれているかもしれない。でも、現場から遠く離れた環境で描かれた話でどこか空虚だ。

一方で、本書には具体的な失敗例と(名前は伏せられているが)関係者が書かれている。これは、精神をかなり摩耗する作業だと思う。相手の尊厳を守りながら失敗を書き綴るのは、筆力も胆力も要する。登場する人の生活を揺るがしてしまうかもしれない、訴えられるかもしれない、攻撃されるかもしれない。被害者でもなく、加害者でもないフラットな温度でファクトを並べつつ、慎重に紡がれる言葉は実に真摯だ。『ゲンロン戦記』には、実際に現場で血を流した人にしか生み出せない哲学が詰まっている。

これまで、何かを創造することは一部の特権階級だけに許された行為だった。しかし、インターネットの普及に伴い"クリエイティブ勢"になるハードルはかつてないほどに下がっている。もちろん私もその一人だ。文章でもコードでもアートワークでも、白紙から何かを作るとき、理想や矜持が宿るのは自然なことだと思う。けれども、そこに甘えてはいけない。もしそれを「趣味」ではなく「仕事」にするならば、理想をつきつめるだけでは駄目なのだ。

さて、確定申告に取り掛かるとしよう。

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