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経験は積めば積むほどいいけど、選択の根拠のしてはいけない

こんにちは。今日も遅めの更新です。
今朝もはよから、パルクールで身体をいじめてきた西岡です。
肩がパンパンですw

今日は、何か分岐点や迷いがあった時の判断において、「経験」は力になるのか、障壁になるのかという話です。
多くの経験をしている人は、人としての深みが出てきたり、器が大きく成ったりしますが、判断の根拠としては危険がたくさん潜んでいると思います。

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経験に固執した選択は可能性を狭める
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人は知ってることしか知らない。当たり前ですよね。
でも「経験したことしかできない」は違います。
知ってることしか「知ることできない」わけでもないです。
つまり、経験は今の自分を作っている構成要素の一つだけど、その経験を生かしても、経験の範囲を超えたことをしていかないと可能性は広がりません。

違う角度から話します。
出会ったことのない食べ物と直面したとします。でも見た目は美味しそうではない。これを食べるかどうか。。。というとき。
「美味しそうではない」という感情は経験から来ています。
何にも食べたことのない人が仮にいるなら、初めて食べるものに対して美味しそうとか、マズそうとか思いません。
このとき、本当はこの世のものとは思えないほど美味しいかもしれないものを経験に基づいた感情によって取り逃がす可能性があります。

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判断においては恐怖と慢心を生むだけ
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過去に転んだことがあるから三輪車には乗りたくない。あそこの犬を撫でようとしたら吠えられたから犬が苦手になった。数学の授業で恥ずかしい思いをしてから数学アレルギーに。前は余裕でできたから余裕でしょ。失敗したことないから大丈夫。。。すべて経験の仕業です。

論調的に「経験」を否定するような文章ですが、ここには心得ておかなければいけないことがあるからなんです。

それは、
経験は血となり、肉となった時点で消化されるべき。
ということ。

冒頭にも書きましたが、経験は人を大きく成長させます。
「今」という時間軸の中で、人に大きなエネルギーを与えるのが経験。
そして、「過去」として経験が存在していることが誇りだったり、地震につながったりする。ところが「未来」という時間軸には経験は無力なんじゃないかなと思ったのがこの記事を書いたきっかけです。

未来を見据えた時に、分岐点に立って考えるとき、、、
その分岐点まで行けたのは間違いなく「経験のおかげ」です。
でもその分岐点で決断することは経験に縛られてはいけない。

過去の失敗は、恐怖を生み、過去の成功は、慢心を生む「だけ」だからです。

そして、身の丈以上の未来を描こうと思えば経験よりも、新しい経験を詰めるかどうかで考えた方が良い。過去は失敗したけど成功するかもしれない。過去は成功したけど失敗するかもしれない。あの人は失敗したけど、僕は成功するかもしれない。過去と未来で同じ結果になるわけないし、人によっても結果は絶対違う可能性の方が高い。

星野仙一さんが昔、「迷ったら進め」とよくおっしゃていました。これは経験ではなく、直感を信じろという意味だったのかなと思います。ずっと自分の中で強く残っている言葉です。

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たくさん経験してしがみつかない
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経験は積めば積むほどいいし、たくさん頭を使って経験するべきだと思います。

でも経験は財産ではない。あくまで、過去に食べた食べ物と同じように自分の血となり、肉となったものです。

なので、経験にしがみつくのではなく、新たな経験をむさぼり食うようなイメージで、新しい経験をめざしていけば、さらに成長するし、可能性は広がる一方だと思います。

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