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好きはいえるけど、愛してるはいえない

「恋と愛の違いってなんだろう」
悶々とする思考はこの一言から始まった。

考えても決して答えの出ないことがわかり切ったその問を、またしても私は考えることになっている。
こういうことを考えるタイミングって誰しも訪れるものだと私は思う。
そしてそういうタイミングは、何度もやってくるものだ。

恋が始まるとき、終わるとき、何もないとき、ふとしたとき、答えのないものに仮の答えを貼り付ける。
時間が経ってその仮の答えを2重線で消して、また新しい答えを書いて。
そんな風に。

愛と恋

愛は、お互いへ矢印が向いている状態。
恋は、二人で同じ方向に向かって歩いている状態。
と私は定義してきた。

恋というと、学生時代を思い出す。
小さいことにときめいたり、ドキドキしたりする、そういう一瞬一瞬に恋してる感を感じていた。
きゅん、というやつだ。
どちらかというと、自己満足の感情のように思う。
嫉妬や妬み、自分を好きになってほしい、そういう胸を焦がす熱や衝動が恋の感情。色に例えるとビビッドピンク。赤よりのピンク。

愛は、相手を幸せにしたいという気持ち。笑顔にしたいという気持ち。対象が自分でなく、相手にあるものが愛のように思う。
相手中心の考え方。使う言葉は、好きや可愛い、かっこいい、そういう言葉かもしれないが、相手中心では滲み出る色合いが異なる。
色に例えるとタンジェリンオレンジ。オレンジがかった赤。

恋と愛は私の中では完全に別の感情として考えていた。と、いうものの色でいうと全く別方向にあるからだったりする(そんなこと?
カラーホイールで見ると、赤を中心にしてピンクとオレンジは逆方向にある。

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だから、恋→愛はグラデーションのように移り変わっていくものだと思っていた。
自分本位だった恋の感情が、いつからか他人を慈しむ愛に変わっていくのだ。

けれど最近そういうことでもないのかも、と自分の答えに疑問を持ち始めた。

結婚破局

つい3か月前。
結婚しようと約束していた彼と別れた。
親に挨拶をしに行ったりもしたのだが、やっぱりそれでも続けることは出来なかった。

この時私はマリッジブルーを起こしていたように思う。
不安だった。
「この人、本当に私と結婚して大丈夫?」と常に思っていた。
自分が相手を幸せにできる自信が欠片もなかった。私じゃない別の女の人の方がいいのでは?という思考が頭の隅にこびりついて取れなくなった。

その頃、彼の親が急性病になり余命宣告を受けた。彼の生活パターンも変化していく。
私は、身近な誰かを亡くした経験を持たなかった。自分の親ではないのにかかる精神的ストレスは絶大だった。加えて仕事に追われていた身体的ストレスも相まって、そのままうつ状態に。

とてもじゃないが、結婚なんてできないと思った。
彼の親が亡くなる、そのことを彼と二人で受け止める事さえできない私が、彼を幸せにすることなんて決してできないとわかった。
そして全てを伝えた上で、結婚話を白紙に戻した。

しかし私は今でも彼のことを大切に思っている。
どうか幸せにしてくれる女性と出会って、良い人生になるようにと切に願っている。

そうやって、私は好きだから結婚するというわけではないと理解した。
付き合っていなくても大切に思い続けることはできるのだとわかった。

今回の件で、結婚を真面目に意識したことで、今までよりも”2人で生きていく”という意味を痛感した。また、結婚するには自分たち2人の好きという感情だけではどうにもならないことを知った。

私はまだ未熟な人間。
結婚は、相手の人生を肩に載せる事だった。自分自身が生きていくことで精いっぱいの私に他人の人生など背負えるわけなどなかったのだ。

愛と恋の共存

私にはとても大切な人がいる。
それはもう13年前から。最初から”とても大切”ではなかったけれど長い時間をかけて彼女は私の中で大きな存在となった。

今では、世界で一番好きな人だ。
私の生きる意味でもある。彼女のいる世界で生きる事が私の存在意義だった。
あるとき私が「私より先に死なないで欲しい。生きていけなくなるから」と言ったことがある。その時「先に死なれたら私が困る」と返してくれた。

彼女が望むなら、私は生きねばならない。
彼女を幸せにするのに、私が必要だというのだから。

私の彼女に対する感情は、愛だと思っていた。
彼女を幸せにしたい、ただそれだけだった。

彼女と結婚したかったのだけれど、彼女はそれを望まなかった。

「恋人にはならない。だってパートナーだから」
「パートナーって、恋人の延長じゃないの?」
「そうかもしれないけど、すっ飛ばしてパートナーになれるよ」

パートナーの定義は、信頼し合える関係と言った。恋や愛には裏切りがあって相手を憎いと思うかもしれないけれど、信頼関係で憎いとはならない。色恋とは、別次元の世界の関係性らしい。

愛と恋は熱だから、熱は冷めちゃうんだって。彼女は、誰からか聞いたのかそんなことを言い出す。

冷めない方がいいから私はパートナーが良かった。
彼女を失うことは、世界が崩壊することと同意義だったから。失わない関係性にしてくれたことが何よりもうれしかった。

そして同時に思う。
私があなたのパートナーでいたい、と。

この感情は何なのだろう。
"私"が主語であるならばこれは恋なのか、と。

いや、しかし私は彼女を愛していた。世界でただ一人「愛してる」と言える相手。
「愛してる」なんてそう簡単に言える言葉じゃない。好き、とは重みが違う。
全てを許す言葉で全てを認める言葉。あなたの存在を受け止める言葉。
覚悟がいる、生半可な気持ちで口に出したりは出来ない。
死ぬまで離さない覚悟があるから言える。

そして…相手が受け入れてくれるとわかるから言えるのだった。
「愛してる」の言葉に頷いてくれるという絶対的信頼。

相思相愛ってやつ

「自分が死んでも君を守る」と言う勇者がいる。
すると
「私が死んでもあなたを守る」という姫がいる。
こうなるともうどちらも死ねない、死ぬわけにはいかない。
出来ることは、支え合うこと。

「君を守るのは僕」
「あなたを守るのは私」

相手が主語だった言葉が、対になると自身が主語になる。
不思議だけれど、これが恋と愛の完成系だと今の私は考えだした。

お互いが愛していれば、恋と共存できる。
図で書くと以下。
2軸のグラデーション。

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これをベースに考えると、確かに恋人をすっ飛ばしてパートナーになれるように思えた。
もう相手を悲しませるのも傷つけるも私はこりごりだから、この理論をもとに”恋人”という制度を封印してしまってもいいかもしれない(苦笑)

終わりに

冒頭の文章で一緒に語り合った友達が、書いていたので走り書きで書いたけど、これが今の私の答え。最後まで読んでくれてありがとうございました。

君は、愛と恋の違いについてどう思う?

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