宮古島にゲストハウスを作ることになった話
宮古島でゲストハウスを運営することになりました。
物件を買って、
工事して、
私がマネージャーとして毎日カウンターに立つ。
去年の今頃私は、ダイビングショップで働いていて、
丁度1年前、「宮古島でなにかできたらいいよね」という話になった。
ゲストハウスじゃなきゃいけない理由は最初はなかった。
人が集まってなにかが生まれる場所なら。
それを叶えられて、かつ私がいままで働いた経験があること…
そんな理由からゲストハウスになった。
そんなゲストハウス”MAHHO TERRACE(まほーてらす)”のオープンが来年2月に迫っている。
今回は、私が宮古島にゲストハウスを作ることになった経緯と、そこで何がしたいかを話そうと思う。
激動の1年
この1年、私はオーストラリアに半年間留学をしていた。
いやいやゲストハウス作るのになんで!?
と、思う人は多かろう。
そうなったのは、ゲストハウスを作るプロジェクト(以降まほてらプロジェクト)の話が出る前に、オーストラリア行が決まっていたからだ。VISAを買って、語学学校にお金も払っていた。
当初の予定では1年間だったワーホリの予定は、まほてらプロジェクトが飛び込んできたことで半年になった。
本来、こういうプロジェクトをするとなったらどのくらいの期間をかけて動くのか、正直私はわからない。が、まほてらプロジェクトはこんな感じだった。
去年12月:宮古島でゲストハウスをやろうと話が出る
今年3月:宮古島で物件探し
4月:銀行などからお金を借りるための作戦会議
6月:物件決定
8月:銀行から融資決定
9月:物件購入、工事段取り
10月:外部工事開始
11月:内部工事開始
12月:表装工事完了
来年1月:内装工事、設備工事
2月:グランドオープン
めちゃくちゃ激動だった。この中で私は、5月から10月までオーストラリアに行っていた。それでもまほてらプロジェクトが進行していたのは、もうひとりの仲間がいるからだ。
人生楽しくしてこ
正直まほてらプロジェクトがここまでこれたのは、もうひとりの仲間の働きによる。というか私だけでは物件買うなんて無理、資金がない。
私がBOSSと呼ぶその人とは、ダイビングボートで出会った。
建築系の工務店のような仕事をしている人で、店舗工事を主に手掛けている。宮古島で一緒にダイビングをし、酒を飲み、島を観光しているときに
「宮古島で何かしたいと思っているんだよね」
の話が出た。きっかけはたぶんそれだった、そうとしか思えない。
私はその当時は沖縄県那覇市に住んでいて、沖縄の環境をいたく気に入っていた。このまま沖縄のどこかに移住したいとも考えていた。
那覇はいまでも好きなのだが、少しだけ都会すぎた。
那覇は観光地として確立し、いろんな商売をする人で溢れていた。
もし勝負するなら宮古島が良いなと、BOSSの話を聞いて思った。
BOSSは実はゲストハウスの建築に関わったことはあるが、泊ったことはない。それでも一緒にやろうと思ったらしい。
「なんか面白そうじゃん」
もっといろいろ話していたと思うのだが、その言葉が印象に残っている。
BOSSは個人事業主だったが年商がそれなりにあったため、めでたくゲストハウスを購入して工事するくらいの融資を受けることができた。工事も仲介が1社も入っていないため、相場の70%程度でできとても頼もしさを感じている。
私1人なら奨学金の返済があるから1円も借りられていない。新しい事業を起こすときにはまとまったお金がいる。それを用意してくれたBOSSの存在はありがたかった。
それに心が折れそうになることは数知れずだが、お互いに愚痴を言ったり励まし合ったりしたからこそここまでこれたと思う。と、同年代みたいな言い方をしているがBOSSは20近く年上で、社会人としてはとても先輩。
暮らすように旅する
私がいままで泊ったゲストハウスは20以上。
ゲストハウスで住んでいたこともあり、2年以上の時間をそこで過ごした。
自分の肩書はいろんなときがあった。会社員、旅人、フリーランス、ニート、いろんな視点でゲストハウスで暮らした。
その中で、こうだったらもっと過ごしやすいのに。と思うことはたくさんあった。
2段ベットの上段はギシギシうるさいとか、
はしごの登りにくさとか、
プライベートスペースが少ないとか、
バスタブに浸かれないとか、
冷蔵庫にモノを入れるスペースがないとか、
ゲストハウスの雰囲気が暗いとか、
近くにカフェやコンビニが無いとか、
コワーキングスペースがなくて仕事できないとか、
音楽が爆音で寝れないとか、
交流スペースに人が集まってないとか、
みんなも思ったことあるでしょう、そんなこと。
そういうの解決できたら最高のゲストハウスができる気がする!
私の人生テーマのひとつである”暮らすように旅する”ゲストハウスを作ろう。
私が好きなのは旅じゃなくて。もちろん旅も好き、でもそれより。
暮らしが好き、いろんな土地で暮らすのが好きだった。
そんな私が住みやすいと感じた沖縄、宮古島。
この土地をもっといろんな人に知ってほしい、そういう目的もある。
コリビングホステル
コリビングという言葉を知っているだろうか。
コリビングとは「暮らしを共にする」という意味。
まだ日本ではあまり馴染みがないが、コリビングという職住一体型の施設は世界中で増えつつある。
居住スペースだけでなくワーキングスペースが完備されているのが特徴で、共同生活をすることで強い繋がりが生まれ、より深い交流ができる場所になる。
MAHHO TERRACEをどんなゲストハウスにするか、を考えていたときに行き着いたのがコリビングだった。
旅人が来るでも、旅行者が来るでもいい、
コワーカーが集まって仕事をするでもいい、
何をするでもなく海を眺めて過ごしてもいい、
ダイビングやゴルフをするために来ていてもいい。
多種多様な人が交錯することによって、たくさんの価値観や新しい自分に気づいて、
少しでも明日からの毎日が生きやすくなるようなそういう場所になったらいい。
そういう魔法が生まれる場所を創っていきたいと思っている。
人生初のクラファンチャレンジ
MAHHO TERRACEのオープンに向けて、クラファンにチャレンジしている真っ最中である。
オープン自体は問題なくできる予定なのだが、工事費が想定よりも高額になったことでできなくなってしまった工事があった。
・屋外カフェスペースの整備
・屋上のBBQエリアの整備
のふたつだ。
そこでそれらの資金を補填するため、クラファンをすることに決めた。
どうなることかとハラハラしていたのだが、初めて4日で60%の資金が集まりホッとしている。
クラファンページでは宮古島の魅力なども書いているので、興味がある方は下のリンクからどうぞ。
誰かに何かを返す30代
2月はMAHOO TERRACEのオープン月であると同時に、私の30歳の誕生月でもある。
20代は川下り、30代は山登り。
これまで吸収してきたものを形にして、
もらってきたものを送れるように成長していきたいなと思う。
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