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大和郡山市の近代史を調べています

 はじめまして。又春廓🌸奴と申します。奈良県大和郡山市の近代史、特に洞泉寺遊廓について調べています。ここでは主に、奈良県の地域新聞や郡山の地域誌を調べてわかったこと、その内容をアップしていきます。

 なぜこう言った形で公開するのかといいますと、固定されてしまった洞泉寺遊廓のネガティブイメージを取り払いたいと考えるからなのです。
 実は現在の洞泉寺遊廓・岡町遊廓は、悲哀に満ちた創作話や間違った説明が多く出回り、負の遺産という言葉に代表されるように、ネガティブなイメージが一人歩きしてしまっています。
 こう言った状況の原因は、郡山に存在した二つの遊廓についての研究がなされておらず、情報が極端に少ないことだと思われます。そして2018年から一般公開が始まった町家物語館(以降旧川本楼と記す)が、インスタ映えする観光スポットとしてSNSで紹介されたこと、シルバー人材センターのスタッフによって創作された話が、公式ガイドのように拡散されていることも原因でしょう。

 近年は、様々な新聞や雑誌に旧川本楼が掲載されますが、その度必ず「負の遺産」という言葉がつきまといます。しかし私個人の意見としては、はじめて訪れた人に対し最初から「負」という印象を押し付けずに、それぞれの感じ方や考え方を尊重した方が良いと思っています。旧川本楼に来ることで大正建築の魅力にハマったり、大正時代の人々の息遣いを感じたり、さらに売買春の歴史について考える機会になれば嬉しいです。
 そのためには、ネガティブイメージに基づいた作り話ではなく、歴史的事実に基づいたガイドが必要です。私が歴史を調べて公開しているのは、このためなのです。

 近代資料を整理していて思うことは、今の私たちから見た戦前はまさに異文化です。大正時代なんて、たった100年そこそこしか経っておらず、しかも同じ日本人の文化なのに、生活様式から普段使う道具まで、今ではそれをどうしていたのか、そもそもそれが何なのかさえわからないものが多いことに驚きます。人類学の専門家による初学者向けの『異文化の学び方、描きかた なぜどのように研究するのか』という入門書には、異文化を知るときの心構えとして、以下のようなことが書かれています。

 不可思議に見える具体的な現象(慣習や行為)も、必ず理解可能な社会的背景を持っている。大切なことはその現象がその社会の他の要素とどのように絡み合い、関係しあっているのかという関係性を明らかにすることである。

 このように、当時の遊廓社会と外の世界がどのように繋がっていたのか、そして今の私たちと、どう繋がっているのか。それを知ることが、遊廓を知ることなのではないかと考えています。

参考文献
住原則也、箭内匡、芹澤知広『異文化の学び方、描きかた なぜどのように研究するのか』世界思想社, 2001

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