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優しくなるとは

私の中で最近のホットトピックといえば、安芸高田市の市長が東京都知事選挙に出馬することを宣言したことをだろうか。

Twitterを見てもらうと分かるのだが、賛否の嵐で溢れかえっている。

ただ、それだけ期待している人、気になる人がいるということであり、

これが、「世間」だということだ。

要は、どれだけ注目されるか、ファンを増やすか、違う方法で目立つのかが大切な世の中になっていると思う。

先週読んだ本に答えがあると思った。


一見すると馬鹿げていることを大袈裟に言う。
安芸高田市の市長も同じようなことを言っている。市長のスローガンを観てもらうと分かる。

ただ、

長期的に見ると、人が集まり自分のミッションに誰よりも速いスピードで近づいている。

もちろん、安芸高田氏の市長だけではない。

GOAL-Bのあきおさんだってサードドアをこじ開けて自分のミッションに誰よりも早く近づいていると思う。

だから、人生設計において、サードドアを上手に使った人が「成功者」として名を挙げている。自分のミッションや作りたい世界 / 正解を実現できているのだと思う。

そんなことを考えて先週は過ごしていたのだが、改めて、サードドアをこじ開けれる人に共通しているものって何?と疑問を持ったので、その点を書いてみようと思う。

結論 「優しさ」

優しさの定義は人それぞれ違うと思う。
人情あふれる優しさもあれば、言いたくないことを言う優しさもある。

そんな中で、優しさとは自分以外の人に対して言われることが多い世の中だと思った。

自分に対してどれだけ優しくできているのか?

と考えたことがなかった。

サードドアをこじ開けている人とそれに気づかない人の「優しさ」の定義の違いが明確にあると思う。

サードドアをこじ開けている人の優しさ

自分に対してどこまでも優しい。
言い換えるとストイックで自分に厳しくてどこまでも追い込んでいく優しさと変換できるのだが、ここに「優しさ」をおいていると思う。

そして、この「優しさ」の考え方もサードドアっぽくて誰よりも早く自分のミッションに辿り着くためのスタンスになっていると思う。

自分にどれだけ優しくなれるのかとは、

小さいことでもいい。自分がいいなと思ったこと。好きだと思ったこと。やってみたいなと思ったコトに対して、どれだけ忠実に気持ちを尊重してあげるかだと思う。

継続できない、飽きてしまう、楽しくない。そんなことで諦めてしまうのは結局自分に優しくなれない状態を作り出す。

優しさとは感情に素直に行動することであり、長い目で自分を大切にできるかどうかである。

そうして初めて、他の誰かに優しくできる人になると思う。

ゴールのために、自分の感情のために、どこまでも優しくなれる自分でいたいと思う社会人1ヶ月目でした。

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