#10 星野リゾート社員のススメ | 美しさについて、言葉について考える、平安貴族さながらの体験「星のや京都」で歌詠み
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に出でし月かも
高校生の頃、入学して初日のテストは百人一首の暗記テストでした。必死に覚えた百人一首の中で、一番好きだった歌が冒頭に記したものです。留学先として唐に渡った阿倍仲麻呂という人物が読んだ歌。「大空を仰いで見ると、こうこうと月が照り輝いている。かつて奈良の春日にある三笠山の上に昇っていたあの月が、今ここに同じように出ているのだなあ。」(嵯峨嵐山文華館HPより)という歌意があります。
先日、機会をいただいて、星のや京都で開催される「奥嵐山の歌詠み」に参加をしてきました。今日はその感想を少しだけ。
まず、為人先生(現冷泉家当主)より「日本の美の表現」について講話をいただきました。ハッとするお話を沢山いただいたのですが、その中でも印象に残っているのは「虚実表現」について。虚実とは、漢字のまま”うそとまこと”という意。”うそ”というのは決して否定的な意味合いではありません。その表現の奥深さを出すために用いられます。”虚”が必要なのは、”実”が”実”であることを、より伝えるためにかな?と解釈しました。為人先生は「恋と一緒やで。」とおっしゃっていて、「うーむ、なるほど。」となんとなく合点がいったような気もします。「押してダメなら引いてみる」というようなイメージに近いかしら。
それから「全ての言葉には反対の言葉がある。」ということ。虚実表現の話と近いものがあるかもしれません。それは難しいことではなくて、例えば「親と子」とか「男と女」とか、そういうことも全部。朝があって、夜があるように、天と地がいつもあるように、言葉にはいつも反対の言葉があって。それってすごーく当たり前で、ごく自然のことすぎて考えてこなかったけれど、ここまで言葉が残り、伝えられ続け、いろんな解釈をされてきたのは、言葉や文体が時代と共に変わりゆくとしても、言葉の在り方は今も昔も実はそんなに変わらないからなのか?とか。物語でも、ささいな人との会話でも、幼い頃の恋文でも、いつかの自分だけの日記でも、言葉って、いつの時代もちゃんと守られて、続いてきたのだなあとか。
たくさんの人の目に留まるものもあれば、こっそりたったひとりのために綴られたものもあって。全部ひっくるめて言葉って美しいな、と改めて感じました。言葉がある限り、それって生きていることになるかも、と思ったり。そんなことを考えていました。
昔の人はそういう「美しい」と感じる気持ちを歌を詠むことで、表現したり、伝えたりしてきたのだな、と。そして、日本人が「美しい」と感じるものには、いつも季節の移り変わりがそこにあったのではないか、と。春夏秋冬だけれはなくて、二十四節気、あるいは七十二侯。その季節と季節のあわいこそに、本質があるのかもしれない。ほんの少しの移り変わりをとらえて、そこに想いを乗せていたのではないかな、と感じました。そうやって、自然を愛し、人を愛してきたのだと思います。
貴美子先生からは、冷泉家流歌道の手ほどきを受けました。実際に和歌を詠み、添削をしてもらう体験を。今回のお題は「朝雪望」。朝起きて、雪景色をみたときのその美しさを詠みました。細筆で短冊に文字を書く、ということ自体が大変な作業で。墨の磨り方に、筆の持ち方、小学生時代?の遠い記憶をなんとか引っ張り出して、やっとの思いで五・七・五・七・七を完成させました。日々のなかで、景色を見ても「綺麗」とか「わあ。」とか言うばかりで、それを明確な言葉にしたり、誰かに伝えたり、してなかったなあとつくづく。和歌ってとても短いように思うけれど、それだけ繊細で、それでいてダイレクトで。想いを伝えたり、記憶に残したりするにはとっておきの手法なのかもしれない、と思いました。
今回の歌詠みの会場となっていた窓から大堰川が眺められる客室で、窓の外をぼーっと眺めていると、突然にタイムスリップしたような感覚がありました。段々と空が暗くなる窓の外を見ながら、昔の人はきっとこのささいな夜の動きや、川の音、静けささえも逃さなかったのだろうな、と。「暦は光だった。」と貴美子先生がおっしゃっていて、今のわたしたちの生活がどれほど光や音にさらされているのか、ということを痛感させられました。月の満ち欠けで日付を把握することはできなくても、朝が来たとか、夜が長くなったとか、かすかな光の動きに、もう少し敏感でいたいなと思うのでした。
そんな感じでみっちり約3時間半ほどかけて、表現や考え方について学び、日本人として大切なことに気づかされたような気がしています。これまで経験したことがないような、学びの深い時間でした。
今回、ハッとした事柄を直ぐには学び直しきれないと思うけれど、ひとつひとつ関心事に向き合って、「美しさについて」や「言葉について」考えてみたいな、という気持ちが心に残りました。あとは習字も。字は心の鏡、と教わった幼少期を思い出しました。
翌日の冷泉家住宅見学も含め、貴重な体験をし、なんだかまだ余韻が抜けません。季節の移ろいは日本だけのものではもちろんないけれど、四季を大切にしてきた”日本人”の心というものが少しだけ理解できたような気がしています。現代を生きるわたしたちが、本当に守りぬかなければならないものはなんなのか、また星野リゾートの社員として、星のや京都という施設のあるべき姿について、深く深く考えさせられる時間なのでした。
▼詳細情報
「奥嵐山の歌詠み」は、今年残り3回ほど開催予定です。予約受付が始まったらまたお知らせできればと思っています!とっておきの体験になること間違いなしです✨
それでは、週末は都心は雪予報も出ているので気を付けて過ごしてくださいね。おやすみなさい😴
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