見出し画像

世界は遠くて、広くて、果てしない | 気まぐれ日記

2024/07/10

彼女に子どもができた、と報告を受けたのは、なんてことのない平日の昼下がりのことだった。Hey!と冒頭に綴られたメッセージにいつもの何気ない連絡かな?と思った。この間会ったときにはもう宿っていたのだと思うとなんだか不思議な気持ちがぐわーっと押し寄せて、そしてふぅっと一息を吐いたあとで一気に嬉しさが込み上げた。彼女が母になる、それは本当に素晴らしいことだと思った。彼女のもとにやってきたベイビーを心から歓迎した。

母になる、ということが近い将来の話としてわたしのまわりでうろうろとしている。まわりの友だちたちが続々と母に、父になってゆく。正直なところ、焦りはまったくなくて、むしろまだ母ではない自分に心底安心している。

わたしもいつかなるのだろうか。なりたい、なりたくない、なりたい、なりたくない。きもちはその繰り返しだ。なんとなく、誰かがもうずっと待っていような気はする。願って、思って、なれるものではないかもしれないけれど、でもなんとなく、そう思うのだ。覚悟ともまた違う、なにかのタイミング、気持ちの切り替わり、できごとがきっと、わたしを母になりたいと思わせるのだと思う。それまでじっと待つと決めている。導かない。自然のままに、そのままに。

2024/07/11

1週間ほど実家で暮らしている。わたしが通っていた小学校は家からすぐのところにあって、夕方の犬の散歩道に必ず通る。ふと道路から見える場所にある図書館 ( ブックワールドと呼んでいた )が目に入って、あれ?こんなに小さかったっけ?と思った。

休み時間に夏休み、足繁く通った図書館はわたしにとって、すごーく広くて、無限に本があって、大きな大きなどこまでも続くような場所だった。宇宙に吸い込まれたようなそんな気さえした。あの頃に比べてわたしが知っている世界の距離はぐんと縮まり、いとも簡単にどこへでも行けるようになった。(なってしまった。) あの頃抱いたわくわくとした気持ちはどこか少しだけ、わたしの日々の中で小さくなってしまったようにも思う。

幼い頃、布団に入り目を閉じて、現実になったらいいなと思うことを頭の中でたくさん想像した。それは小さな出来事もあったし、壮大な夢もあった。あの子に告白されますように、とか。大金持ちになりたいな、とか様々。せめて夢に見ますように、と願った。

本当は、世界はまだまだ広くて、勝手に近くなってしまったと思っているだけ。どこへ行くにもとても大変で、遠くて、果てしなくて、自分の存在というものは本当に本当にちっぽけなんだともっともっと感じたい。あの頃、家から徒歩5分の学校の図書館で、何もかもが永遠のものであるように感じたように。あの壮大さをふたたび。世界は遠くて、広くて、果てしない。わたしはそれを確かめに行ってみたい。

見に来てくださりありがとうございます^^これからも心のままに、言葉を大事に、更新を続けます。サポートいただけたらとてもうれしいです!