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思い出は過去を解放する

平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』を貸してくれた友だちがいた。そのあと自分で本も買ったし、映画も何度か見た。今はもうあんまり会わなくなってしまった友を大切なときに思い出す。

そしてこの本の通り、少しすれ違った人生のあとにきっと、また出会う。細く、細く、繋がっているのだと感じる。

これはわたしの携帯電話のメモに記されたいつかのもの。確か、北海道に訪れたときに書いたような、気がする。いや、もっと身近な、近いどこかだったような気もするな。記憶とはなんて曖昧なのだろう。

数年前わたしが長年付き合った彼と別れて、小雨が降るメトロのホームでたたずんでいたときも、この街はこうして人々に賑わい、美しかったのかと思うと、あの時の寂しさがどこかへ過ぎ去っていく気がした。

幼い頃、お姉ちゃんと喧嘩して嫌なこと言っちゃったときも、この川にはこれほどに美しい水が流れていたのかと思うと、過去のわたしを許してあげてもいい気がした。

新しい思い出はいつもこうして、過去のわたしを解放してくれる。わたしが新しい場所を望む理由のひとつなのかもしれない。

未来はいつも、過去を変えている。ということをわたしは信じている。過去は過去だけれど、過去は未来である。そう考えるのは、あまりにも傲慢だろうか。

サムネイルにはなんとなくパッと懐かしいと思うものを入れてみた。確か浅草の花やしきで撮った一枚。浅草の屋形船で、お互いの家族と顔合わせをして、へとへとなのに、花やしきに行った日。

なんだかメモにある言葉の鮮度がもう限界を迎えた気がして、急いで更新をしてしまっている。

見に来てくださりありがとうございます^^これからも心のままに、言葉を大事に、更新を続けます。サポートいただけたらとてもうれしいです!