エッセイ / 自分学校でまなべ
私は去年から、毎年100本映画を観るという目標を掲げている。目標を立てるのが嫌いな私が、唯一自主的に立て、意欲的に取り組んでいる目標だ。
年に映画を100本観ようと決めたのは、『サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法』という本を読んだのがきっかけだった。
なかなか尖ったタイトルの本である。私の部屋に遊びにきた毒舌の友人は「この世の終わりみたいなタイトルの本あるやん」とツッコんできたし、「子どもの本棚に並んでいたら親が心配する本のタイトルランキング」なるものがあれば間違いなくランクインするような本だろう。(ちなみに私の本棚には他にも『働くことがイヤな人のための本』『今日は死ぬのにもってこいの日』『ひとを愛することができない』『生きて死ぬ智慧』など、タイトルだけ見たらやばそうな本が数多く並んでおり、私が実家を出ている間は私の部屋で仕事をしていたらしい母はさぞ心配を掻き立てられたことだろうと思う。)
でも『サブカルで食う』はタイトルとは裏腹(?)に、内容はなかなかどうして勉強になることが多かった。特に私の印象に残っているのが、「若いうちに自分学校で学べ!」という教えだ。
自分学校とは、学校では習わないことを、自分で学ぶことを意味する。著者の大槻ケンヂさん(オーケン)は、映画、小説、漫画、ライブ、とにかくいろいろなものを質より量で読み、観まくったという。
オーケン曰く、自分学校で得た知識こそが「教養」であり、その教養は、大人になって時間を持て余すようになったときにこそ、重要になるというのだ。
本当にその通りだよなあと思う。そして、大人になってから、というのは、必ずしも定年後のような遠い未来を指すことでもないと思うのだ。
というのも、技術進歩が進んだ現代は、昔に比べると余暇がめちゃくちゃある時代だと思うからだ。もちろんみんな仕事で忙しいとは思う。でも、京都の人と会談するために歩きで数日間かけて現地に向かわなくてはならなかった時代、洗濯物を洗濯板で手洗いしなくてはいけなかった時代、お風呂を薪で沸かさなければならなかった時代から考えれば、私たちはとんでもないほどの自由時間を手に入れていると思うのだ。そしてこれからますます、技術の進歩により人間がやるべきことは減っていき、私たちの自由時間は増えていくことになるだろう。
そんな自由時間を、どう充実させることができるか。それは、人生の豊かさに直結するイシューなんじゃないだろうか。
私の友人には、暇な時間の大半をスマホゲームやYouTubeに費やしている人も多い。もちろんそれが悪いわけでは決してないのだが、個人的には、そうした「受動的に楽しむもの」よりも、「能動的に楽しむもの」に時間を費やした方が、人生の充実度が高まるような気がしている。
映画や本も受動的に楽しむものでは?という声が聞こえてきそうだが、個人的にはそうではないと思っている。映画や本は、自分の生き方や価値観に大きな影響を与えてくれるもの――つまり、ただ受動的に楽しむだけではなく、なんというか、自分のその後の行動に繋がっていくようなもののような気がするのだ。
またオーケンは、次のようにも言っている。
まあでも、ここまで言いながら、別に映画もYouTubeも、大差ないのかもしれないなあとも思い始めた。でも少なくとも私は、去年から年間100本という目標を掲げて映画を観始めて、好きな監督や好きな女優・俳優ができたり、映画を通じて新たな価値観に触れたり、素敵な音楽に出会ったりと、たくさんの物を得て、人生が間違いなく豊かになったなあと感じている。
だから私は今年も、映画を100本観よう。といいつつ去年は70本くらいしか観れなかったし、今年もまだ36本しか観てないんだけど。まあなんてったって自分学校の学長は自分だからね、優しい私はそんな落第生にもちゃんと単位はあげちゃうよ。
そんなゆるさで、これからも楽しく学んでいこうと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?