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自殺に関する記憶

自殺について、自殺は身近な問題ですね。
何故記事にしようかと思ったかと言えば、まずは自殺についての考えを書こうと思ったからです。しかし、その考えを書くには自分の今までの記憶を引っ張っていくことが必要だったのです。


その子との思い出では、高校1年生の時部活動の帰りに二人で歩いたのを覚えています。吹奏楽や中学校について教えてもらいました。
ゴールデンウィークに5人で遊んだり、9月の休みに4人でカラオケに行ったときは、幼少期に世代だった少女アニメの歌を歌ったりしていました。体育の際に乗ったバスで、女子全員でいろいろと話すのも楽しかったですね。その子は、スターバックスとハムスター、音楽が大好きな人で、頭が良く字が綺麗で、優しく気が強く負けず嫌いで趣味も性格も女性的でした。
クラスの中心として楽しそうにしていたことも覚えています。高校の頃に恋愛もしていたのも知っていますし、2年間クラスが同じでした。普通の明るい、素敵な子でした。

大学2年生の時に、その子がとても信頼していた友達がいて、私はその友達と2人でカフェで話していました。その際、その友達は封筒をカバンから取り出し、封筒から紙を出しました。

そこに記載されていた内容の詳細は覚えていませんが、はっきり覚えているのは、その子の命日だけです。

高校を卒業してから大学1年生の時に一度会ったきりでしたので、実感が湧きませんでした。その友達は、経緯を話してくれました。その子の今までの事情も話してくれました。その友達が一番仲良かったものですから、私の何十倍のショックを受けていると思うと想像もつきません。ご家族の事を思うと、ただやり場のない気持ちしか湧きません。

ただ、いつかこんな日が来ると心の中で思っていたような、思っていなかったような。

私とその子が性格が合う合わないや好き嫌いは別として、生きていたら沢山の出来事を経験し、今でも人生を歩めていたと思うと、言葉が出ません。
クラスの女子でお酒飲んでみたかったな、まだまだどんな未来を歩むのかな、色んな辛い事や楽しいことを経験していくんだろうな、素敵な人と恋愛するんだろうな、一緒に同じ時間を生きていくのだろうな、と。

友達が言った「痛かっただろうな…。」という言葉が忘れられません。
「誰にも話せなくて。」と言う、友達の話を聞くことしかできません。


高校生の頃から、SNSのタイムラインを見ていると、なんだか良く分からないけれど事情が複雑そうなことや、いつも長袖を着ていたことや着替えの時はお手洗いに行っていたことで何となく察しはついていました。でも、私は今覚えば何故力になれなかったのだろうと、文字に起こしてみて思います。

私は、気が弱く心が狭かったので、その子が活躍していくのはいい気分ではなかったのかなと思います。それで、無意識か意識的かわからないけど頑張って仲良くなろうとはしなかったのだと思います。

その子はその友達をとても信頼していました。その友達を頼りにしていた面も垣間みられたので、私はいいのかな…と思う面もあったでしょう。しかし、今考えれば頼れる人は多いに越したことがないのです。

私が今高校生の頃に戻れば、力になれていたんだろうか。

とても仲が良かった訳ではないけれど、改めて言葉にしてもういないと思うと、とても悲しいです。(ただ、悲しいと思うことは非常に個人的な事なので、その子には言えません。何故なら、その子はこの世が辛かったわけですから私の個人的な感情を押し付けてはいけません。)

でも、きっとその子の事を一番に考えるのであれば、楽になれて良かったねと、思うことが正解なのかもしれません。その答えも、彼女がいなければわかりません。

力になれなくてごめんね。短い時間だったけど、一緒に遊べて楽しかったよ。
彼女とのLINEは消えません。返事がくることもありません。ずっとずっと生きている人の心には残るのです。

苦手になれるのも好きになれるのも、生きていればこそ。
人が亡くなってからでは遅いのです。

自殺に関しての記憶は以上にさせていただこうと思います。
次回は、自殺についての考えを記事にします。

長いですが、読んでくださりありがとうございます。

冬譜

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