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「誰かのせい」と思うときは

先日こんな投稿をしたのの
補足を

自分がしたことで
思う通りにいかなかったとき

「誰かのせい」にする

そうすると
「自分は悪くない」はずなのに
何だか「気分が悪くなる」

そうなるのは
「この状況のせい」
「そんな状況にした相手のせい」と

さらに気分が悪くなるループに
なってることってありません?(笑)


でもホントは
「この状況になる選択をした自分を
 肯定できていないせい」
「そんな自分を自己否定をしているせい」
だったりするんじゃないかなと

「自分のせいじゃない」
「自分は悪くない」

と思う人は

「自分は間違わない」
「自分だけは失敗しない」

と無自覚に思い込んでいる

「自分は間違わない」のだから
「誰かが間違っている」になる

だから素直に謝れないし
間違いも認められない

なんとか相手の間違いを見つけ出し
挙げ連ね
自分は1ミリも間違っていないと
主張し続けるはめになる

でも…

それをし続けることは
相手を否定しているように見えて
実は自分のことを否定しているって
気付いてないんですよね…!

間違わない自分しか、自分で認められない
失敗しない自分しか、自分で認められない

間違う自分はいらない
失敗する自分はいらない

こんな思考が
常に頭と心に満ちていたら
何をするにもビクビクしてしまうし
不自由さを
意識しないところで感じているんじゃないかなと


相手を否定する方が
自分を見つめるより
ずっとお手軽で簡単で
楽チンに見える

だから
楽な方を選択する

したつもりになる

けれど
それはより辛い道への選択だったりする


認めたくない自分を認めるのは怖い
見たくない自分を見つめるのも怖い

でもその怖さから逃げている方が
実はずっと怖いことなのだと
見つめたときに
やっと気付ける


ちゃんと向き合って
知れば
怖くない

闇を見つめるとき
闇もまた見つめ返してくる、と言うけれど

怖さを乗り越えて
そこに目を凝らした先にしか
見えないものってある

それを見たとき
初めて本当の自分の姿が
見えてくるのかもしれない


真っ暗闇だからこそ
星は見える

自分の闇の中に輝く光を
見つけられますように!

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