気遣いについて

#生き道 番外編

人に気付かれるような気遣いはまだ甘いのである。気遣いは人に気付かせてはならない。

徹底的に相手を優先する。この先に待っているのは「相手にしてもらったと気付かせないこと」なのだ。

私はこれを幼少より実践した。おかげ様で私が為してきたことは誰の目にもつかず、優しいことに気付かれない。

日常的な場面でいえば、例えばお箸を並べてあげるとき。お水を取ってきてあげるとき。

こういうことは影を消して、いつの間にか揃っていた、というようにしなくてはならぬ。誰の目にも止まってはならない。してもらったと感じさせるのは、相手への負担である。

有難うと言わせてはならない。なのに何故かこの人と過ごしていると、心地よかったと思わせなくてはならぬ。

自他の分別がない、というのはこういうことなのである。相手のためにするのですらない。全体としてするのである。ここに私は消えている。

自分が少しでも残っているようならば、それは何もしてあげたことにはなっていない。それは自分のために為されているのである。

有難うと聞きたくすらない。相手に負担をかけてはならない。負担に相対する有難うを発させてはならぬ。ただ心地よかったという有難うのみを私は受けとる。

Twitterより

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