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人は愛された記憶で強く生きられる【『そして、バトンは渡された』映画感想文】
絶賛反抗期のころ、日々お母さんに心配をかけ泣かせていたわたしは、特に理由もなく学校をサボったことがある。
よく覚えていないが、学校に行くふりをして友達とカラオケに行ったと思う。
完璧に隠し抜いたと思っていたが、14歳のクソガキが考えることなんて手に取るようにわかるのだろう。担任の先生にすぐにバレた。
わたしの父はすごく優しい。娘のわたしや妹にはほとんど怒ったことがない。しかし、この時ばかりは流石に叱られた。
「なぜ休みたいと思ったのか?今の学校が嫌なのか?」「行けないほど嫌な理由があるのであれば転校の手配をする」など淡々と話す父になんとも言えない恐怖を感じたのを覚えている。もちろん、行けない理由なんてないことはバレていたはずだ。
人生で父に叱られたのはこの時を含め、祖母の家で言うことを聞かなかったときと、鍋を突いているときに豆腐をぐちゃぐちゃに崩した時の3回だ。
学生時代、“ルールだから”・“みんなやってるから”という理由だけで行動を制限されることが非常に疑問だった。
当然「学校をズル休みしてはいけない!」と頭ごなしに怒られると思っていたわたしは、最初に理由とわたしの気持ちを聞いてくれたことに拍子抜けした。まあ特に理由なんてなかったのだけど。
反抗期なんてホルモンが大暴れしているのだから、本人にだってなぜ怒りっぽく反抗してしまうのかわからない。
ただ、まず気持ちを聞いてくれて、こんな大暴れなわたしを尊重してくれたこと自体に安心したのを覚えている。嬉しかったし、それ以上に安心した。
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先日、公開初日のレイトショーで『そして、バトンは渡された』を観てきた。
本当に映画の後半はずーっと泣いていて、定期的に息ができないほどの状態だった。信じられないほど目が腫れたので、観に行く日は考えたほうがいいです。
あらすじや感想はさておき、本作から「人は愛されたという記憶で強く生きられるのだろう」と感じた。たとえはっきり覚えていなくとも、精一杯の愛を受けたということはその後の自分を支えてくれる。
愛されたということのひとつは、「気持ちを尊重してくれた」ことではないかと思う。
本作の主人公は予告映像にもある通り、お母さんが2人お父さんが3人=合計5人の親がいる。そのそれぞれに、大切な愛を与えられ生きていく。
「海に連れて行ってほしい」と言う主人公を、忙しい父に代わり母が楽しませようとしてくれたり、ピアノを習いたい主人公のために母が奮闘したり。
学校に行きたくない主人公に対し、父が仕事に遅れそうでも「まずはこの子の気持ちが大事だ」と言ってくれたり。
そして、主人公の切実な願いを大きな愛と覚悟で守り抜いてくれたり。
その時に感じた愛の記憶と、後になって愛されていたのだと再確認するものもある。
その愛の記憶を大切に抱きしめるのは自分自身だ。今読んでいる原作に「ないものを探すよりも、あるものを探そう」というセリフがあった。
思えばわたしは両親に何か強制されたりしたことがない。勉強や習い事を含めて、やりたいようにやらせてくれてきた。すべてわたしの意思を尊重してくれた。
自分が働くようになり、結婚して更にこれの凄さを実感している。
自分は愛されて生きてきたのだ、ということはきっとこれからのわたしを支えてくれるだろう。
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