思考という"首輪"から抜け出したい。
「悩みがないことが悩みなんです」
最近、そんなことばかり呟いていた。
「これが悩みかもしれない!」と思っても、他の人に「それは心の底から出てきた悩みではないように見えるよ」って言われて、その言葉に何も返せなくなる。
悩みがないというのは"痛みがない"という訳ではなくて。
今も心のどこかで、昔の傷に、昔してしまった取り戻せない後悔に、思考が引きずり込まれそうになって、怖くなる。
悩みがないと思っていたが、他人との対話の中で、自分自身との対話の中で、昔から自分がずっと悩んで苦しんできたものがあることに気づいた。それは、
"自分を表現すること"
私は、自分が感じてることを、したいと思うことを他人に伝えるのがもっとも苦手なことだ。
新しいことに挑戦するのが好きな性格だから、もちろん色々な挑戦をした。だけど、自分を表現出来ず、些細な人間関係や居場所の雰囲気がきっかけで、逃げ出してしまうことが多かった。
その分、他人の話ばかり聞いてきた。だから「優しいね」「共感力が高いね」って、これまで出逢って来た人達にたくさん言われてきた。
でも、そういう人達に限って、自分の話ばかり聞いてもらおうとする。私が自分を表現することに悩んでいることに、興味も持たないし、聞こうともしない。
でもその人達はなにも悪くない。だって人間って自分のことばかり考える生き物じゃない。他人に自分の話聴いてもらえるのって、すごく気持ちいいじゃない。
私もそんな人間の1人で。私も、気づいたら自分の話ばかりしてる。その度に「また自分のことしか考えてなかったな」って、途端に現実に引き戻される。
そう。
私は、こんな風に今まで、全てを"思考"で正当化してきた。そうすれば、自分は傷つくことがなかったから。
これからは、"感じる"ことを目標に過ごしていくつもりだ。見えるものを、聞こえるものを、ありのままに感じてみたい。
社会から、思考という"首輪"を強いられなくなるのは、いつなんだろうね。
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