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「断捨離」と「人生はメリーゴーランド」

未来なりたい自分が持っているもの以外は捨てる。
というワークを始めることになり数日。
「モノの断捨離、情報の断捨離」

結構、捨ててきたし、そんなに捨てるもの無いだろうと思っていたけど、
「未来なりたい自分が持っているもの」ということで、
今の私が必要かどうか、ではなくて、未来の自分が持っているであろうものという括りだと。。。
うーん、ほぼ、全捨てに近いような。
そうすると、生活できなくなるから、どのラインで捨てるかが課題だ。

自分の部屋も、洗濯機の周辺も、洗面台の周辺も、断捨離。

そして、
私が、自分の部屋以外に結構居る場所は、台所と気づく。
使えるから使い続けるのではなく、
未来、この鍋を、このお皿を、私は使ってる?
答えはNOだ。

料理が好きな私だから、なおのこと、
台所にいる時の世界観を変えたいと思った。
長年使ってきた鍋、皿など、新しいものに変えよう。

何を買おうか、どこで買おうか。
色は、カタチは、と考えると楽しくなる。

ものが多いと、自分では気づかないけど、
無意識に脳を使ってしまうとか。
そうするとパフォーマンスが落ちて、
本来集中したいことに集中できないらしい。

確かに、実際、モノが少なくなると、よけいなデータ処理をしなくて
いいので、思考もスッキリするような気がする。
自分の視界がごちゃごちゃしてると、
頭の中にクエスチョンマークが出てきて、考えたくないと思うし、
その場から離れたくなる。

そして、あらためて断捨離の意味を知る。

断行・・・入ってくる不要なものを断つこと
捨行・・・すでにある不要なものを捨てること
離行・・・物への執着から離れること

断捨離すると、疲れる。ぐったりしてしまう。

私の場合、たぶん、これは執着心を捨てるために
かなりのエネルギーが使われるからだと思う。

捨てたら、もう2度と見ることも触れることも使うこともない。
そう思うと、捨てるのが辛くなるものがある。

でも、これが人生なのかもって思った。
会者定離は、常に起こっている。いや、起こさなければならない。
過去に留まっていては、今という時間を無意味にしてしまう。

今は、未来ありたい私に近づくためにある。

そう思うと、振り返ると、
なんていう時間の使い方してきたんだって思う。
生きてきたのか、と。
生物学的には、生きてはきたけれど、
これまでのようではなぁと。

でも、もう1回同じ人生繰り返せと言われたら
できないくらい、乗り越えてきたから、それはそれで良しとして、

これからは、
未来ありたい自分に近づくために「今」という時を生きよう。

そして、私は、久石譲さんの音楽を聴きたくなって
「人生はメリーゴーランド」を聴いた。

そういえば、「人生はメリーゴーランド」ってどういう意味?
と思い、調べてみると、

ある人曰く、

メリーゴーランドというのはジャパニーズイングリッシュで、
 英語ではメリーゴーアラウンドと呼ばれ
「merry-go-around」
このmerry という英語は人名ではなく、 楽しいという意味。
だから、merry-go-aroundの意味は、楽しく回ろうよ!という意味

だとか。

なので、「人生はメリーゴーランド」は、
人生を楽しく生きようってことなのかな。

「人生はメリーゴーランド」

ピアノ演奏もいいけど、バイオリンの演奏も素敵。
YouTubeで見つけたバイオリンの演奏。

「人生はメリーゴーランド」の音楽は、
すっごい楽しいとは感じられない、
どちらかと言うとどこか物憂げな感じがする。

人生は楽しいことばかりじゃない。
そして、楽しいことばかりじゃ楽しくない。

すべてを含んで、楽しむということなのかも。
楽しむの中に、過程に、「断捨離」ということがあるのかも。

意外にも、断捨離の後、
聞きたくなった「人生はメリーゴーランド」は、
私の中で、断捨離に繋がった。


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