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好きなこと、生きること

季節を感じる瞬間っていくつかある。

多くは”着るもの”で、ついこのあいだまでヒートテックを着ていたのに、いまではもうエアリズム。
コートが、もふもふのMA-1に変わって、毛のないMA-1でも平気になって、最近はそれも着ていない。
花屋ではミモザが並び、芍薬の季節はもうすぐ終わるだろうか。我が家では紫陽花を飾り、向日葵もよく見かける。

職場では、来客用のお茶が、温かいものから冷たいものに変わった。
温かいのは、湯呑に粉とお湯を入れるタイプのやつ。
冷たいのは、小さなグラスに氷と、ペットボトルのお茶を入れる。

透明なグラスが、初夏を告げる。
冷凍庫からトングで氷を拾って、グラスに落とす。
コツン、と音が鳴ったあとに、お茶を入れる。

カラン、と音がする。

ただ、それだけなのに、毎回みょうに心地が良い。
積極的に、お茶出しに行きたいくらいだ。
氷を使うことはあっても、「グラスに氷と、飲み物を自分で入れる瞬間」って、会社だけかもしれない。
夏の、風鈴みたいな音がする。

バカだと思ってくれていい。
その瞬間が訪れるたびに、「ああ、これで生きられる」と思う。

そういう瞬間の積み重ねで、生き長らえているのだ。
ただ、それだけなのだとすら思う。


妙に美味しいコーヒーや紅茶(カップのフチが薄いと、更に贅沢な気分になる)

コンビニのアイスコーヒーも好きだ

部屋に飾った、花の横顔

うちのベランダ
本を読んでも、何もしなくても

おやつはわたしを裏切らない

スターバックスには、忙しくても貧乏でもズタボロでも
必ず、定期的に行く

あまり行かないけど、海も好き
川で育ったから、海にはすごく憧れがあって
ずっと見てしまう

水辺が好き
ときどき、すみだ水族館に帰る
小笠原大水槽の前に、延々と座る。やっぱり、コーヒーを飲む

アクアパーク品川を愛している。
くらげ、イルカショーを見て
光の中に包まれると、「生きる」という気持ちになる

水辺の生き物では、カワウソが好き
よみうりランドのおとなり、HANA-BIYORIには定期的に足を運ぶ

よみうりランドの、ジュエルミネーションはシーズンに1度必ず行く
これもどうしてか不思議と、「生きる」と思う。
ひとりでも、ふたりでも。
ふたりで行くなら、ジェットコースターに乗りたい

バラは、春と秋。年に2度
「今年も来られたね」って、安心する。


日々は、ゆるやかかもしれない。
明日も、仕事に行って眠るだけかもしれない。

今日は休みで、また何もできなかった。
何もできない、という事実も去ることながら
「やりたいことが上手く思いつかない」ということが問題だということに、気づいている。
全然ダメだ。

全然ダメなんだ、人生なんて
それでも時折、「生きる」という瞬間にぶち当たる。
それは、100分の1くらいかもしれない。
100分の99くらいは、ダメだと思う。

それでも時折、心の中の、ベルみたいなものが鳴り響く。
生きてきてよかった。
生きよう、と思う。


今日で5月が終わることに、さっき気づいた。
振り返り日記を書く、という瞬間も面倒で辞めてしまった。
あれは「今月も何もしていない」という自己嫌悪感を払拭するためのもので
「なにか書こう」と思えば、なんでもそれなりに「あった」風に書くことができてしまう、ということに気づいてしまった。
ワセリンみたいな記事だった。
傷を、治すのではなく、薄い膜で隠すみたいな。

3月を精力的に生き延び、4月は体調不良でぐったり、5月はGWで気持ちを切り替えようとしたが失敗したうえに、2度めのコロナ感染。
いまは、やる気が起きない。

人生に於いては、些細なことだろうか。
些細な倦怠感を、一生繰り返してしまうようで怖い。


でもまあ、いいか。
明日も、来客はあるだろうか。お茶出しに行こう。
花の水を換えよう

そうして、生きていってみよう。





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