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戯言_私の思っている会社経営。

頭の中の整理がてら。戯言です。

尊敬する人の一人に、夫の会社の社長さんがいます。
年代は私たちよりも少し上。二代目社長。
頑張ってる、創業60周年が数年前に執り行われたかと。

すみません、面識はありません。

この社長を夫越しに見ているからでしょうか、
私は、自分のキャパシティなどを考え、法人化しようという考え方をずいぶん前に辞めました。小さな町の看板屋さん、まずはそこだと。
ちょっと金銭的な面から、昨年は法人化すべきかどうか悩みましたが、やっぱりやめました。

社長がまだ専務だった頃、小さな会社だった頃から働いています。数年目の時に辞めて、憧れの別業種に転職しましたが、社長は何度も夫に近況伺いの電話をして、役職付(人参か?っての)で引き戻しました。

はっきり言いましょう、私は確信しています。
うちの夫、仕事だけはピカイチです。作業の信頼性も高い。ビジネスが上手かと言われれば、そこはどうかな?と思いますが、仕事において大事なのは完工することです。売上を売上として会社に落とし込む、ピカイチです。作業自体の信頼度も、周囲を見渡す能力も、ストイックなところも、抜き方も。もちろん、長く業界にいますので、高い会社の信頼度もありますし、この十数年の会社拡大の裏には社長はもちろん、夫の貢献度はかなり高いと思っています。

ここ最近やたら思っていますが、30代後半。本当にノっている時期ですね。社長も40代前半。まじでノっている時期ですね。

決して大きな会社ではないけれど、事務方含めて数名の会社が、今では事務方含め、近所の居酒屋では忘年会やらが開けないくらいよ。

はっきり言いましょう。どこにも転職するメリットが無いほどの、お金と権限をくれているのです。もちろん、独立するメリットもありません。強いて言えば、社長という肩書が欲しいならば独立したら良いんじゃないの?とは思いますが。

これが、ウィンウィンであって、これが無ければ、会社経営は辛いのだとつくづく思います。

まぁ、お休みもありませんし、ブラック企業だー!とよく社長に盾ついているそうですが、社員の休みを管理する立場であるわけで、おうちの居心地が悪いんでしょうね。休みで家の用事が無ければ、会社行って仕事してます。

父親の会社が、不協和音を奏でだしたのは、母親が事故で急死したその日から。私はその年の4月に幼稚園に入園しました。母親は父親の会社の経理でありつつ、小さな製作は個人会社にして受注していました。母親が、父親の会社で働きだしたのは高校卒業してすぐ。もう法人化もして軌道にはのっていた父親の会社で、たったの10年でしたが、やっぱり右肩でしか上がらないその10年の業績は大きかったと思います。

ツートップ、やっぱり肩を並べて、目標定めて、イケイケとお互いに奮起し合ったり、ふと立ち止まって振り返り作業をしたり、笑えるような時間を共有したり。会社経営に大事な要素のひとつなのかな?と、私はどこかで思ってしまいます。

今の私にある武器は、父親ですからね。いやいや、だからこそ、こうして個人事業主として、細々であっても15年目を迎えられているのです。なかなか理解は難しいのかもしれないけれど、やっぱりね、心の支えを失った人は、心身ともに健康を害してしまうのだと思います。それを単に弱さと言ってしまえば終わりですが、成長過程の中で、存分に感じたことです。大人になるにつれて、自分の中で消化してきたことです。不協和音を奏でつつも、必死だったのだと思いますよ。でも、ズレた歯車をひたすら回し続けて、私たちもいたのでね、子供たちの面倒見ながら、不協和音奏でてる会社の維持、縮小しながらも維持。泣く泣く従業員を別会社にお願いし、どんどん縮小。ごはんを待つ子供たち。私が小学生の時には、入退院を繰り返すようになって。ずいぶん細い糸になっていた会社の命綱は、あっという間に切れて。助けてくれる人もたくさんいたし、だけど体調が芳しくないのは、一番辛いことだね。それでも、楽しく生きてきたし、全部全部父親にはすごく感謝しているし、私の一番尊敬する人は父親です。

あ、このあたりがは余談ですね。

つまり、夫を手放さない社長はすごいし、私は尊敬して止まないということです。会社を経営する、維持するということは、まずは自分自身がしっかりと立つべきであって、尚且つ、ひたすらに信頼をできるだけの肩を並べる人材が必要であって、手放さないだけの自身の強さも必要だと、今の私はとても思っているということです。

そもそも、夫の会社の社長に対する私の考え方は、あくまでも夫越しに見ている社長像なんでね。でも、私にもあれこれ発注してくれて、本当に有難いです。本当に感謝が止みません。

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