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「ねぇ、私と話す気ある?」と言われてしまった話
前談
だいたい1年くらい前の話です。当時付き合っていた恋人からこんなことを言われました。
「ねぇ、私と話す気ある?」
今まさに話しているじゃん、と思っていると続けてこう言われました。
「なんで一人で話を完結させようとするの?」
電話越しの恋人と記憶の中の恋人
その恋人とは遠距離で付き合っていました。そのため日常の基本的なコミュニケーションはテキストか電話です。
目の前にいない分、私は恋人のことを想っているつもりでした。今相手がどういう感じなのかや何を思っているかということを頭の中で想像していました。
そのとき想像の元になるものというのは恋人と会った時のことやこれまでの会話の内容など過去の記憶です。つまり、過去の恋人に関する情報をもとに恋人のことを考えていました。未来のことは知ることができないのでそれはそうですよね。
そして私は記憶力がとても良い方でした。記憶力が良いと言うと"いいこと"のように聞こえるかもしれませんが、必ずしもそうとは限りません。私は記憶力が良い分、その記憶に頼って生活していました。つまり記憶の中に残っている情報に強く影響されてしまうのです。
そのため、恋人と話しているときの私は恋人と話していると同時に自分の頭の中にその恋人を想像していたのですが、想像していた恋人は記憶の中の恋人であり、電話越しの恋人とは少しずつずれていたのです。
考えることは悪いこともある
今でもそうですが、私は考えることが好きです。でも、この「考えることが好き」ということが最も悪い形で露呈したのが前の恋人と付き合っている時でした。
「よく考えてから相手に伝える」というのは一般的には良いこととされているように思います。とりわけ道徳の時間などでは相手がどう思うか考えてから話そう、といったことが教えられているかと思います。
私もその時付き合っていた恋人もよく考えてから行動するしよく考えてから発言するタイプの人間でした。でも、それがことを悪くしました。
考えてから話すとき、あまり注意せずに話すと考えた結果を取り出して話すことになります。その中では何をどう考えたのか、その多くは語られません。
でも、それが許されるのは共通の前提を持ち合わせている場合です。それを多くの人は「空気を読む」ことによって成していると思います。もしくは「一般常識を備える」ことによって成しているかと思います。
そこで恋人との関係を想像してみてください。そこには社会としての一般常識は無いですし、空気を読みあわないといけないような状態だったらそれはちょっと険悪な状態のように感じませんか。私は嫌です。
全てのカップルに言えることでは無いかもしれませんが、恋人との間では社会で求められるような強い"普通"というものはなく、大抵はその恋人との間だけに存在する文脈や雰囲気によって「共通の前提」が作られている気がします。
それが十分に無い中で、自分の頭の中だけで考えてしまうとどうなるか。それが前談に上げたように「ねぇ、私と話す気ある?」と恋人から言われてしまうことに繋がったのでした。
私は恋人のことを想っているつもりでしたが、それは考えることによって一方的にそう決めつけているだけであり、実際に話している恋人のことを蔑ろにしていたのでした。
考えるよりも必要なこと
私がこの経験を通して、考えることが善とは限らないということ、そして考えるよりも相手とのコミュニケーションを取ることのほうが遥かに大切だということを痛感しました。
相手がいてそれが信頼して話せる仲なのであれば、考えるようなことはその人に聞いて自分でも思っていることを伝えて、コミュニケーションを取ることが大切だと思いました。
それに気づいたのはもうその恋人とは別れた後のことです。
別れる時に恋人からこう言われました。
「もっとお互いに尊重し合えたらよかったね」
この「尊重する」という部分を私は取り違えていました。相手のことを「考える」ことではそれは成せなかったのです。
つい自分の頭で考えたことに頼りがちになってしまうのが私ですがその部分があることを自覚して、これから出会う人とちゃんとコミュニケーションをとっていけるよう成長していきたいと思いました。
小学生の感想文のような終わり方ですが、これでおしまいです。最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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