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自らを広報するという行為について

 セルフ・プロデュースの能力が求められるようになって久しい。他分野の有名人でない限り、まずは自分自身や周りの近しい仲間と共に初めの一歩を踏み出すことが当たり前。幾多の失敗や同業“他者”を乗り越えた先に未来への扉が開く。

 私はこの過程が非常に苦手だ。縁あって、広報のお仕事をさせていただく機会が増えているのだが、チームの作品ならともかく、自分自身が主体となって制作している企画の広報は非常に苦手としている。いつも、「……」や「……!!」を多用するけれど、これが自信のなさの表れである。あまり強く推していないし、もう暫くは自発的に推すことはしないだろう。

 おそらく、みんな悩んでいるのだと思う。作り手は特に、自画自賛という狂気的な行為をどう咀嚼するのかによって、前に進めるかどうかが決まる。良心だけでなく、狂気性を併せ持たなければ、ここでは生き残れない。芸術の世界に身を置くようになってから、これを強く感じるようになった。

 私の場合はフライヤーや動画を作るまでは全く抵抗がないのだ。大仰なキャッチフレーズもつけるし、あざとい作品もあるかもしれない。でも、そこから発信するのが苦手。自分の作品だけ、とても気が引けてしまう。

 世の広報担当者の方々に訊ねてみたいのは、会社でなく自分自身になったとき、どう前へ進んでいくのかという点である。踏ん切りをつけるのか、良いものだと宣伝するのか。

 まあ、こうも言ってられないんだけどね。今日もある方に言われたけれど、壁を越えないことには何も始まらないと。その壁を越えるのは自分自身であって、誰の助けも借りられないのだと。十代の時点からジレンマは感じてた。自主制作やプライベート・チームの宿命である。ただ、楽しいのは確かだ。やってて、面白い。続けていきたい。

 私も壁を必ず越えられる。信じてる。

 2021.6.8
 坂岡 優

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