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人と芸術とキュレーション | 20世紀生まれの青春百景 #70

 世の中には優劣をつけられないものは数え切れないほどあるが、わたしはその最たるものが芸術だと思う。

 近年は「いいね」の数やフォロワーの数がひとつの指標になっているし、それを見て触れ始める人も少なくないんだろうけれども、それだけが判断基準になってしまうと面白くない。

 才能の有無をプロが評価する番組も、プロが「才能ナシ」と評価したところで、ある人にとっては1位の作品よりも良い作品だと感じられることもある。わたしとしては、個人的な感性をバラエティー化してしまうことで大衆に与える影響はもっと考えてみてもいいんじゃないかと感じなくもない。マス的なものの影響力は衰えたとはいえ、一定以上の世代にはまだまだ健在で、ペタリと貼り付けられたイメージはなかなか拭い去ることは出来ないのである。

 今思い出したのだが、高校時代に音楽の配信イベントを主催していた時、それを見たクラスメイトたちがフォロワーの数でミュージシャンの優劣を主張し始めたことがある。当時は憎らしく思えたのだが、今もそういった風潮は残るどころかより加速していて、音楽でもSpotifyの再生回数やSNSのフォロワー数がそのミュージシャンの売り文句にされることが多い。

 たしかに、これらの数値はわかりやすい。特に、数週間や数ヶ月で爆発的
数値が伸びたり、活動を始めたばかりのミュージシャンが人気を集めたりしていると、メディアが飛びつきたくなるのもわかる。マスメディアはそういうもので、むしろそうあらなければならない。いちプロデューサーの個人的な嗜好や直感が反映される番組もおもしろいが、普段が王道だからこそ、そういった変化球がより興味深く思える。この順番が逆になってしまうと、視聴者の数が少ないか、やたらとカルト的な人気を持つマニアックな番組が誕生するだけだ。

 だが、わたしたちもそうでいいのだろうか。この疑問は常に持っておいた方が良いと考える。

 ひとりひとりの愛好家たちが、美術でよく用いられる、キュレーション、キュレーター的な感性を持つべきではないだろうか。自らの言葉で、自らの感性で、自らが最も良いと思えるものを発信し、ファンを増やしていく。そうやってミュージシャンの活動をより多くの人たちに伝える。大切なのは程良いアマチュアイズムで、文章自体はプロフェッショナルでも、とにかく良い音楽や表現にこだわり続け、どんな存在でも良いものは良いと言い続けること。

 数にかまけず、時代に揺らがず、それでも好きなものは好きと言える勇気。

 ひとつの基準を絶対的に用いるのではなく、たくさんの視点を相対的に見つめる眼差しの重要性。この時代だからこそ、物事に対しての向き合い方を人々がより重点的に見つめている。

 2024.6.21
 坂岡 優

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