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THE ALFEEを例に紐解く、音楽ジャンルの不思議。 | GO AHEAD -僕の描く夢- 第156回(前編)

 今回のテーマは「THE ALFEEから見る、音楽ジャンルの不思議」です。音楽を語る際に、どんなミュージシャンでも一定の分野に分類することが出来ます。一般的にいえば、THE ALFEEは「J-POP」に分類されるでしょう。『メリーアン』『星空のディスタンス』などの“ヒット曲”のみで分類するなら「歌謡曲」に分類されるのかもしれません。

 そもそも、ぼくたちが普段聴いている「J-POP」ってなんでしょう?
 ちょっと気になったので、ウィキペディアさんから説明を引っ張ってきました。

J-POP
J-POP(ジェーポップ、英: Japanese Popの略で、和製英語である)は、日本で制作されたポピュラー音楽を指す言葉であり、1989年頃にその語と概念が誕生した後、1993年頃から青年が歌唱する曲のジャンルの一つとして広く認識されるようになった。J-POP以前と以後の違いは、BPMの早さや洋楽の影響を受けたメロディ,コード進行,リズムにある。特に、昭和歌謡の時代の邦楽と比較して、グルーヴが洗練された作品は増加した。尚、一般的な音楽ジャンルとは異なり、先に「J-POP」と言う言葉を定義し、それに既存の楽曲を当てはめる所から入っていったもので、自然発生した音楽ジャンルではない。

 J-POPというまったく新しいワードは、瞬く間に日本の「音楽ジャンル」の勢力図を塗り替えてしまいました。ごく一部の特殊な分野を除外すれば、ありとあらゆる分野をJ-POPと分類してしまうことが出来るようになったのです。90年代の一時期、「J-POPとはパクリの音楽である」という説が世間に波紋を広げたことがありました。この説の一番の槍玉に挙げられたのはB'zなどのJ-ROCKのバンドたちです。しかし、日本の音楽も、欧米の音楽も、その源泉を辿ると各地域の民俗音楽に起源があります。「パクる / パクられる」という画一的な観点で語ってしまえば『安易な模倣』で語り切ることが出来てしまう文脈ではあるのですが、こういった模倣は「芸術音楽」を作る上でも、「商業音楽」を作る上でもある意味必然といって差し支えないでしょう。

 こういった時代性に関してのお話は、田家秀樹さんや柴那典さんの書籍が詳しいので一度読んでみてください。

 J-POPという分野は、ジャンルを批判的に捉えることなく、むしろ寛大に受容していきました。その象徴がTHE ALFEEというグループなのです。(注:公式プロフィールには「グループ」「バンド」が両方とも記載されている。「Summertime Blues」などスリーピース編成で演奏された曲も存在。)

 ロック、フォーク、R&B、テクノ、ジャズ、ボサノヴァ、タンゴ、クラシック、メタル、スラッシュ、フラメンコ、フュージョン、演歌、歌謡曲、EDM(エレクトリック・ダンス・ミュージック)etc……

 ほんとうに様々な分野を取り込み、彼らはその独特の音楽性を成長させていきました。最近、某SNSで英国人の方による考証が大きな反響を呼んでいましたが、「一筋縄では説明しきれない」このバンドが日本音楽界の第一線(のだいたい十番手くらい)を50年近く走り続けているのです。

 最新アルバムでも彼らはめちゃくちゃ変なことをしていますよね。「オープニングナンバーのイントロが2分」とか、「フォークソングに明らかにクラシックで使うようなピッチカートのストリングスを持ってくる」とか。「進化論B」は数あるプログレナンバーの中では比較的ポピュラー寄りの一曲ですが、それでも奇妙な曲であることは違いありません。

 どうして、このような不思議なミュージシャンのコンサートに毎年数十万人のオーディエンスが参加するのでしょう。なぜ、ほとんどの日本人はこの不思議なミュージシャンの「不思議さ」に気付かないのでしょうか。

 さあ、そろそろ結論に行ってみましょう。
 この「不思議」という単語が「J-POP」を解き明かすためのキーワードになるんです。

 僕たちは「当たり前」という名前の魔法にかけられていて、普段当たり前のように楽しんでいるものがいたって不思議であることにも気付いていない。

 これを読んで首を傾げている方は、もう魔法にかかっています。この文章を書いているぼくも、魔法にどっぷりと浸かったままです。たぶん、ほとんどの人が魔法に浸かったままなのではないでしょうか。

 ここで時代を巻き戻しますが、そもそも「日本語ロック」の成り立ち自体が不思議な変遷を辿っていますからね。日本のロックの原点といえば「はっぴいえんど」や内田裕也さんの結成した「フラワー・トラベリン・バンド」「ザ・モップス」を挙げられる方が多いと思いますが、本当の始まりはGSなんですよ。GS、すなわちグループ・サウンズ。さらにもっと時代を巻き戻すと、「スウィング・ウエスト」などのロカビリーですよね。小坂一也さん平尾昌晃さんミッキー・カーチスさんなど。

 ぼくはGS以前の日本歌謡曲史にまだ手をつけられていないのであえてGSからお話しますが、あの頃のバンドは現代的な視点から見ると極めて奇怪なものでした。ミニタリールックに、アイドルのような風貌専業作家制果てはメンバーが失神するバンドまで登場してきたり、若者たちのファンを教育者たちが必死に引き剥がそうとしたり……この頃は学生運動の最盛期前夜とも言える時期ですけど、数年前のベンチャーズ、アストロノウツのヒットによるエレキ・ブームやビートルズ来日によって、日本の音楽シーンに「ロック」という全く新しいジャンルが本格的にもたらされたのは確かにこの時期なんです。だがしかし、日本のポピュラー・シーンにロックが本格的に定着したのは80年代になってから。しかも、YMOが海外で評価され、日本で逆輸入+大ヒットするようになった後(=つまり和製ロックバンドが定着したのはテクノが認められるようになった後)で、J-POPというジャンルが形作られようとしているほんの少し前なのです。

 はっぴいえんどの解散後、日本ではニュー・ミュージックが全盛期を迎えました。もちろん、デビュー当時のALFIE(ここでは結成当時の表記でいきます)もニュー・ミュージックとして分類されました。そもそも、ニュー・ミュージックって、なんでしょう。……大人の皆さんはともかく、若い方は答えられる方のほうが珍しいと思います。異論はあると思いますが、この一目で答えられないジャンルこそが、「J-POPの源流」といえるのではないかとぼくは考えています。結局、ニュー・ミュージックの起源がはっきりしない(一般的には吉田拓郎さんが起源だと言われることが多い)時点でジャンルとしての統一性なんてものは存在しないですよね。

 でも、その統一性のなさが「ジャンルの中のスキマ」を産んだんです。ロックの中でも、80年代に活躍したバンドたち、歌謡曲の優れたシンガー・アイドル、そして、ニュー・ミュージックやJ-POPといった音楽ジャンルそのもの。これらは、こうした「スキマ」に対する大衆の受容性の高さが産んだものと断言して差し支えないと思います。ロックが日本にちゃんと定着することが出来たのは、こうした「スキマ」があったからだとここでは結論づけてみましょうか。

 さあ、ここでもっと時間を巻き戻しましょう。明治時代を思い出してみてください。幕末、様々な国が日本にやってきました。江戸幕府は諸外国への対応に苦慮し、諸藩の勢力の高まり、前代未聞の下克上などによって、ついには200年以上続いた「江戸時代」というひとつの偉大な時代が終焉を迎えたのです。明治時代になると、日本古来の文化は軽視されるようになっていきました。多くの民俗音楽や民俗文化たちと一緒です。日本文化も西欧化された。これまで大陸からの影響を受けながらも、長い時間をかけて独自の文化を醸成してきた“断固たる”日本文化が、かつてない規模の極端な異文化流入によっていとも容易く変貌を遂げてしまったのです。時間はかかりましたが、ほとんど抵抗なく。ここで、古来からの個有文化が(純血的な意味で)失われました。

 もう、おわかりでしょうか?

 ここが日本のポピュラー・シーン、もっと言えば、現代文化の源流そのものです。批判的な書き方をすると「ありとあらゆる歴史が凝縮された国風文化が未知の西欧文化と融合することによって、日本古来の文化が消失してしまった」という書き方になりますが、肯定的な書き方をすると「文化流入によって多様性を受け入れる土台が作られた」という書き方になります。つまりは、明治維新が大きなターニングポイントになっているのです。(文化的文脈や詳しい史実については、こうした分野の専門家に論議を託します)

 すごく飛躍してしまいましたが、もう一度現代に時代を戻しましょう。日本の音楽シーンはこうしたドラスティックな文化の変貌を重ねることによって、ようやく「J-POP」という不思議な一大ジャンルを形成することになりました。ちょっと乱暴な書き方になりますが、極端な話、現代のすべての商業音楽がJ-POPなんですよ。J-ROCKも、演歌も、何もかもひっくるめて。もちろん、「ポピュラー・ミュージックという語源を紐解けば」という注釈はつきます。これはあくまでも語源であって、音楽そのものを指しているわけではありません。「それは違うのではないか」というご意見が出てくることも、もちろん想定しています。では、どうして演歌アニメソングは海外に受け入れられるのでしょうか。どうして、きゃりーぱみゅぱみゅさんPerfume、BABYMETALの皆さんは海外に受け入れられたのでしょうか。

 それは、現代の日本文化に先述した「スキマ」があったからです。この「スキマ」というワードが結論の最初に挙げた『不思議』に繋がってきます。海外のフォーラムやSNSを見てみても、日本のカルチャーは「異形の存在」として受け入れられているようです。

 しかし、残念なことに、こうした優れた音楽のことを、現代の僕らは蔑視する傾向にあるように思えます。別に「日本すごい!」というわけではないんです。ただ、こうした優れた音楽があるのに、原点があるのに、どうしてそこを顧みようとしないのだろう、ということです。ロックじゃない、テクノじゃない、そんなのどうでもいいんです。ただ、ひとりの音楽ファンとして、優れた音楽がどんどん発表される世界であってほしい。自由に、面白いものを作れる世の中であってほしい。そんなとき、教科書になるもの。J-POPとは、そういうジャンルです。そうならなければならないジャンルです。ぼくが例として挙げたTHE ALFEEは“J-POPのど真ん中にあるグループ”だと思います。彼らは、J-POPの教科書になり得るグループです。

 今まで彼らが紡いできた不思議な音楽と、あまりにも数奇な運命・歩み。今回の記事では「J-POPの源流」について大きく取り上げてきましたが、THE ALFEEはこうしたJ-POPの歴史をすべて見つめてきたグループでもあります。日本語ロックの発祥ともいえるGSから、現代のロックまで。

 かつて、大瀧詠一さんはこのグループのことを「ハンバーグ味噌ラーメン」と表現しました。本来、THE ALFEEはジャンル分けできないグループのはず。どうして、ぼくらは分類できないものまで無理に分類してしまおうとするのでしょうか。J-POPという広すぎるジャンルが産み出した「弊害」を次回は綴ります。

【あとがき】
 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。ご意見、ご感想など、気軽にお寄せください。

今回はあくまでも概形的な内容に絞って、「J-POP」というカテゴライズについて綴りました。このエッセイは同じテーマで次回も続きますが、今度は全く違った切り口でカテゴライズを綴っていこうと思いますので、よろしくお願いします。

【参考文献】
THE ALFEE OFFICIAL SITE
柴那典「ヒットの崩壊」(講談社現代新書)
田家秀樹「読むJ‐POP―1945‐1999私的全史 あの時を忘れない」(徳間書店)
宮入恭平「J-POP文化論」(彩流社)
烏賀陽弘道「『Jポップ』は死んだ」(扶桑社新書)
マキタスポーツ「すべてのJ-POPはパクリである (~現代ポップス論考)」(扶桑社)
亀田誠治「カメダ式J-POP評論 ヒットの理由」(オリコン・エンタテインメント)
スティーヴン・ウィット「誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち」(早川書房)
山口哲一「新時代ミュージックビジネス最終講義 新しい地図を手に、音楽とテクノロジーの蜜月時代を生きる!」(リットーミュージック)
戸ノ下達也「〈戦後〉の音楽文化」(青弓社)
高護「歌謡曲――時代を彩った歌たち」(岩波新書)
「私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか――日本ポピュラー音楽の洋楽受容史」(花伝社)
ほか多数

 2019.10.18
 Yuu

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